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「イメージの心理学」河合隼雄著|ココカリ心理学コラム

知人によく質問されるのは、「カウンセリングの場面でネガティブをもらって、カウンセラー自身が病むことはないのか?」カウンセリングの瞬間ばかりに気を取られていると食らってしまうかもしれない。全体の中でその言動現象は何を示唆しているのかという間主観の態度でいれば、当然多少は食らうものの、カウンセラーの内的世界まで侵されることはない。「強いですね」と言われるが、強さではない。理論であり、技術であり、経験からそれができるようになっただけだ。私は世の中で人間以上に面白くて飽きない対象物はないと思っている。対人援助職を行い続けるため、また好きであり続けるためには、他者から自分を守る術も身につけないといけない。

「イメージの心理学 新装版」河合隼雄著(2020)

イメージの世界で話を聴くということは、「夢を現実のように、現実を夢のように」聴いている、といっていいかもしれない。一言一句逃さない、というような態度ではなく、全体的にぼんやりと、と言うべきような、こちらの意識の次元も深くさる態度で聴いているということ。

心理療法の過程を、治療者とクライエントの両者をも含めて、全体を客観化してみるような「目」が必要である。目が強すぎると、過程を壊すようなことになるが、弱すぎると、危険を防止できない。心理療法の場面は危険に満ちており、在りていに言えば「狂」の世界に限りなく接近し、あるいはそこに落ち込んでしまう可能性を持っている。

心理療法家は常にあらゆる面において、逆説的な状況に置かれており、その状況に耐えて、簡単には一方へと傾斜していかないことが必要である。

面倒を避ける態度からは、創造は出て来ない。葛藤を抱きかかえていることは、実に大量の心的エネルギーを必要とする。天才と言われる人は、そのような凄まじいエネルギー消費に耐える人である。

吾れ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順う。
七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず(のりをこえず)

五十から向かう方向が回転している。三十から五十に向かう方向をそのまま維持する考えでゆくと、老年を完成へと導けないのではなかろうか。