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はじめまして。
まどかといいます。
よろしくお願いします!

とっても年上の夫、小学校1年生の娘、猫2匹と暮らしています。

娘は生まれつき片耳難聴があります。
日常生活には支障がなくて、母親の私も片耳しか聞こえていないことを
つい忘れてしまうくらいです。

小学校に入学すると、片耳しか聞こえないことで
困ることも出てきました。
さらに、娘はどうやら発達障害と学習障害もあるようです。
「あるようです。」と書いたのは、この文章を書いている時点で
正式に主治医から診断を受けてはいないからです。
(追記 2023/10/4に診断されました。)

学校での困りごとが、耳によるものなのか、発達によるものなのか
学習障害によるものなのか、わからないけれど
わからないなりに、ひとつひとつ前に進んでいきたいなと思っています。

わからないことがあると、まずは、ググります。
ググってみても、娘のように、片耳難聴×発達障害×学習障害を
併発している方の体験談は見つけられませんでした。

仲良しのママ友はいるけれど、
娘のことを深く相談することはできません。

私が、娘のことを通して、調べてきたことや
感じていること、困りごとに対して、どんなふうに工夫をしているのかなどを、少しずつ発信していくことで
もしかしたら、誰かの何かのヒントや気づきになるかもしれないし
あわよくば、同じ子育てで悩みを持つママさんやパパさんたちと
お知り合いになって、仲良くできるかもしれないと思って
noteを始めてみることにしました。

もしよかったら、気軽にコメントをいただけたら、とても嬉しいですし
励みになります!

私自身は、生まれてきてからこれまで
結構、波瀾万丈な人生を送ってきました。
多くのどん底も経験したけれど、その都度、乗り越えてもきました。
どんなふうに乗り越えてきたのかも、少しずつ書いてみたいと思っています。

心のしくみ、心と体のつながりに興味関心があって、ずっと探求してきました。
本を読むこともとても好きです。読んだ本についても紹介していきたいなと思います。

以下は、自己紹介のロングバージョンです。ご興味のある方は、つづきをどうぞ。

子ども時代の様々な経験

未就学児の頃、どうやら大人の心を読み取っていたようで、私自身はあまり覚えていないのですが、母親からは「いつも何を言い出すかわからないから、ひやひやしていた」と言われていました。子どもにしては、大人をはっとさせるようなことを言っていたそうで、母親の入れ知恵だろうと言われるのが母は嫌だったようです。笑。

小学校は引っ越しが多く、4つの学校に通いました。

ある学校では人気者になり、ある学校ではいじめられました。
私という人間は、私のままで何も変わらないのに、私が置かれた環境によって人からの扱いが変わることが不思議でなりませんでした。
このころから、自分や他人をどこか遠くから見ているような俯瞰的な視点を身に着けたように思います。

私が10歳のときに両親が離婚しました。

両親と祖父母が集まって離婚に向けた話し合いの席で父や父方の祖父母はお金の話ばかりでうんざりしたことを昨日のことのように鮮明に覚えています。私や妹、母のことを考えてはくれていないのだと失望しました。

経済的に裕福とはいえないながらも、まともな生活をさせてくれた母親には感謝をしています。ただ、経済的な理由で、高校や大学は家から通える範囲で国公立と選択肢は多くはありませんでした。たくさん勉強して、希望校に合格することができました。

子どものころから、人はなぜ病気になるのか?心の病とは何なのか?に関心があり、看護師の道へ進むことを決めました。

看護師としてキャリアを積み上げる

看護大学を卒業後、大学病院、訪問看護ステーションでがん緩和ケアと在宅看取りを専門とする看護師として働いていました。

多くの患者さんをお看取りするなかで、人の生き様は、そのまま死に様になるのだなということを教えていただきました。

つまり、いつも人に優しく生きていらっしゃった方は、本来なら、がんによる痛みでつらいはずなのに、その痛みをなぜかあまり感じられていず、家族に見守られながら穏やかに旅立っていきます。

逆に、いつも人に対して罵声を浴びせるように生きていらっしゃった方は本来ならいつ亡くなってもおかしくない身体の状態なのに、なかなか旅立ちができず、医療の力では苦痛が緩和されずとても苦しい状態が続いていました。

これらの経験から、私は自分にも人にも誠実に生きようと誓いました。

お家で患者さんをお看取りするには、患者さんの家族のサポートも大切です。家族への看護を専門的に学びたいと考え、大学院に進学しました。
家族看護学を専門に学んだあとは、看護大学で在宅看護を教える教員となりました

多忙を極め、うつ病を発症。そして回復へ

看護大学で教員をしていた時期に、前夫と離婚。そして今の夫と再婚し、娘を出産しました。

プライベートでも生活が激変するイベントが続くなか、仕事が忙しいにも関わらず、さらにキャリアを積むために大学院博士課程へ進学しました。

仕事、育児、家事、学業に奮闘し、体調を崩しがちになっていたのですが、休まずに突き進んでいたら、ある日突然、強制終了がかかり、うつ病と診断されました。

その後、数か月間は寝たきりの状態になりました。この頃の記憶はあまりありません。。。

その日から、私の世界から色が消え、モノクロの世界になってしまいました。当時3歳だった娘のお世話もろくにできないどころか、自分のことさえ、まともにできなくなり、絶望しました。

