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ヤングケアラーについて

実は去年くらいから、「親や障害をもった親族の介護をするはめになっている子ども」を支援するための法律が出来たそうです。

(子ども・若者育成支援推進法というらしいです)


私は先週完全にに寝込んでいて、たまたまスマホでTiktokを見てポイント稼ぎをしていたら、福祉関連の広告がでました。珍しいなと思ってクリックしたら、なんか横浜市の相談員さんのラインに繋がりました。

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先週の日曜日だったけど…。しばらくラインを放置していたら、相談員さんのほうから「大丈夫?」って声かけがありました。

(わたしはただ単に内容に興味を持っただけで、しかも39歳までが支援の対象と聞いて問い合わせをやめただけです)

しかし横浜市、子どもがLINEやTiktokをやっているということをよくわかってるな、と思って関心しましたが、「あれ、待てよ」と思いました。

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この「条件」をよく読むと、ぼく自身が「ヤングケアラーの状態だった」という概念に当てはまってしまうじゃないか、と戦慄しました。

そもそも母親が離婚して、すでにいなかった家で、父と祖母に育てられたのです。もともと「父と祖母に育ててもらった」意識は強くありましたが、父が大学のときに急死してから、80歳近い祖母と二人暮らしをしていたということになります。

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「人材」という言葉はぼくは大嫌いなんですが、22歳のときは就職の面接とかたくさん入れていて、東京で就職する準備はしていたので、いきなり予定が狂ったのです。

出版社を何社か受けてましたが、当時新聞社や出版社は1000倍とかいう倍率だったので、受かる見込みは皆無。

しかしどうも今になって思うと、日本人の新卒の就職採用率ってめちゃくちゃ高いし、新卒のとき就職がうまくいかないと後々まであとを引きます。

それに加えて、22歳で、急に祖母と一緒に暮らさなければいけないという状態も、自分が選んだわけではなく、そうするしかなかったのです。この選択のない状態がそのまま「ヤングケアラー」の概念に当てはまるそうで…。

言ってしまえばそこから、20代から30代前半までのほとんどの時間、労働者風にいうとキャリア形成の時間を、まるまる祖母と一緒に過ごしたのでした。

介護ヘルパーさんも、自分につけられる前は、祖母が派遣してもらっていましたし、仕事の合間にわたし自身、ケアマネさんとも話しをしていました。

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で、先生をはじめ今週、うちに出入りしている年長の方や専門家の方にいろいろ聞いてみました。
           
「ぼくってヤングケアラーじゃないですか?」

と自分の環境を話して見たら、

「いまの概念をそのまま適用するかは慎重なんだけど、どう考えても非常識だよね」

と多くの方から返事をもらいました。

一番わかりやすかったのは、年長の方です。

「え、あなたのおばあちゃんって他にお子さんいらしゃらなかったの?」

「いましたいました」

「その人たち何してたの」

「いや、叔父や叔母がいて、一時期預かるという話にはなったんだけど、どうも祖母と折り合いが合わなくて、祖母が逃げ出してきちゃいました」

「えええっ、その叔父さん、自分ができないからって甥っ子に全部まかせて自分は何もしなかったの?」

と聞かれます。

「なんか私の生まれた新潟の家を管理しているのかな、そんな感じです」

「名義は?」

「叔父の名義ですけど」

「それふつうに騙されてると思う…。ちょっと絶句しました…」

となりました。

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そうか、良いように言えば、祖母の面倒をみてもらうかわりに、叔父は家や墓の管理をしてくれているものだと言えるのかもしれません。

しかし法的には、私は、祖母が死ぬ間際から追い込まれて抑うつ状態になっていましたが、それをいいことに、叔父はうちの生家の権利を私から取り上げた、という見方もできちゃう。

「これ、なんかおかしくない?」

と聞いたら、「それはおかしい」と答える人、ほとんどでした。

実際そのあと一言も連絡がないし、家をどうするかみたいな話もないので、私も何も言ってません。そもそも叔父には連絡し難いです。このまま叔父もそろそろなくなると思いますが、何も言わずに死んだら、「まあそういう人だったんだな」と思うしかないでしょうね。

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20代から30代の前半くらいって、こういう言い方をあんまりしないですけど、社会のなかで「人材」としてのキャリアを形成する一番大事な時期なわけです。転職も20代で転職するのか、30代で転職するのかでは全然意味合いが違う。

ぼくの場合、ほんとうは東京で就職したかったし、20代の後半で、短歌という文学を発見した。しかし、そのとき新潟にいて、東京に出て来ない限り何もできないと思いました。

