見出し画像

わたしたちの原風景

「氷河期世代」はきつかったか


中本速さんがまさに氷河期世代はきつかったか、という話をしている。


ロスジェネ、とか、失われた世代とか、さんざんに言われていて、まあ雇用環境最悪とか就職難とかいろいろ言われてたけど…。

まず氷河期世代ってなにかというと、

ー1993年(平成5年)から2005年(平成17年)に学校卒業期を迎えた世代
(文部省の定義)

私が大学を卒業したのは、2002年(平成14年)3月。
めちゃくちゃ氷河期世代なんですけど...。

で、体感としてどうなのかというと、

「めちゃくちゃきつかったですよ」

というしかない。

別に就職がきつかったとか、困窮してたからではない。(ぼくの場合どのみちどの世代でも就職難だったかも)

学校から不登校者が増え始めて機能しなくなってきて、就職してもサービス残業しろという環境だったり、「企業倫理」なんてものがそもそもなく、「情弱を騙せばいい」みたいなビジネスが横行して、何歳になっても心を痛めるできごとしかなかった。

心ある人たちほど、根強い「社会への不信」を刷り込まれた時代じゃないかな。で、多くの中小企業は「お金を稼ぐ」のに精一杯で、倫理どころじゃなかったと思う。

中学校からやばかった。僕の先輩は鉄パイプで先生を殴って「逮捕」されていたから、荒れてました。そんな原風景です。

中学時代


ぼくは、中学の「部活動」からいきなり社会の「理不尽」に触れる。

そもそもぼくは百人一首と将棋が好きで、百人一首では地区の50人くらいの生徒のなかで準決勝まですすむ。地元のカルタ会に中学になったら入ろうと思ったが、先生の反対にあう。

「課外活動は内申点でないよ」

いまから考えると、大人とまじってカルタやるほうが全然いいと思うんだけど...。

「将棋はどうですか?」

「将棋はクラブの扱いだから部活じゃない。内申は低くなる」

結局、中1のときに、「内申に不利だから」という理由で、いやいや女子が9割みたいなブラスバンド部に入れさせられたんだけど、学校が苦痛で苦痛でしょうがなかった。図書室に逃げて、本を読むことが唯一の安息みたいな中学校時代。結局不登校になって内申がつかず、高校ではやくもドロップアウトの危機に陥る。

【印象的な体験】

90年にバブル崩壊。91年不況が深刻化。

・「ちびまる子ちゃん」がスタート。
・日本人の毛利さんが宇宙へ行く
・若貴フィーバー
・Jリーグ開幕。
・社会党は土井たか子。マドンナ旋風。

ちょっと以外な話だけど、「まるちゃん」のスタートで、TARAKOさんの個性的な声に惹かれて、声優さんに注目が集まった初期だと思う。

(TARAKOさん自身、ナウシカにちょっと出てたり、当時のドラミちゃん役の横沢さんは、シータの声も担当していて、ギャップに驚く。声優がぽつぽつ話題になりはじめる)

・まるちゃんみたいな面白い作品があるんじゃないかと、純粋に「りぼん」を堂々と買って、岡田あーみんにはまる。「お父さんは心配症」「こいつら100%伝説」など。

・野球中継が延長されるのが日常で親父はアンチ巨人。いつも親父と話しながら、「巨人は金に汚い球団」という感覚を共有した。ぼくは「「野球」というのは延長して他番組を潰す、なんて横暴なスポーツなんだろう」という反発から、アンチ巨人かつアンチセ・リーグになる。当時のひいきは「南海ホークス」。好きな選手は門田。

その後Jリーグ開幕と同時に、そのままサッカーにハマってしばらく野球と絶縁。いまでもサッカーの興奮は忘れず、熱烈なサッカーファンである。

【印象的な事件】

ノストラダムスの大予言とともに、ハルマゲドンが流行し、カルト宗教が人を殺す、というモチーフに驚愕。

1989年~94年 オウム真理教の一連のマスコミ露出・宗教ブーム。坂本弁護士殺害事件(89年)からミニ政党乱立の参議院選挙(真理党)、オウム真理教が話題に。

物心ついたときからずっとオウムだった...。オウムも出てたのは知ってたけど、なぜか左翼・右翼のミニ政党の珍妙な名前に興奮し、逐一暗記する。

1991年 悪魔の詩訳者殺人事件 

イスラム教を悪く書いた「悪魔の詩」という小説を翻訳した大学の助教授が殺され、そのまま未解決となる。

殺された助教授が近くの新潟大学付属から新潟高校へ行った、いわゆる「地元の人」だったことに衝撃を受け、「いや、近所の人も殺される?」と思った。(犯人はおそらくイスラム教のシーア派。イランのテロ組織と推定される)

