脚本は社会、演出は親(家族)、演じる「私」
「自分らしさ」は元からあるわけではなく、目の前にある「私」というベースは、物心つく頃、当時の社会という脚本と親(家族)という演出で形成された作品の中にある。
社会も家族の立ち位置も変わって行くのだから、演じる「私」も変わらざるを得ないのだけど、俳優として才能ある人たちばかりではないので、苛まれる。「〇〇できない」「〇〇じゃなきゃだめだ」、、これって単純にストレスに感じる。
悩み、立ち止まって、冷静に考えると、あれ?
誰かに作られたドラマの中の「私」に気づく。
開放してみ