まあ当時、ヤングケアラーという概念もなかったし、「親孝行」としか言われなかったけど、結局、祖母は最後まで横浜で一緒に暮らしていました。

そんな状態に追い込んでおいて、「大学中退して働け」とか言っていじめたり、そもそも高いキャリアを形成するために大学に通ったり学習したりしているのに、親の面倒を押し付けてそのままとか、あきらかに叔父のやり口は、全面的に問題があるよね、といまは思います。

いまさら気づいても遅いし、わたしはもう40代なので、いまから有利な再就職も現実的にできません。

実際、長年ストレスに耐えて生きてきたので、もうすでに働ける状態ではないようです。

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人に「社会常識だから働け」と行ってきた人は3人いました。その人たちは
社会常識という言葉で自分より年下の人間に無理に「働くこと」を強要し、嫌なことも全部押し付けて、自分はいいところだけ持っていく、という人ばかりでした。

そういう意味では、

まだ働くので精一杯なわたしに祖母の面倒を全部押し付けて、その私を叱りつけ、最後は生家を権利まで持っていったとんでもない人間が、私の叔父でしょうし、

結社の元自称仲間は、「働けない人は歌集を出してはいけない」とか暴言を吐いてましたが、その私が「精神病で働けない」のをいいことに、歌会の世話だけでなく、いろいろ個人的な用向きまで面倒を見させていました。

さらに、自分の妻の実家もひどかった。

妻をいじめているのか、とにかく働けないのがわかっているのに、その妻を「働けないなら食うべからず」といっていじめてましたし、長い間入院させていました。私といっしょになったあとも、私に「働け」といいつづけ、びた一文たりとも出そうとしませんでした。

妻が西巻姓になりたがったのは、決して子どもができたからではなく、実家にいられなかったからなのです。

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以前「働かなければいけない」というのは呪いだと書いたことがあります。

その言いつけを過剰に意識しすぎた私は、生家を取られただけでなく、いまどこも仕事先がないし、そもそも働くのが難しい体になってしまいました。
妻も実家から迫害されてうちに来たのです。

その一方で、自分より年上の世代は誰でも、「人に押し付けるのが得意」で、自分が他者を貶めて、楽なポジションについています。

結局なんやかんや言って、弱い人間を人に押し付けて楽をしている人たちばかりが回りにいる、ということになります。

たぶん、単純に「自分のやっていることの意味がわからない」人たちが世の中にはたくさんいるんだろうと思います。

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とにかく「ヤングケアラー」という言葉が生まれたからには、世の中に浸透してほしいし、若い人への支援をしっかりしてほしいと思います。さらにぼくが苦しめられた「常識」もそれにあわせて少しずつ良くなっていってほしい、と思います。

本来こういう言葉は、「精神病」とか「発達障害」もそうですが、人をラベリングするものではなくて、人を救うための言葉です。

そういう言葉が「差別を助長したり」、「できない人に無理になにかを強い」たり、「なにかもっと根源的な社会の悪を隠蔽する」とか、そういうふうに使われないようになってほしいと思います。

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自分を慰めるだけですが、おそらくここまでされて、まだ「世のなかがいいほうに行くように」考えている自分って、多分、まだ偉いほうなんだと思いました。

自分でいうのも変ですが、けっこう人生の「職業選択」とか「趣味」だけではなく、「自分の作品を世の中に問う権利」とか、つい最近まで取られかけていたのです。

これで「世の中に恨みを抱かずに生きる」ってけっこう難しいと思うけど、ぼくは育ちが良すぎるのか、大人になってから「人を救おう」と思うことはあっても、「人を殺そう」と思ったことがないです。

まだ、自分を信じていると言うか、自分の残り時間は少なくなりましたけど、自分の才能を疑ってないからでしょうね。それが唯一の救いです。

これからも、この世の中がよくなるように悩んだりもするし提案もするでしょう。結局制度が人を変えたりするのではなく、「ひとりひとりの意識」が世の中を変えるのだと思います。制度が変わるのは大前提ですが、とにかく個人個人はしっかり「想像力」を持って、いつどこで、「自分に間違えて親がいないだけで、大変な状態になったかもしれない」と考えてほしいと思います…。

僕自身、いまこうして文章を書く機会さえうばわれたら「自己表現のため」にどこかの歩行者天国に車で突っ込むかもしれないとさえ思います。

社会に生きるって、ほんと運なんです。「風が吹けば桶屋が儲かる」式に、自分の知らないところで誰かが「深い心の傷を負っている」可能性があるんです。

               ※

私も、どこかに不幸な状態になっている若い人がいないかよく見ながら、これからも「いつ自分が人に危害を加える老害になるかもしれない」と強く自省して生きていこうと思いました。

なんか夜になって少し体調良くなったので、いまのうちに書きたいことを書きました。

ではまた。


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