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鬼との親睦会

東西問わず、いかなる国や世界において、
「魔なるもの」は存在している。

自然の猛威や不条理との不可避な衝突。
運の交差から物事が思う様にならない時など、
それらを何者かの仕業と信じることで、
不思議と気が楽になったりする。

陰極と陽極。
この2つの中心勢力から、バランスの保たれた状態にあると、人は「幸せ」を感じるのかもしれない。

クリムトの作品に心惹かれたのは、聖と魔の融合や、二極それぞれの役割から均衡を見出せた様な気がしたからであろう。

日本では、その姿なき、聖と表裏をなす者として、「鬼」の存在がある。

人が亡くなると、その魂が神となったものを尊ぶ
御霊信仰があることから、彼等は混沌に潜む超越的な力を以て禍福をもたらすものとして、時に、神や霊と見なされてきた。

その民族的心性は、「鬼神」として鬼が神として祀られる鬼神社や、暮らしの鬼のところで「節分の鬼」や「鬼瓦」などがあることからも窺い知れる。

芸能の分野では、お能の世界における「般若」が浮かぶ。お能の鬼は、「鬼畜物」「鬼退治物」「般若物」など、実に多彩だ。

お能に見られる鬼の形相をしたお面には、神から威力を授かる鬼面もあれば、生霊や死霊を写した怨霊面もあり、そこに怪奇趣味はなく、人知の及ばない隠れた存在への畏怖であったり、極限に追いつめられた存在の、人間的な絆の回復を求める哀切な祈りがこもっているように感じられる。

いずれも超自然的なものに帰依していることから、
鬼なるものを内に抱くことは必ずしも悪いことではなく、あらゆる物事の本来の在り方や真実の姿が見出だせると考えるのが正しいのかもしれない。

鬼がその偉大なる魔王としての力を失わない為に、
自身の内なる小鬼と定期的に親睦会を開いてみたいと思うのは私だけだろうか。

鬼は外、福は内。
善神と邪鬼のバランス。

日常をより清く、軽やかに。
一人でも多く、微笑むことが出来る様に。