【掌編】きみだけに贈るプレゼント
この作品は、「ゆく夏に穿つ」という小説作品のスピンオフです。多重人格の青年と、パートナーの少女の日常を描きました。今回はクリスマス編です。
二人の出会いは、以下のマガジンからお読みいただけますが、単体でもお楽しみいただけると思います。
きみだけに贈るプレゼント
街はクリスマスムード一色で、どこからか聞こえてくるアップテンポなクリスマスソングに、私の胸はざわついていた。
数日前、裕明がこんなことをつぶやいたのだ。
「美奈子、クリスマスプレゼントって、必要かな?」
私は、家に持ち帰った校正の仕事の手を止めた。どうしてそんなことを訊くのか、とは言わなかった。なぜなら、クリスマスシーズンというのが彼にとって、悲劇の象徴であることを知っていたからだ。
彼の中に存在する複数の人格のうち、秀一という五歳児がいる。彼はかつて実在しており、クリスマス直前に交通事故で命を落とした。秀一は、彼の現在の主治医の息子でもあった。
「どうだろうね。欲しいものがないって、ある意味で幸せなことなのかもよ」
私がそう答えると、裕明はフライパンでサーモンを焼きながら、「そっか」と小さな声で言った。
後日、どうしても仕事で必要な文房具を買うため、二人で新宿三丁目の世界堂へ出かけることになったのだが、クリスマスへとひた走る賑やかな街の雰囲気に、私はすっかり気疲れしてしまっていた。
そんな私を裕明は気遣ってくれ、ゆっくり歩調を合わせてくれた。
「ごめんね。この万年筆の替えインク、世界堂でしか買えなくて。これじゃないと仕事が捗らなくて」
「ううん、謝ることじゃない」
そう言って、裕明はスターバックスの看板を指差し、「ひと休みしようか」と提案してくれた。
私は季節限定のフラペチーノを、裕明はホットの抹茶ラテを注文し、席に座ってようやく人心地ついた。
「あー、どこを見ても私たち、クリスマスに包囲されてるね」
「うん、逃げ場がない」
「嗚呼、クリスマスとプレゼントはもはや不可分なのだろうか?」
私がわざと哲学者ぶって大仰に言うと、裕明はふきだして笑った。
「街が騒がしいのは困るよね」
「うん」
「Noel,Noel」という歌声が、「No way , No way」に聞こえてしまうのだと以前、裕明は言っていた。それほど、このシーズンが彼に深い傷をもたらしているのだから、胸が痛むし、とてもクリスマスを楽しもうだなんて思えない。
けれど、正直なところ、裕明と二人でイルミネーションを眺めたり、プレゼント交換をしたりなんてできたら、どんなに楽しいだろうと思う自分もいたりする。
隣の席に、家族連れがやってきた。小学低学年と思しき男の子と、両親のようだった。その男の子が、大きな包装紙からネコのような形をしたぬいぐるみを取り出し、嬉しそうにはしゃいでいる。
どこかで見たことのあるような、ないような。あのネコ、なんのキャラクターだっけ?
