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あなたの知識はすでに死んでいる。

インターネットとデバイスがあれば、もはや「物事を知っているコト」に価値(優位性)が無いことを私たちは既に知っている。

いつでも、どこでも、誰でも知識人(先生)だ。だからといって、考えるコト自体を止めてないだろうか。インプットした気になったほとんどの人は、ほどなく忘れるが、インターネットがあるから更に安心して忘れる。

私たちは常に知識の海(過剰な選択肢)の中から「選ぶ」のだけど、情報が多ければ多いほど「選んだ」結果に悩む。(おそらく、2択や3択であればさほど悩むことはなかったのに)

その「選択」は正しかったのか。選ばなかった方の情報に対する「機会損失」と捉えるとまた更に苦悩する。それでもなお、抗い彷徨っているあなたに問いたい。

そもそも「情報に選ばされている」としたらどうだろう。

単に知識を得る為の勉強の時間は終わり、私たちは「選ばされている」構造がどうなっているのか、情報リテラシーを超えた振り回されない自己選択最適化を学ぶ機会は必要だ。

安易な方法ではないことは、なんとなく理解していて、その方法の一つはアウトプットだと思う。毎日noteに綴るテーマなき、書き殴りを続ける先に何が見えるのか。多種多様な仕事の棚卸、自分の中にある様々な疑念、葛藤、自我解体の機会を記す。

途中で投稿を止めた人たちも、気が向いたらまた始めればよいと思う。その空いた時間もまたあなたには必要だったのだ。知識を(考えるチカラを)死なせないために。毎度自分リブートするだけでも景色は異なって見える。


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