思いつきについて
実はかつての「歌だけ作ってる」状況から、「文章も書くよ」みたいな方向へシフトしてから、一番大きく変わったことは、ずばり「思いついたことを遮らないこと」かもしれません。
これまでは、やることが一杯あって(社会生活とか、仕事とか)、ある日あるとき突然沸き起こる「ふとした思いつき」をなるべく抑えて、時間通りに動けるように行動してきました。
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ところが、いまは、「ふとした思いつき」をなるべく止めない方向でnoteなどに発散して書いております。
ぼくの特徴なんですが、何かしているときにかなり高い確率で「あっ、歌のネタ思いついた」「これ文章のネタになる」みたいなことが、1日に3回から4回起こります。
集中して何かをやっているときに、「別のことが思いついてしまう」のはとても困るんですが、以前は、その時違うことをやってたら「だめだめ、いまやってることに集中」ってなってたんですが、いまは、「これ書いてからまたやろう」みたいなふうに代わりました。
そうすると、いままでやってたことと、新たな思いつき、どっちがおもしろいか、みたいな思考になるのです。
だから日常生活はかなり困難だな、と思うんですが、以外と「文章で自分の思ったこと」をまとめられているので、治療的にはいいみたいです。
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「西巻さんいまあきらかに疲れてるけど、そんな言うほど悪くないよ」
と先生。
「自分の症状やその症状の原因をうまく言語化できてるからですかね」
と言ったら、
「まさにそれだよ」
とさっき先生に言われました。
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薬でなんとかして、とにかく眼の前のことに集中、みたいなコンサータ的な治療もあるみたいですが、最近ぼくは不安だから抗不安薬、とか、鬱だから抗うつ薬って言わなくなりました。
逆に「なんでこうなってるのかな」とか、「なにか見つめるのが辛い過去とかあるんじゃないかな」とか、考えるようになりました。
競馬やりすぎたりとか、ゲームやりすぎたりという異常行動も、自分で振り返るようになりました。
これって、「症状としてはだいぶいい状態」みたいです。
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そしてヤングケアラーだったり、いろいろ「周囲の環境にふりまわされてた」ところがあったのは確かだけど、
「西巻さん、いろいろありながらもかなりがんばってきたほうよ」
と言われました。ちょっとうれしい。
自分は、そういう困難があってどうもできなかったのではなく、困難がありながらも、ベストが尽くせたわけではないけど、かなり頑張ってきたほうだと思えるようになりました。だから、自分の人生を卑下しないで、いま「自ら読書三昧の日々」を選んでいます。
いまは大変ですが、これからも頑張ろうと思います。
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ぼくの文章、実はかなり「思いつき」8割ぐらいで、実際記事にするときは思いつきから一応「ちゃんとした意見」になるように、打率が上がるように努力はしているのですが、
どうも4割ぐらいは鋭いことを言っていると思うけど、「思考はコミュニケーションだから、常に100%正確じゃなきゃだめ」派の人とは相性が悪いかも。
文章の精度を上げて、お金がとれる記事を作れるように頑張りたいでーす。
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