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「エディプスコンプレックス、子からみるとき親からみるとき」 臨床心理士への随録 心理学

まず「コンプレックス」という言葉。日常語では「劣等感」に近い意味で用いられるが、心理学では「葛藤」という様々な感情の複合体を意味する。

閑話休題。COMPLEXってカッコよかったよなあ。リアルタイムより2〜3年後世代だけど、高校のカラオケでは「恋をとめないで」をみんなで大合唱していた。Wikiで調べたら、吉川晃司の洋楽に対する劣等感から結成し、お互いの音楽性への葛藤で解散に至ったんだと。本編に戻ろう。

エディプスコンプレックスとは、フロイトの発達心理学における、3〜6才の男根期の心理的葛藤である。経過としては、リビドーがペニスへ移動する→男女差を認識する→性交を求める→母との性交を求める→父親を憎悪する→去勢不安に陥る→母への愛と父への憎しみを抑圧する→父と自己の同一視(化)を行う→超自我と性役割を獲得する、となる。女児の場合はエレクトラコンプレックスと呼ばれる。 

発達的な意味としては2つあり、ひとつはこの葛藤の完了により超自我が形成される。異性の親への性愛を抑圧することが世界の道徳や規律を知ることにつながり、道徳原則が形成される。もうひとつは性役割の獲得である。同性の親への同一視を通じて、性らしさ、価値観、態度が獲得される。

イド、超自我、自我の構造論の説明を少し。イドにはリビドーが備蓄されており、快楽原則に基づいて活動しようとする。超自我とは親や社会によって形成された価値観であり、道徳原則に基づき、イドを検閲する。イドと超自我は対立関係にある。自我は、イド・超自我・外界からの要求に対し、現実原則に従って調整する。

超自我が育つと、暴れるイドを牽制することができるようになり、自我を保てるようになる。人格が形成されるのだ。フロイトはすべての根源は性的エネルギーにあるという偏った理念をもつ人なので、これら全ての理論が正しいとは思わないが、考え方のひとつとしては面白い。

親殺しの夢をみる人は少なくない。何歳の時にどんな環境でみたかによってもその解釈は異なるだろうが、エディプスコンプレックスの訪れや終結を示唆しているとも云える。乳児や幼児にとって親は絶対神であるが、だんだんとラスボス的存在になってくる。苦しい葛藤の末に心理的に親を踏み倒して行くことが自立のひとつであると私は思っている。

このとき、子に殺されることを容認できない親がいる。親子分離は親側に問題がある場合もある。夜のデイトは危険すぎるからなんて、だからどうした、お前の気持ちだろ。そのドアを力いっぱい閉めれば済む事さ。いつまで少女でいる気なのさと、子どもの自世界への旅立ちを、気兼ねなく後押しできる親でありたいと願う。