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マスメディアで形成される沈黙の螺旋|臨床心理士への随録 心理学

近年はマスメディアをマスコミと呼ぶことが多いので、まずは言葉の定義から。「マスメディア」は、マスコミュニケーションするための媒体、テレビ、ラジオ、新聞、書籍などの総称です。「マスコミュニケーション」とは、マスメディアを用いて不特定多数の大衆に一方的に大量の情報を伝達すること、となります。

社会心理学の研究領域に、マスコミュニケーションがあるんですよ。政治、特に投票行動との関連性を調べたのが始まりだったようです。ちなみに世論調査の報道が投票に及ぼす影響については「アナウンスメント効果」が知られています。インターネットの台頭やコンピュータ・テクノロジーの発展により、メディアやコミュニケーションの仕方は多様極まる現代ですが、今日は古典にお付き合いください。

ドイツの政治学者ノイマンが唱えた「沈黙の螺旋」という世論形成の理論モデルをご存知でしょうか。これはマスコミュニケーションにおいて、同調を求める社会的圧力により少数派が沈黙を余儀なくされていく過程を示しています。

民主主義の悪しき誤認(民主主義の原則 ー多数決の原理と少数派の権利)なのでしょうが、多数派の意見(=勝ち馬)に乗っておけば安心って感じ、未だにありますよね。そして、みんなが見ている(わけではないのだけれど)マスメディアからの情報は、多数派の意見と認知されやすい特性があります。マスメディアを通じて形成される個人が多数派だと認識する世論は、同調圧力を持ちはじめます。

人間は自分の意見が世の中で多数派か少数派かを判断する統計能力を持ち、そして少数派の人々は孤立と弾圧を恐れます。どの意見が多数派なのかをマスメディアが持続的に提示することで、無根拠に多数派の声は大きくなり、少数派は沈黙へと向かいます。この循環過程で公的な表明や沈黙が竜巻のように大きくなり、世論の収斂が起こるのです。

この理論は「人は基本的に孤独を恐れるため、己の意見が多数派だと認知すると意見を表明し、少数派だと認知すると沈黙する」という仮説に基づいています。ここで私が考えたのは、①孤独を恐れない。孤独も自分の一部だと受容する ②自分の意見はまず自分が支持してあげたい ということでして。

人は元来孤独な存在です。他人を完全理解することは不可能で、自分のことしか理解できない(それすらも怪しい…)のですから。異論はないでしょう。だからこそ、他者との繋がりを実感できたときに、喜びや幸福を感じるのです。独りであること、未熟であることが起点だと、思春期に読んだ高野悦子著「二十歳の原点」に教わりました。孤独で当たり前、繋がりがあればもうけもの。孤独であるという前提に立つことが、自立の一歩目だと考えています。

多数派/少数派、意見を表明する/しないなんかは後回しでよくて、まずは自分がそう思った(考えた、感じた)ことを、自分自身が認めてあげることから。自分の考えが良いか悪いかではなく、そう考える自分がここにいる、という受け入れです。エリクソンが青年期の発達課題に掲げるアイデンティティ(自我同一性)の確立、つまり自分は自分であるという概念の獲得は、やはり命題なのです。

玉石混淆の情報がうごめく現代社会です。メディアの情報に踊らされぬよう、眉唾で物事をみる、角度の違う情報に複数ふれる、一次情報を探るなどの工夫はできます。鵜呑みにしないことです。そして、情報の判断軸を自分に置くこと。いろいろな意見がある中で、自分はどう考えたのか、なぜそう考えたのか、そう考えた自分がここにいるのだと認めること。これが沈黙の螺旋に巻き込まれない術ですね。

蛇足。「沈黙の螺旋」って言葉、カッコよくないですか?私のなかの中二心がくすぐられます。スティーヴン・セガールが出てきそう。