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愛娘が大学受験で得たもの|日乃心記

2023.3.xx
学ばせてもらった。挑んだ人間がその過程で何を得るのかを。

本年度は娘氏の二度目の大学受験だった。高校1,2年次から自分の興味がどこに向くのかを意識的に広げてきた彼女、最終的に建築学に定めたようだ。現役では各大学の教授の経歴等を調べ、その師の元で学びたいと思える大学のみを受験した。結果はすべて不合格であった。

失意の時期を経て、予備校に通う意欲を取り戻した。クラスは「難関国公立大理系コース」。別に昨年以上の難関大に設定しなくてもよくないか?と問うと、「目標を昨年と同じにすると、モチベーションを一年間も維持できない気がする。高みを目指す」そう言って、自分で決めてきた。

私は彼女のこの一年間の努力を、同じ屋根の下で見てきた。成績が思うように上がらずに気持ちが落ち込んだ時期もあるけれど、周囲の力も活用しつつ、結局は自分の力で浮上させて、根気強くやり通していた。

結果は、第一志望は不合格。私立大学へ進学することとなった。

ショックだったと思う。勝負事には勝ち負けが存在する。負ければ悔しい。本気で挑めば、そのぶん悔しさは倍増する。数日経過後に、この先の進退を問うた。

「受かった私大に行くよ。建築学科だし、いい先生いるっぽいし。第一志望校の不合格は残念だったけど、やり切ったし。昨年は頑張れない自分が不甲斐なくて、それが悔しかった。今年は頑張れた。私は頑張れる人間だと再び思えた。だからもう大丈夫、ここで終了させる」

ああ、この子はすごいなと。彼女はこの一年で、結果以上に大切なものを手に入れた。この先の人生において一番の武器になる「自分を信じれるこころ」を獲得したのだ。彼女の大学受験は成功したのだ。

当然、結果も大切だ。しかし結果を重視しすぎると、自己イメージが歪む。過程も重視することで、開かれた強いこころがつくられる。挑戦すること、打ち込むこと。その苦しい過程の中で自信の基盤が育まれる。

負けるから自信を失うのではない。他人や社会の基準に委ねて、本来の自分の在り方を放棄するから、自信を失うのである。外界からの評価は、自信をもたらさない。自分らしい生き方を貫くから、自信を得るのである。

結果だけにとらわれない強さを手に入れた、自分の道を進む愛娘へ。こころの底からから、「大学合格おめでとう、頑張ったな」。