フラペチーノを飲み終えるころになって、隣の裕明の異変に気付いた。彼は抹茶ラテの湖面をじっと見たまま、微動だにしていない。しまった、と思った時には遅かった。
「……裕明?」
私の呼びかけに、彼は一瞬だけ目を細めたのだが、すぐににっこりと満面の笑みを浮かべた。
「ニャオハ! ニャオハだ!」
「えっ」
「僕もほしい! ニャオハ、サンタさんにもらうの」
そうだ、新しいシリーズのポケモンの名前だ。ってそうじゃない、肝心なことは――。
裕明、もとい秀一がきらきらした目でこちらを見てくる。隣席の男の子が抱きしめているニャオハのぬいぐるみを、自分もほしいと言ってきたのだ。私は迷った。秀一のお願いはきいてあげたい。でも、この時期に何かを贈ること自体、裕明を傷つけやしないかと。
「秀一くん、ニャオハはまた今度にしようか」
「どうして?」
「サンタさんは、うちには来ないんだよ」
「……」
秀一は少しの間、黙ったかと思うと、
「僕が、悪い子だから?」
と、ぽつりと言った。その表情は五歳児にしては妙に分別のついた、寂しげなものだった。この時、私は気づくべきだったのかもしれない。
「どうしたら、サンタさんがうちに来てくれるの?」
「えっと……」
今度は私が言葉に窮する番だった。
彼は席を立つと、涙を一筋こぼしてから、一人で走り去ってしまった。
「ちょ、ちょっと待って」
慌てて私は後を追おうとする。だが、セルフでマグカップを片づけたり、買い物の荷物をまとめるのに手間取り、彼の姿を見失ってしまった。
(どうしよう……)
それで、私の胸中はざわついていたのだ。スマートフォンを鳴らしても、彼が反応することはない。そもそも秀一の人格の時にはスマートフォンの操作ができないはずなので、意味がないとわかっていたのだが。
人混みの中、彼がそんなに遠くまで行けるはずないと思った。秀一なら、どこへ行こうとするだろう。
(僕が、悪い子だから?)
違うよ。一言、そう言ってあげたらよかっただけなのに。クリスマスがまた、二人にとって痛みを伴う季節になってしまいそうで、私はうつむいた。
それからどれくらい歩いただろう。すっかり日も暮れて、寒さが厳しさを増すなか、私はとぼとぼと、なんとなくたどり着いたタイムズスクエアのイルミネーションの入り口近くに立ち尽くしていた。
――ああ、こういう場所に、二人で来られたらな。それがきっと、私の身勝手な本音なのかもしれない。
青色で統一されたイルミネーションに、次々と手をつないで通りすがるカップル。私は思わずうつむいた。木目調の床の節が、泣いている人の顔に見えるような気さえした。
足元からしんしんと冷えてきてしまった。ここでこうしていたって、どうしようもない。さてどうしたものかと、下を向いたまま思案していると、ふと背後に気配を感じた。
「――あ」
彼だ。彼がゆっくりと歩み寄ってくる。その表情は先ほどと打って変わって、どこか余裕すら醸し出していた。
「あなたは、えっと」
誰? と戸惑う私の唇を、人差し指で塞ぐ彼。彼はそのまま私の肩を抱いて、寒さから私を守ってくれた。このぬくもりは、間違いない。
先刻の彼の涙の意味を、私はどうやら違えていたようだ。パートナーだからこそわかることがある。逆に、距離が近すぎて見えなくなることもある。そういうことなのだろう。
「裕明。裕明なんだね」
「うん。これ」
そう言って彼は、小さなギフトボックスを私に渡してきた。リボンをほどいて中を見ると、そこには小さなティアドロップをかたどったチャームの、銀色のネックレスが入っていた。
「プレゼント」
「でも……。クリスマスはつらいんじゃないの?」
私の問いかけに、裕明は首を横に振った。
「つらいし、苦しいよ。でも、だからこそ、それを美奈子と一緒に上書きできたらって、思うんだ。すぐには難しくても、いつかきっと、心からこの季節を大切に思えるときがきたら、って」
彼の言葉に、私は思わず落涙した。そうして、彼はぎこちない動作で私にネックレスをつけてくれた。
「そっか。じゃあ上書きしよう。思いっきり塗り替えよう! まずはこのイルミネーションを楽しむことからだね」
私が腕を絡めて歩き出すと、裕明もどこか照れながら、イルミネーションの世界に突入した。二人を淡い光が包んで、ゆく道を明るく照らしてくれている。
さて、私からは何を贈ろう。ニャオハのぬいぐるみは、もしかしたら裕明でも嬉しいのかもしれない、なんて想像をしながら、青白く輝く橋を、ゆっくりと二人で渡った。
END
よくぞここまで辿りついてくれた。嬉しいです。