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正義

世界の中で人間がいる場所には、それぞれ違う歴史(経験)がある。
歴史と表現すると、まるで遠い世界の物語のように聞こえる。
ある意味、勝者の書いた歴史は、ただの物語で遠い世界の話のようなものなのだが。

自己の正義が念頭に置かれて、勝者の書は書かれている。
だから、その書の中には本当の正義は書かれていない。誰の目から見たものが本当の正義なのか誰にも区別することは出来ない。
掲げられた正義は、大衆向けに考えられた理想なのだ。

国や人種で、経験してきたことが違う。
だから、正義という言葉の意味や考えにも当然違いがある。
歴史や異文化の国を考える時は、あらゆる面でそれらを加味する必要がある。

日本の正義と諸外国の正義は違う。その諸外国もそれぞれ違う。
日本人の正義、白人の正義、黒人の正義など人種でも異なる。

こんな現象を目の当たりにしたことがあるだろう。
正義の概念が優秀なほど負ける。
正義の概念が希薄なほど勝てる。
正義の概念を研究しているほど勝てる。
常識を重んじるほど負ける。
非常識なほど勝てる。
ずるいほど出世する。
真面目なほど出世しない。
不満の発言が多いほど出世する。
こなせる人ほど出世しない。

一般的なところまで下ろして行けば、まだまだあるが省略する。
要するに正義とか正しいとかは、あくまで個々の概念である。
社会的に見れば、どんな汚い手を使ってものし上がった者が勝者。
ということは、社会に対し人間性を高めたり、良い振る舞いを行うものは、正義なのか。
腹の黒くない政治家がいるだろうか。それらが正義と呼べるだろうか。

しかしながら正義は、強く優秀なものを持った方が良い。
ただ、他の正義を研究し熟知しなければならない。
勝ち負けではないが「守れない。」と、いうのは負けるということだ。
どれほどの正義も負けるのでは意味がないのだ。

正義を見直し、その正義で大切な物事を守れるものにしたい。
日本は、島国である独特の正義がある。
欧米は、常に侵略の歴史であり、そこで通用する正義がある。
関わる必要のない社会と関わることで、正義の定義の変更を余儀なくされる。

日本の正義は、世界でも特殊であることを知った方が良いだろう。
それを嫌な世の中だというならば、鎖国するしかない。
そもそも日本の失敗の始まりは、開国したことにある。

正義も文化も独特の発展を遂げて昇華した珍しい国であったのだ。
開国して異文化を取り込んだ時点で、日本は賛成多数決で負けてしまった。
だから、正義を語るときに「日本は、」などとというのは失った時代を懐かしく語るようなもので、全く意味がないことなのだ。

何が言いたいのか、正義を語るならば、地球規模で考えられた国などを超越したものでなければならない。どの国のどんな文化の人も耳を傾けるような正義でなくてはならない。

軽々しく正義を語ることなど許されないのだ。
もしも正義があるというのならば、それは宇宙の誕生を説明するのに等しい。