構造と比較(過去記憶の改変)
構造主義とは比較方法論。自分が掛けている色眼鏡を外して、いろいろなものを比較することで要素間の共通の構造を発見しよう。
まずAはB、BはCという順番で並ぶ3つのブロックは心の病気の因果関係を表している。
Aにはインプットとして何かしらの治療行為が入ります。
Cにはアウトプットとして<病気の軽減>が入ります。
BにはAからCに至る理由、つまり因果性が入ります。
まず有名な治療方法として<プラシーボ効果>を考えてみましょう。
プラシーボ効果とは、名医が偽薬(無害)を処方しても、名医を信用し、薬の効き目を信じ込むことで自助努力により症状が改善する効果。
ですので、Aには医師のうその説明(偽薬)が入ります。
そして、Bにはプラシボー効果が入ります。
またほかにも、心の病気を治す精神分析療法(エディプスコンプレックス療法)があります。またシャーマンという薬草と呪術により体内の老廃物を体外に出す秘法があります。これも心の病気を改善する効果があり、これらはBに入ります。そしてこうした複数の心理療法を比較して共通の構造を抽出することを構造主義の考えです。
これは、数学のアナロジーでも説明ができます。
例えば、トポロジーでは、何らかの形を伸ばしたり曲げたりしてもたもあれる性質に焦点を当てます。トポロジーではコーヒーカップとドーナツを同じものだとみなします。コーヒーカップを粘土のようにこねて変形させるとドーナツになる考えです。逆にボール(ピンポン玉等)とドーナツは同じとは言いません。ボールをいくら曲げてもドーナツのように穴が開いた形状にならないからです。 このように共通の構造を抽出する意味において構造主義とトポロジーは似ています。
構造主義というのは、私たちが、常にある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件のもと私たちは物の見方や感じ方、考え方を基本的なところで決定している。 だから私たちは自分が思っているほど、自由にあるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の所属する社会集団が受け入れたものだけを選択的に見せられ、感じさせられ、考えさせられている。そして自分が所属している社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの目に入ることはなく、わしたちの感受性に触れることもなく、思索の主題にならない。
私たちは自分で判断して行動していると<自律的な主体>であると信じ込んでいるけれども、実はその自由や自律性はかなり限定されており、人によっては洗脳され操られている、という事実を徹底的に掘り下げたことが、構造主義という方法の功績。
構造主義の考えは比較方法論を利用することで、新たな思考の道具を提供したともいえる。構造主義は哲学や人類学、言語学などともうまくマッチングします。というのも人類学では、いろいろな社会や文化を比較できます。
記憶は<過去の真実>ではない。
自分自身の過去の記憶について考えてみても、手掛かりをもって自己分析しても、決して厳密な意味で<過去の真実>そのものに到達できない。
私たちが過去の記憶を思い出すには、それを真剣に聞いてくれる<聞き手>
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