1991年 ソ連崩壊

まさにそのときの生徒会長選挙の公約が「ペレストロイカ」だった気がするんだけど…。ぼくは、ソ連が崩壊したことより、新たな国が増えて(15カ国くらい増えた)頭を抱えた。「とりあえず受験には出ない」と言われたけど、そんなのどうでもよく、当時全部言えた「世界の国と首都」をもう一度覚え直さなければいけないことに憤慨した。

1993年 金丸信汚職事件

政治家の金丸信さんが起こした大規模汚職。竹下登さんとともに、なんだか自民党に悪いイメージがつく。自民党は金に汚い。というイメージが湧き、ぼくは共産党の集会に出るなどした。竹下さんの消費税導入で、消費税を竹下税という八百屋さんなど、竹下さんは悪者扱いされ、政治家は増税をして汚職するというイメージが流布。「金権政治」などという言葉が生まれる。

1993年 55年体制崩壊

自民党、社会党が惨敗し、「日本新党」の細川さんを中心とした新たな連立政権が誕生。あれ、自民党まけちゃった。

【このころ読んだ本】

ほんとうに読んだ本が人と一致しないんじゃないかな。

太宰治の「人間失格」「射陽」「津軽」他。

すべての文庫はこのとき読んだ。太宰のくるしみを、「まさに自分のくるしみ」だと思う実存の問題が発生。内面探求を文学にかける機運。

吉川英治文庫「三国志」(全10巻)

・スーパーファミコンが普及してきた時期で、ドラクエなどにふつうにはまる。あと、だんだん空想の世界というか、歴史などに逃げることが増える。三国志は「ゲームをやるからにはキャラを覚えないと」と思って読んだ。

・新聞をよみ、父親と政治の話がしたくて漢字にはまる。
 競馬新聞やバスの行先表示で漢字を覚える。

・ジュブナイルも一通り読んだ。
初めてのライトノベルといわれる

深沢美潮「フォーチュン・クエスト」

を友人から紹介され読破。その他学校にあったジュブナイルを次々読む。

氷室冴子「なんて素敵にジャパネスク」
藤川桂介「宇宙皇子」

水野良「ロードス島戦記」など。

何故か頭のなかで古典=宇宙というイメージと、ファンタジーが同居し始める。

寺山修司にはまり、競馬、ギャンブルエッセイにハマる。
山口瞳「草競馬流浪記」
阿佐田哲也「麻雀放浪記」

20歳になったら絶対競馬をすると思っていたが、もう待ちきれず三条競馬場に父親を誘い通う。

こころに平安がなくて、宗教すらもいかがわしいという空気のなか、社会で重大事件が起こりすぎて連日その報道で、日常はいじめの連続。休んだら内申点にならず、高校行けないよと脅された。架空の世界に逃げると、「オタク」蔑視を受け、とにかくなにか逃げ場所がない経験しかない。

ほんと「生まれてすみません」状態。

予備校・高校時代

いじめを苦に中学生が自殺する事件が発生し、「あのとき死んでれば俺も事件になったかなあ」と中学時代を振り返るほど、「死にたい」が深刻化する。実際、文化もめちゃくちゃ死にたくなるのばっかりだった。

・九州井の頭公園、などでバラバラ殺人事件。猟奇殺人が発生。

不吉だなあ。

94年:大江健三郎がノーベル文学賞

大江健三郎という作家を初めて知って読む。初読は『死者の奢り・飼育』だった。

高校になってから図書館が全部簿記や会計の本ばかりになり、十分な本が読めず、買って読むのが中心となる。紀伊國屋書店へいき、当時のわけわからない流行に触れる。

このころ、三島を初めて読む。初読は『金閣寺』。燃えていくイメージが悪魔的で美しいが、同時にこの世紀末的な阿鼻叫喚に、こんな美のイメージは合わないと思った。太宰が以前好きで、あと、宮本輝「優駿」「泥の河」「道頓堀川」など。戦後小説にハマってきて、大江の『個人的な体験』を大学だったか、高3だったかで読んでいたく感動する。

