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ユング心理学・箱庭療法から考察する「君たちはどう生きるか」ネタバレあり

宮崎駿の新作を観てきました。まだ一度目の感想ですが、書き連ねます。

簡潔に書くとしたら、コレは宮崎駿の遺言だと思いました。本当に最後の遺作になるかもしれないと。

これまでのジブリが宮崎駿の果汁30%くらいのジュースで、君たちはどう生きるかは、原液、100%だと思う。

なのであちらこちらで、これまでの作品に似たシーンが山ほど出てきますが、二番煎じと書く人もいますがそれは逆で、宮崎駿が繰り返し伝えたいことの象徴なのだと思われます。


以下、ネタバレ含む考察です。


視点①母親が恋しい気持ち

冒頭のシーンから最後まで、激しく「母」を求める主人公。これは分かりやすく、宮崎駿が母親を恋しく思う気持ちだと思い、観ていました。
観覧後、宮崎駿の母親とのエピソードを調べましたが、甘えたい、母に触れたかった気持ちが今も残っているのだと思われます。
母を探しに行くストーリーだと思っていたら、途中から継母を探しているストーリーになり、その辺りはよく分からないと思いましたが、継母=母ではないでしょうから、お腹の中の子、腹違いの兄弟、胎児を探している=未だ見ぬ未知の可能性を探しているということで仮定しておきます。

ちなみにあちらの世界で「ヒミ」という名を聞いたときには、卑弥呼=女王=母親はあの人だろうな~と思いました。母親がすぐに認識できた為に、母探しが終わっても意味不明、とは思いませんでした。

視点②後継者を望む心とエゴ

主人公が宮崎駿であると同時に、大叔父もまた、宮崎駿でもあります。大叔父はあちらの世界の創造神であり、父親の象徴でもあります。
つまりあちらの世界(ジブリ・宮崎駿の世界)の後継者を探しているが、もう時間がない。

血の繋がったもの(後継者)を熱望しているが、二度も断られてしまう。最後、世界は崩壊してしまいましたが、主人公の選択を邪魔するようなことはしませんでした。

主人公は宮崎駿でもありますが、息子、宮崎吾朗でもあると思われます。継母(腹の中の未知の可能性)を探しているのは宮崎駿ではなく、宮崎吾朗であると考えるとスッキリします。
そして継母(の腹の中の胎児)をあちらの世界に呼んだ理由が、後継者を産ませるためと思うと、ちょっと怖いなと思いますね…。

視点③白いやつら

木霊のような白いやつらが出てきます。「わらわら」というそうですが、これの書き方が今までとちょっと違う。

木霊はそれぞれに個性があり、書き分けられていると分かりますが、わらわらは、書き分けがされておらず、見ていてなんともつまらない、有象無象なのです。
時期が来た、とキリコが言い、上の世界へ産まれにゆく。そのシーンは、まるで海中の珊瑚の産卵のよう。天敵に食べられてしまうのも、自然の摂理。

あちらの世界がジブリ世界を象徴しているのだと仮定すると、わらわらは若きクリエイター達なのかもしれません。
それともう一つ…、有象無象、「君たちは…」つまり、わらわらは映画を観る全ての人達、これからの未来を生きていく者たちでもあるのです。

視点④息絶えるペリカン

ペリカンのワンシーンを観て思い出したのは、もののけ姫の包帯を巻いた人達の長老のセリフ。自身を「呪われた身」と話す。そしてペリカンも、ここから離れたくても離れられないこと、他に食べ物がなく、わらわらを食べるしかないこと。

そういった、自分たちで運命を選べなかった人達の歴史を忘れないでほしい、という叫びに見えます。
生きていくことは、なにかの犠牲の上に立っているのだと、私達もまた、生き物を食べ、切り開いた土地の上に立ち、生きているのだと思わされました。


視点⑤自分の人生の扉を離すな

物語の中盤、数字が書かれた扉が並ぶ回廊が現れます。扉は現在と未来(可能性)を象徴するもの。ずらりと並ぶ扉は、たくさんの可能性を示唆しています。ですがヒミは、これがあなたの扉だと示す。
その扉のドアノブを握りしめた時、「決してドアノブを離さないで」と、忠告します。そして眞人が飛ばされそうになった時、「自分の人生の扉を手放すな」と言います。

人生の選択の場面だと感じました。これからの未来を生きていく私達に、自分が選び取ったものは手放すなと、そして扉の向こう側、宮崎駿の魔法が解けた時に、少しの間覚えていてほしい、眞人のポケットから出てくる小石からは、私が死んでから、ずっととは言わない、少しの間、忘れないでいてほしい、というメッセージのように思いました。



✳✳✳

もう、象徴的なシーンが多すぎて、全部は取り上げられませんが、何度も観て、分からない部分を考察して、また観て、と受け止めたい映画だと思います。

物語が整理され羅列しているというものではなく、宮崎駿の内から溢れるメッセージ(象徴)が夢の中の世界のように次々と現れる。まるで不思議の国のアリスのような、理屈で説明できない世界に襲われます。
起承転結、説明が欲しい人にとっては難解で、つまらないと思う人がいるのも納得します。

映画を観ている間、宮崎駿はこの映画を本当の最後だと思っているのだろうと、もう新作は出てこないのかもしれないと思うと込み上げてくるものがありました。

最後のエンドロールの豪華さに驚きつつ、米津玄師の地球儀に心を打たれ、「宮崎駿」の名前が出てきた時には、父を看取るような、最後の言葉を聞いたような、そんな気持ちになり、涙が止まりませんでした。

とはいえ、泣いていたのは私と私の妹、後ろの方の席の方、3名くらいのものでした。
常日頃、もしくは現在、死生観や生きていくことの意味を考えている者にしか、伝わらないのかもしれません。
今まで生きてきた足跡を、今まで何を考えて生きてきたのかを、試されるような映画です。

ですが、これからたくさんの考察が出てくるでしょうから、レビューや考察を観て、映画を観るのもまた、楽しいだろうと思います。


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