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短歌 世の希望

深夜ラジオこんな時間に真剣にネタを練る人こそ世の希望

近いうち人工知能は失恋や死別を歌うがくしゃみはできまい

弾けたらオシマイだから風船を心に喩えるのはやめてくれ


夜はぐっすりマンなので、めったにリアタイできないのですが、深夜ラジオ(JUNKやANN)をよくradikoのタイムフリーで聴きます。

我が家はふたりして、字幕や煽りだらけの映像メディア(テレビやyoutube)が苦手です。ラジオは、距離感というか、空気感というか、そういうのがフィットするんです。ポッドキャストも好きな番組がたくさんあるんですが、可処分時間が圧倒的に足りないので、積読ならぬ積ん聴きがじゃんじゃんたまっています。ありがたいことです。

たまにうまく眠れない夜があって、どうがんばっても(というか、がんばればがんばるほど)眠れない夜には、深夜ラジオをリアタイで聴きます。

草木も眠る丑三つ時、なにかと心細かったり、不安が増大したり、負の感情が膨れ上がったりしがちですが、現代の魔物が跳梁するのは、実はラジオの中なんじゃないかと思うのです。魔物とは、つまり深夜ラジオの存在。

ド深夜に生放送でしゃべくるパーソナリティはもちろん、そこにネタで参戦するリスナーたちがいる、そのことだけで、驚くほど孤独感が解消されていくのは、もう何度も経験していることです。

何よりもいいのは、内容がとにかくくだらないこと(褒めてます)。同じ番組を聴いている人たちがいる。お下品なネタでゲラゲラ(というよりは「クスクス」かな)笑える同士のような、そんなゆる~い連帯感が沁みるのです。下品さに自覚的なぶん、お行儀が良いだけのなんちゃらよりずっと好感が持てるし。

互いに干渉しずぎない関係のような、「ちょうどいい」メディア、それが私にとってのラジオです。これを書いている今は「伊集院光・深夜の馬鹿力」を聴いています。読書に集中しているはずのテーブル対面に座る夫が、時折クックと笑っているのは、間違いなくラジオのせいです。なぜなら彼が読んでるのは「伽羅を焚く」(竹西寛子著)だからです。

うるう日でしたが、平常運転の我が家です。明日が金曜日という事実だけで、今日もいい夢が見られそうです。

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