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核家族化から見える現代の介護問題

ご覧いただきありがとうございます。
HSPカウンセラー 志乃ともこです。

先日、かつての職場の同僚で、みんなのお姉さん的存在だった70代のさよ子さん(仮名)と久しぶりにビデオ通話でお話をしました。

9年ぶりに対面したさよ子さんのお顔は、懐かしい笑顔の中に、かなりやつれたような印象を受けました。今回の要件は、「当時の同僚達で、久しぶりに集まりましょう」という連絡だったのですが、その話は対面直後に「今話すのは難しい」と判断できました。

まずさよ子さんの近況を伺いました。
5年前、さよ子さんは当時長野で一人暮らしだった実母のチカコさん(現在103歳)を都内自宅に呼びよせ、現在も介護中とのこと。他の同居人は娘さん一人ですが、交代勤務の仕事で家を空ける日が多く、介護者はさよ子さんお一人との事でした。
さよ子さんは長女で、下に弟1人(長野在住)と妹が2人(都内と静岡県在住)がいらっしゃるそうです。

チカコさんの認知症は年々進み、さよ子さんはチカコさんに昼夜関係なくトイレに呼ばれたり、娘さんとちょっと話しているだけで仲間外れにされたと、チカコさんから大声で責められる毎日のようです。チカコさんは、自分で感情のコントロールが出来なくなっているようでした。
一昨年、さよ子さんはデイサービスの手続きをしましたが、チカコさんは、一日行っただけで拒否。次のお迎え時には、チカコさんは家の柱につかまり「長野に帰りたい帰りたい」と叫ぶため、さよ子さんはやむなくデイサービスを断念。ホームも先方から断られた経緯があるそうです。

さよ子さんは去年から、寝不足とストレスで耳鳴りが始まり、体重は8キロ落ちてしまったとか。スーパーに行くのさえ、娘さんが帰宅している日中のみなので、外出もままならない状態だそうです。

さよ子さんは、続いてこんなことを話されました。
「久しぶりに話したあなたに、こんなこと話すのもお恥ずかしいんだけど、もう私が限界でね・・。弟には3年前に、時々でいいから預かってくれないか頼んだんだけど、奥さんがうんて言わないからダメだって断られて。上の妹は、「子供に聞いたら家に呼ぶのは無理って言われた」下の妹は「自分に持病があって引き取れない。若い頃、強気なお母さんから夫が泥棒呼ばわりされたことがあって、夫は今でもチカコさんを恨んでいるから難しい」との返事。私はみんな自分の母親でしょう?と訴えたけれど、なしのつぶて。私の体は悲鳴を上げているし、楽しみがなにもなくて、何のために生きてるのかなあ・・って思うのよ」と仰いました。弟や妹達へ、憎しみを抱くようになった自分への自己嫌悪もあるとのことでした。

昔のお話を伺いました。30年ほど前、チカコさんは病気を患った夫のマサオさんを介護していましたが、マサオさんは20年ほど前に他界。その後、チカコさんは競輪の受付の仕事をしながら、地元長野で一人暮らしを続けてきたそうです。
「母は私達子供に一切愚痴をこぼすことなく、たった一人で父を10年介護して看取ったんですよ。息抜きは競輪場の仕事仲間との日帰りバス旅行くらいで、泊まりの旅行は、行ったことがなかったと聞きました。子育てで忙しかったとは言え、母を放ったらかしにした私は、罰が当たったんだと思う」と涙されたのです。

私は、さよ子さんにご自分を責めないで欲しいと伝えました。当時の介護事情は家族が看るべきという時代で、今はそうではないこと。それから、まず第三者を入れて兄弟間で話すことが必要であったり、介護できない兄弟は、経済的負担での協力という形も取れるお話をしました。

それから、さよ子さんも当時のチカコさんと同じで、一人で抱え込んで甘えられない性格なのでは?と察しお話していたところ、さよ子さんはハッとしたお顔になりました。「私も母と似ていて、誰にも助けてと言えない性格だったわ」と驚かれていました。

本来、さよ子さんはチカコさん譲りの「真面目で責任感が強く、一人で抱え込む頑張り屋さん」な性格だったのです。
さよ子さんは、当時のチカコさんと自分を重ねているようでした。

さよ子さんは「自分がダメになる前に、娘に付き添ってもらい、兄妹達に声を上げて話し合いの機会を持ってみる。私と母お互いのためにも、もう一度ホームの検討もします。ありがとう、我慢し過ぎて、出口さえ見えなくなっていました」と仰いました。問題解決はこれからですが、少しだけさよ子さんに昔の笑顔が戻りました。
さよ子さんは十分過ぎるくらい頑張ってきたのですが、自分の心身と残りの人生も考えたいとのことでした。

核家族化が進んできた現代の介護事情。介護者への心身のサポートは、もっともっと必要なのだと感じた一日でした。



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