うつ病は再発するという知識があったため、回復しても同じ環境に戻れば、また再発のリスクが高くなるだろうと考え、これまで積み上げてきたキャリアをすべて諦め、大学教員を辞め、大学院も退学し、研究活動もすべてやめました。この決断は、これまでの人生を全て否定するようで、本当に辛かったです。

少しずつ、少しずつ、日常生活をまともに過ごせるようになったとき、リハビリの目的で、キャンドル作り、タロット占い、カラーセラピー、アクセサリ作りなどを趣味として始めました。どれも色がたくさんあるから、選びました。モノクロの世界が本当につらかったのです。

たくさん取り組んでみたもののうち、キャンドル作りとタロット占いについては、楽しくつづけられ、それらを活かしてサロンを開業することに決めました。

うつ病は2年通院し、寛解したことで、お薬を卒業できました。

サロン開業

心地よく 未来を 創造するを大切にしている思いから
屋号を「ここみらクリエーション」としました。

事業内容は、キャンドル販売と相談業です。

キャンドル販売については、当初、委託販売もお受けしましたが、お一人お一人にじっくりご希望を伺ったうえで、世界に一つだけのオリジナルキャンドルを生み出すことに、喜びをより大きく感じることがわかってからは、大量生産・受注はお受けせず、完全オーダーメイドのキャンドルを制作・販売しております。

相談業については、いわゆるスピリチュアルセッションをメインとしていました。様々なツールを学び、タロットやオラクルカードを用いたリーディング、チャネリング、ヒーリングもできるようになりました。

お客様が笑顔になる瞬間が何より嬉しかったです。

この頃は、外来クリニックの看護師をしながら、キャンドル制作とスピリチュアルセッションを行っていました。

うつ病の再発

2022年の夏に、父が亡くなりました。
父、といっても実父ではなく、母のパートナーです。
私が看取りの看護師をしていた経験から
家族に頼られていて、また、私もみんなの役に立ちたかったという
想いでいました。

危篤と言われる状態が長く続いたことで、眠れない日が続きました。
父が亡くなった後、通常通りに働いていたのですが
肩が上がらなくなったり、動悸がするようになったり、眩暈がしたり。。
体調がおかしくなり始めたため、整形外科、心臓内科、婦人科を受診して
色々調べたけれど、異常は見つかりませんでした。

あるとき、鍼灸師のところへ行き、緊張が強いということで
リラックスするような施術をしていただいた日から
全く動けなくなったのです。
ものすごく気をつけていたのに、うつ病を再発してしまいました。
外来クリニックは休職したのち退職。サロンの事業も全て休止しました。

娘が小学校へ入学

2回目のうつ病は1回目の時よりも回復が早かったです。
そろそろ仕事復帰をしたいと検討を始めた頃
娘が小学校へ入学しました。

冒頭の自己紹介にも書いた通り、娘にはたくさんの困りごとがあって
ひとつひとつ環境を整えていく必要がありました。

スクールカウンセラーの先生、きこえの教室の先生
耳鼻科の先生、発達の先生、放課後等デイサービスの先生
これらの先生と連携しています。

1学期は娘の不安が強く、毎日、中休みに学校に行きました。

娘がやりたいというので、水泳と英語の習い事も始めました。

娘中心にスケジュールが組まれるので、私が外で仕事をすることは難しくなりました。

サロン再開〜コミュニティつくり

休止していたサロンを再開します。
娘と真剣に向き合う日々を過ごしてきて
私の中の活動の方向性が変化してきました。

いつも笑っていたいのに、
怒りたくないのに、
娘にキツくいってしまって、罪悪感に苛まれ、涙する日は
少なくありませんでした。

少しずつ、少しずつ、自分と向き合ってきて
今では、だいぶ穏やかに過ごせるようになってきました。

私がただ笑顔で笑っていることが、娘にとって一番嬉しいことなんだなと
実感しているところです。

ですので、これからは、ママが笑顔になれるような活動をメインにしていきます。
これまでのセッションはオンラインが中心でしたが
これからは、地域の人たちとのつながりも積極的に作っていきたいです。

困った時に助け合える、支え合える顔の見えるゆるやかな関係性を作っていきたいです。

コミュニティなんて、どうやってつくっていくのか
全くの未知数だし、どちらかというと、苦手分野なんだけど
子どもたちが、のびのびと個性を輝かせながら笑顔で暮らせる世界を
残していきたいなっていう気持ちが強いです。

私がこの世を去るときに、娘はみんなに支えられているから大丈夫って
安心したいなって思うのです。

目の前のことから、ひとつひとつ丁寧に取り組んでいきますので
どうぞよろしくお願いします。

とても長い自己紹介を最後まで読んでくださりありがとうございます。



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