見出し画像

短歌 うめおむすび

発狂のボタンがあったわけじゃないそっとほつれてられただけだ

春ひなた返却期限の迫る本うめおむすびの美味さに気づく

全自動タマゴ割り機で好きなだけ卵を割って暮らすのが夢


気がつけば4月も半分を過ぎました。この時期になると、新緑が街に溢れてくるので、通常なら「爽やか」とか「いい季節」とか、そういう感想が出てくるのだとは思います。

ですが、この季節に私が思い出すのは、通院していたクリニックの主治医から入院を宣告され「でも今、提携先のベッドが空いてないから、それまでは死なないでね」と言い捨てられて(付き添っていた友人談)行動や思考を抑制するため(だけ)にしこたま薬を飲まされてその後数週間の記憶をごっそり奪われ気づいたら病床で真っ白な天井を凝視していたことです。

それが、ゴールデンウィーク明けの土曜日でした。なので、毎年の恒例ですが、五月が近づくと、今でも胸中にまるで冷たく重い鉛が沈んでいるような心持ちになります。

……なんて感傷的になれるのは、翻って現在が平穏なんだということなんですよね。平穏というか、仕事仲間がいてわちゃわちゃと楽しくて、夢中になれる趣味があって、一緒に悪ノリしてくれる友達がいて、予測不可能で刺激的な唯一無二のパートナーがいて。

これ以上、何を望むというのでしょう。今日はあまりに天気が良かったので、ランチタイムはコンビニで梅おむすび(「おにぎり」より「おむすび」のほうが3割増でおいしそうな気がする)を買って、事務所に戻らずに小川の流れる広場(都会のオアシス的なところ)のベンチで、図書館から借りていた染野太朗の歌集「初恋」を読んでいました。

小川の水音が耳に心地よいと思い、植え込みのツツジのつぼみがだいぶ膨らんできたなと思い、すっかり葉桜になったソメイヨシノもなかなかいいなと思い、いやでも4月なのに日差し強すぎだろと思い、この歌集そろそろ返さなきゃと思い、梅おむすび美味しいから自分でも作ろうと思い、だったらたまには奮発して南高梅を買おうと思い、この歌集は手元に置きたいから帰りに書店にも寄ろうなどと思っていたら、梅おむすび一個でランチタイムが終わってしまいました。

我が躯体が、梅おむすび一個でもつはずがありません。仕方ないので午後、食べそびれた(梅おむすびと同時に買ってた)ミックスサンドを自席でもそもそ食んでいたら、「お!」と隣の席の同僚が手を伸ばしてきて、問答無用でミックスサンドのなかのタマゴサンドをかっさらっていきました。

何が起きたのか、一瞬理解できませんでした。ミックスサンドとは、タマゴ・ツナ・ハムレタスをどのような順番で食べるか、それがなによりの醍醐味なのです(異論は受け付けない)。

何が起きたのか、今でもよく理解できていません。

この記事が参加している募集

今日の短歌

記事をお読みくださり、ありがとうございます!もしサポートいただけましたら、今後の創作のための取材費や、美味しいコーヒータイムの資金にいたします(*‘ω‘ *)