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短歌 陽炎のせい

もう決めた人の不幸を願うより憎い奴ほど笑わせてやる 

優劣はどこにもなくて人々はみんな「違い」を持っているだけ 
 
陽炎のせいにできるね目が合ったときに殺意を抱いたことも


なんとなく体調がいまいちだったので、特急電車に乗れずに、新宿からひたすら各駅停車で西へ西へと帰りました。

ふだん気づかない風景の変化に気付けたり、積読をじっくり楽しめたり、なによりぼーーーーっとできるのが、何気に贅沢な時間だったりします。

でね、気に食わなかったり、意にそぐわなかったり、感覚が合わない相手とも社会で生活していれば、当然わんさか出会いますよね。

そのとき、これまでは「相手にしない」「意に介するだけ無駄」のようなスルー一択のポーズしか知らなかったのですが、「頑張って無視する」のすらしんどい場面もあって、なんか違うなぁ……と思っていました。

そんなとき、昨日聴けなかった「荻上チキ・Session」の中で、哲学者・永井玲衣さんによる哲学対話のコーナーをタイムフリーで聴きました。

今回も刺激的な回で、永井さんの問いかけに対して私もあれこれ考えを巡らせてみたり立ち止まってみたり、リスナーからのさまざまな意見に「そう来たか!」とか「それはどうなんだろう?」とか、自分の思考を吟味するのがなかなか楽しかったです。

哲学対話は正答がガチガチに決められている性質のものではないので、どんな考えや意見も、フラットに出しあえることが私にとって心地よいのかもしれません。

そういう安心できる環境って、日常生活じゃあまりないんです。何かを表明すれば、そこにいちいち評価したり優劣をつけたがる人々がいるから……。

でも、昨日の哲学対話を聴いて、「揺らぐ」ことの意味や醍醐味を、自分の中で再確認したいなーと思い至りました(なにせ、各駅停車は途中何度も特急や急行の通過待ちもあるため、乗車時間がとにかく長いのです。あれこれ考え放題だよ)。

で、思ったのは、気に食わなかったり、意にそぐわなかったり、感覚が合わない相手に対してこそ、なるべく心穏やかに接したいということ。

もちろん、この気持ちも「揺らぐ」から、不変ってわけじゃないんですが、それでも今は思ってます。

気持ちが「楽しい」と動くほうへ、行動してみたいなって。

誰かの不幸を願い、その不幸を実現するために不機嫌や誹謗中傷を撒き散らすようなことは、したくないのです。そんなことのために日々頑張ってるわけじゃない。

そんなふうに、きっとずっと、私はあれこれ考えていくんだろうなぁ。それはどこかに着地や固定することはなくて、流転し続けながらいろんな景色に出会っていくんだろうなぁ。

とかなんとか、ほのぼのと過ごしているうちに自宅最寄駅に到着しました。

というわけで……

夏休みに突入しましたー!!✨✨日曜日から一週間、ふたりで北海道へ行ってまいります。今回は、札幌とか旭川といった大きい都市ではなく、ちょっとした目的があって、とある町に行ってきます。

ふたりで、もろもろやらかしてきたいと思います(?)。旅行記とか書けたらいいなぁ。短歌もたくさん作りたい。「神話創作文芸部ストーリア」の夏企画も書き進めたい!

初日の朝、高速バスに乗るため朝5時に起きることさえできれば、なにも怖いことってないのよ。←ここが不安

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