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人事・人材育成の視点から考える子育てについて

最近取り扱っている記事テーマが主に組織論で少し堅い内容なので、私自身が扱っていて少し疲れてきています(笑)。そこで、今回は少しテーマを変えまして、人材育成の視点で考える子育てについてまとめてみたいと思います。

私には子ども(男×2)がおりますが、まぁ、親に似てあまり偏差値が高い感じではありません(笑)
ただ、自分が人事や人材育成という仕事についているという職業柄、また自分自身の育ってきた生育歴上の問題意識から、子育てについてもその視点で見てしまいがちで、結果的に人材育成のコツを取り入れることとなっています。

自分が父親として立派と言いたいわけでは決してありません。実際のところは子どもから学ばされることが多いですし、子どもから影響を受けることも多々あり、自分が自制できずに過剰にきつく当たってしまうこともあります。日々、自分の在り方に反省…といった次第です。

なぜ、今回こんな話かというと、この仕事をしていると「子育ての質が実社会での活躍度と直結している」と強く感じるからです。

たとえば、私としては「家では親と子どもが家族で分担して家事をする」→「学校の中で先生と生徒、生徒同士が役割を分担して学習や行事にあたる」→「会社の中で役割を分担して仕事にあたる」といった風に考えています。ですから、小さい頃からの生活習慣や思考習慣がそのまま社会に出て反映されるわけです。逆に、そのように考えていない方つまり、家庭と社会が別と考えている人が多いのは何故だろう?とすごく感じることがあります。

たとえば、私や妻は子どもに対して「いい?お父さんやお母さんから何か頼まれて、それが終わったら『終わったよ』というのを言ってね。」と繰り返しています。そして、「実際に働くようになって、お仕事を頼まれたら『できたよ、終わったよ。』と言うから感謝されたり、お金がもらえるんだよね。その感謝があるから次の仕事につながって、お金があるから生活ができる、というわけ。これを『報告』と言うんよ。」という説明をします。

もちろん、言ったからすぐにできるかといえば、促されてやったり、言う気分じゃなかったり、いろいろあります。でも、まぁそれはそれで良いわけです。これがロジックとして浸透して、自分が何をすればどうなるか?を理解することが大切と考えています。

そして、日本社会では公正採用の観点から、いわゆる「氏育ち」については聴いてはいけないことになっています。ですが、入社後に雑談をしていると、どうしても氏育ちについて話を聞く場面があります。一時期、総合職採用した新卒社員のほとんどが、親がそれなりの企業幹部や公務員のキャリア組、または実業家や商売人の子息だった、といったこともありました。別に意図的に聞き出して採用したわけではないのに、です。

彼らからよくよく話を聞いてみると、「家の中に明確なルールがあり、全員がそのルールに基づいて動いている話」や「家に代々伝わる家訓があって、それを家族で守っている話」、「両親と日々の報連相ができている話」「家が商売をやっていて幼少期からその姿を見ている話」などいろいろと出てきます。両親が子離れしており、また、子どもも親離れできていて自立しているのです。

そこで、私はこれまでの人事経験から、どのようなことを子育てに活かしているか、をいくつかお伝えしようと思います。話すと長くなるので、今回は前提的なお話に留めておきます。

前提① 夫婦で子育て方針を決定し更新

家庭の中では、両親が経営者です。ですから、当然ですが方針を決めます。それは、お金をいくら貯めるとか、小遣いをいくらにするとか、そういった類の話ではありません。「どういう子どもに育てていくのか?」「そのためにどういった接し方をするのか?」「親としてどう関わるのか?」という内容にフォーカスした方針を決めます。

ここで誤解いただきたくないのが、上記は「子どもに何をさせるか」という話ではなく「どんな風にさせるか、どう接するか」という話である、ということです。
たとえば、「将来はPCとは切っても切り離せないから、早いうちからプログラミングをさせたほうが良い」などといった話を聞いたとします。そういう話を聞くと、決まって私は「それそのものにはあまり意味がない。」と思うわけです。なぜかというと、結局、プログラミングを学ばせても、陰でコソコソ漫画を描いたり、友達とくっちゃべったり、親が無関心で何も触れないようであれば、効果はかなり薄くなるからです(まぁ、それも楽しいでしょうが、学校でやれば良いわけで)。

