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短歌 バニラ

バニラってとても正しい気がしてて選べずにいる春の駅前

ウブゴエカラ灰トナリテマデ焦りが消えないハードモードライフ

「わかりやすいのは猿山と病院よ偉そうなのほど上にいるわね」


少し前の休日、一人でブックカフェに訪問しました。ソイラテで読書を楽しんだのち、テイクアウトで、夕飯のためにサンドイッチを選んでいたら、見知らぬ女性に声をかけられました。

どうやら、ブックカフェ併設の地下ギャラリーで「五人展」を開催しているそうで、その日が最終日とのことで、せっかくなので寄ってみることにしました。

こぢんまりとした空間は白色で統一されており、そこには手作りの陶器や絵画、言葉が添えられた写真、デザインTシャツなどが所狭しと展示されていました。

私に声をかけてくれた方は、果物モチーフの陶器やクレパスを使った絵画で参加されている方でした。本職とは別に、趣味の一環として創作をしているけど、こうして発表の機会があって嬉しいです、と語ってくれました。

作品の一つひとつに「想い」が丁寧に込められているのが伝わってきて、なんだか私も嬉しくなって、「この絵はシンプルに見えるけど、見るたびに印象が変わるのが不思議です」「これらは同じスプーンのようで、一個一個に表情があるような気がします」「これ、夜のアスファルトの水たまりですよね。それが鏡になって街が逆さまに写っている、そこを切り取ってるんですね」などと、思ったことを思うままに伝えました。

それからしばし、その女性と「表現すること」について、あれやこれや楽しくおしゃべりしました。私は特段、自分がnoteで創作活動をしていることなどは伝えていなかったのですが、なにか雰囲気?に通じるものを感じてくれたのか、私が「感情の昇華のその先の景色が見たい」的な面妖な発言をしても、強い共感をもって頷いてくれました。

様子が変わったのは、クローズ時間が迫った頃に、一人の女性がやってきてからです。私と話をしていた方の表情がサッと硬くなり、突然その訪問者に向かって、何度も頭を下げはじめました。

私は「知り合いが来たのかな?」くらいに思って、引き続き別の展示を見ようとしたのですが、背後(空間自体がそんなに広くないので、私の真後ろ)でその訪問者が、

「あら素敵ねー!」「これも素敵だわー!」「あら素敵ねー!」「これも素敵だわー!」

と連呼しはじめたのです。最初こそびっくりしましたが、ちらりと振り返ると、出展者の皆さんが平身低頭で、その訪問者をもてなしています。

「あら素敵ねー!」「ありがとうございます」
「これも素敵だわー!」「ありがとうございます」(以下、退屈なダル・セーニョ)

……わー……。

なんだか気持ちのシャッターが閉じてしまったので、無念さを残しつつ、とぼとぼとギャラリーをあとにしました。

私は自他共に認め、かつ自認以上に短気なので(ここは本当に改善したい)帰路の電車のなかでイライラをどうにか鎮めたく、浮かんでいた考えを整頓しました。

  1. 貧しい語彙力

  2. 雑すぎる感想

  3. 急に来て偉そう

以上の3点をもって、改めて

「自信や実力のない奴ほど偉ぶる」

というマイ仮説の立証にまた一歩近づいたな、という落としどころを得たことで、どうにか溜飲を下げて帰宅しました。

いや、過ぎた話なんでただの笑い話なんですけど、いま思い返してもあの訪問者が「逆にわかりやすくて助かったな」とは思います。偉そうな人が自信や実力の欠如に怯えていることとか、提灯持ちや太鼓持ちに恵まれる人が友達という宝物に飢えていることとか、既存の枠組みを壊せないでなにが創作だよ、とか。

もろもろ考えているうちにお腹が空いたので、その日はテイクアウトしたサンドイッチと、別件で都心に出かけていた夫が買ってきた「なんかお洒落なサラダ」(夫談。正式名称不明)を夕飯にしました。

「なんで『なんかお洒落』なの?」との問いに夫が「都会のデパ地下で売ってたから」と答えたので、反射的に「大都会」のさわりを歌いました。食事中に歌っても咎められないのが、今の生活の魅力のひとつです。

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