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せっかく振り絞った勇気が2秒で無に帰した話をしよう

おはようございます、笹塚です。このところ「今日の短歌」にすっかりはまっています。生活にそくして一首を丹念に詠む、という一連の流れがとても楽しくて、「あ、これ歌になるかなー」という視点で日々を過ごすと生活が彩りを増すことを発見してゴキゲンです。

今日の短歌(5月7日~13日)

先週土曜日から昨日までの作品を掲載しておきます。

それでいいんじゃん

ところで、北海道帯広市に「チーズミート」という名物があるそうです。とろけるチーズをたっぷり熱々鉄板の上にのせて、オーブンで焼き上げたミートソーススパゲティのことです。私は北海道生まれですが、出生地は西部だったので、最近までその存在を知りませんでした。

それで、少し前になるのですが都内某所でもこの「チーズミート」こと「チーミー」が食べられたのです(期間限定だったみたいです)。ハイカロリーの予感におののきつつ、その日は仕事を頑張ったので、トライしてみよう!と思って注文しようとしました。

メニューをよくみると、「恥ずかしがらずに『チーミー』とオーダーしてくださいね」と書いてあるのです。さっそく脳内でシミュレーションが始まります。「チーミーください」。「チーミーお願いします」。「チーミーをひとつで」。

……なんだろう。なんとなく気恥ずかしい。この感覚は、カラオケで字幕に出てくるけど歌詞本体ではない「Wow Wow」とか「Yeah」とかを歌うか歌わないかで迷って、結局歌わなかったときの気まずさに似ています。

店員さんの呼び出しベルを押し、運命の時へのカウントダウンが始まります。どうする私、特段がんばらなくていい場面で勇気を振り絞るのか?

「ご注文をどうぞ」
「あ、はい。(ごくり)……チーミーください」

言った、言ってやったぜ! すると、そんなちっぽけな達成感に浸る隙もなく、店員さんから衝撃の一言が。

「チーズミートおひとつですね」

……それでいいんじゃん、なんかこっちが無理してこなれ感を出しちゃった感じじゃん、ものっそいむずがゆいよ……(内心もだえる笹塚)。

でも、しばらく待って出てきたチーミー、もといチーズミートソーススパゲティはとても美味だったので、めでたしめでたし。

余白の意味

話は戻りますが、「今日の短歌」は生活に密着した作歌を意識することで、生活の見え方、もっといえば質そのものが磨かれるような感覚が鍛えられると感じています。「日常生活を描く」という一種の制約が、逆に想像力をかき立ててくれるというか。

五七五七七、という定型が詩情に力を与えることにも、似たようなことが言えるのかもしれません。字数に制限があることが翻って表現の可能性の無限さ、余白を生んでいるのだと思います。

ところで、武田砂鉄著「わかりやすさの罪」を読みました。普段ラジオで砂鉄さんの声を聴いているのですが、(昨日もアシタノカレッジを聴いていました)、本でも切れ味は抜群でした。

私なりの感想を述べれば、「わかりやすさはイコール正しさではない」。そして「じゃあ、そもそも正しさってなんだ」とか「『わかる』という状態ってなんだ」とか、もう一歩二歩踏み込んで、多層的に物事を考えて、すぐに結論や答えを出さずに「わからない」余地を残すことが、思考の営みには重要なのだと感じ取りました。もう二周はしたいと思います。

昨今もてはやされる「効率的」なこと、「利便性が高い」こと、「即効性」などには往々にして余白がありません。余白は無駄とか不要なものとされがちです。でも、その余白にこそ、思考の意味、可能性が浮遊しているのではないだろうか、なんてことをつらつらと考えています。

それでは、皆さまよい週末を。

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