プログラミングというスキルは後からでも身につけられます。プログラミングという行為を通じて「人生において大切な何を学んだか?」「どんな態度・習慣を身につけられたか?」のほうが重要ということです。そうした意味で、夫婦で方針を話し合い、父も母も一貫してどんなメッセージを発信するか、どんな時にどう振る舞うか、という方針を決めているのです。

前提② 本の読み聞かせの徹底

我が家では、生まれて間もない頃から絵本の読み聞かせを徹底していました。早いと言われる方もいるかもしれませんが、生後3ヶ月時点で絵本を読んでいると嬉しそうにジタバタしたり悲しい場面では泣いていました。ですので、きちんと理解していたといえます。

書籍への興味や関心は脳科学的にも知的能力と直結していることが知られていますが、実際のところ社会人になっても書籍から情報を収集することは多いわけで、ネット上に落ちている情報の「質」を判断する基礎力としても必要となります。

一般に読み聞かせは情緒を養い、絵と活字に親しむために行われる傾向がありますが、我が家でもおかげさまで小学生になっても読書量と読書スピードは非常に早く、書籍に対する抵抗はまるでありません。

前提③ スマホは持たせず、書く(描く)を徹底

親である私がスマホを見ることはありますが、子どもにはスマホを持たせていません。特に、私は常日頃から子どもにキーボードの打鍵やスマホ等へのタップ・スワイプは脳に対して何の刺激も与えていないことを明確に説明しています。

書く(描く)と脳に手の感覚が伝わりますから記憶力が高まり、創造力も高まるものですが、タイピングやタップは「ただボタンを押したり、画面を触るだけの行為」です。これは脳に何の刺激ももたらしません。

子どもに対しては、「お父さんは記憶力が今になってはほとんど無くなってしまったんだけど(笑)、明確に覚えているのは大学になってPCを使うようになってから記憶力がどんどん乏しくなっていったこと。今は仕事で仕方なくPCを使うけれども、タイピングすればするほど記憶障害になっていってるみたい(笑)」と自身の体験をわかりやすく伝え、君たちにはそうなって欲しくないことを説いています。

ちなみに、上記のことは「デジタル性健忘」と言ったりします。

前提④ 体験や行動を学習とセットにする

幸い、子どもが昆虫や魚、恐竜といった生き物に興味を持ったということもあり、小さい頃から昆虫採集や飼育、魚釣りなどに親しんでいました。リアルな体験をすることは、ネットで知るだけの情報とは格段に情報量が違います。

帰宅してからは、図鑑で「今日捕まえたヤツを探してシールを貼ろう」と丸いタックシールを貼って特徴を調べ、それを絵にして描いたりしていました。つまり、行動したことをベースにして書籍で情報収集して、書いたり描いたりすることで、本物の学習を行っているといえます。つまり、「虫を捕る」→「図鑑で調べる」→「絵に描いたりする」→「振返って感想や次に捕まえたい虫について話す」こうした体験学習プロセスを経て血肉にしているわけです。

もうおわかりだと思いますが、社会に出てから「行動する」→「調べたり学んで深める」→「書いて考えをまとめる」→「一連の行動を振返って話し次に繋げる」という一連のPDCAモデルを小さい頃から意図的に体験させているわけです。

前提⑤ 子どもと対等に議論する

子どもが何を考えてどう判断したり行動するのか、に興味があるので、彼らと議論したりします。その時、専門知識を私がひけらかしたり上から目線で言ったりせずに、テーマに対してはフェアに議論をするわけです。

「どう感じるか?」「なぜ、そう思うのか?」「どうしたら良いか?」「他に考えられることはないか?」といったことを日頃から繰り返しているので、言葉で表現するということには非常に慣れているといえます。

一方、人としての生き方的な話については、議論ではなく指導として行います。たとえば、クラスメイトに対して何かトラブルを起こしてしまったり、逆に何かされたりした時には、その経験を通じて、「どうそれを活かしていくか?」を家族会議として行いますが、間違った考え方・捉え方をしている場合にはそれを正すように伝えるわけです。

以上のように、子育てを人材育成として捉えて、明確な指針を持って行っています。すべては、社会に出てから周囲に良い影響を与えられるよう、社会や他人様の役に立って自己実現できるようにするためです。かといって、息苦しいわけではありません。

ギャハハ~と言って笑ったり、一緒に釣りや昆虫採集などで協働の体験をしたり、と思い出作りを沢山しています。同じ時間を同じように生きるなら、真面目に楽しく、といったほうが良いかもしれません。

また気が向いたら、こうした個人的なことを書いてみようと思います。

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