安部公房もこの時期だったか。

小松左京や筒井康隆をどこで知ったかわからない。確かに読んでた。

あと、ジュブナイル以降は田中芳樹を知り、そのまま三国志のあと、架空のスペースファンタジー「銀河英雄伝説」が、そのままぼくの歴史書となった。

94年:野島伸司ブーム(家なき子、高校教師など)

自分のなかで「死にたい」がいよいよ口癖化。野島脚本はいまでは全く顧みられないが、森田童子を初めて知って、いよいよ本格的にフォークの世界へ没頭するきっかけとなる。このころBSフォーク大全集で、一通りのフォークソングを覚えた。浅川マキ、カルメンマキ、森田童子、山崎ハコといった女性歌手も、ディランⅡ、友川かずき、友部正人など男性歌手も、みんなくらくて、みんないい。

ちょっと泣かせる系は「わざとらしくて嫌い」となり、村下孝蔵やバンバンは興味からはずれる。南こうせつは「商業主義で感動させているだけ」と、毛嫌い。

父親の聞いていた谷村新司から堀内孝雄、チョー・ヨンピルといった歌手と、すすめられた井上陽水、安全地帯、中島みゆき、吉田拓郎などと、自分の音楽の嗜好がつながり、ブラバンの影響で聞いたクラシックとフォークばっかり聞いた。

93~94年:「完全自殺マニュアル」がベストセラーに


私たちの時代の聖書である。昨日詩の会でちょっと話したけど、日常は「起きても起きても同じ学校生活が反復されるだけ」(終わりなき日常)という退屈さのループで、それこそが私たちの時代の共通な唯一のモチーフかもしれない。

そしてそのモチーフは、アニメにどんどん登場して、私たちの共有イメージとなった。「日常が延々とループする」みたいなモチーフがどんどんアニメに進出し、もはや社会現象になっていく。

オタクたちはみんな脱出方法を考えた。自殺するか、宗教をやるか、おろおろする。

完全自殺マニュアルと前後して、ぼくは紀伊國屋書店で、はじめて黒田寛一の著作、革共同・革マル派の会誌を手にする。確か「こぶし書房」だった。「暴力」で世界を変えるという感覚に衝撃を受けた。(ていうか、なんで解放社やこぶし書房の本が新潟の書店で売られていたのかは謎)

共産党の人は平和を信じてうたがわないが、退屈な日常は続く。それならばわたしが死ぬのではなく、世界を殺せばいいのだ。オウム事件とリンクして、殺人が救済になるようなイメージが流布していた。

ということで、かなり一生懸命武装闘争路線を夢想する。

しかし大きな問題もあった。

わたしは東京を知らない。

ブクロ共産党、代々木共産党と、あきらかに内ゲバの匂いがしたけど、その都市がどこにあるかがイメージがつかない。ブクロが池袋だと知ったのはだいぶ後で、代々木が日本共産党本部だとは結構後まで気づかず。

文学や革命は東京を知らないとできないんだな、と悟る。

1995


わたしたちが忘れてはいけない年だ。高校2年で迎えた。
阿鼻叫喚の時代、わたしは文学、左翼思想、宗教、自殺という出口を求めていた。

・阪神・淡路大震災

地震という信じられない事件で幕が上がったその年、

とうとう

・地下鉄サリン事件

が起こる。宗教では世界は救えない。もう何年ぼくたちはオウムの時代を見てきたんだろう。震災後はオウムの地震兵器とか、トンデモが増えて大変だった。

・新世紀エヴァンゲリオン放送

特撮と、延々と日常がループする感覚と、あらゆるものを包含したぼくたちの「古典」となる。しかし新潟にはテレビ東京の中継がない。友だちがどうしてもみたくて東京の友人から送ってもらったのをあとで借りて見て、ほぼリアルタイムで見た。衝撃だった。

ダウンタウンの浜田雅功さんが、小室ブームにのって、「hey,hey,hey時にはおこせよムーブメント」と歌っていたけど、あのころの私たちのムーブメントはなんだったんだろう。

多分人によって違うんだろうと思う。

人によって、安室ちゃんだったり、ダウンタウンだったり、コギャルだったり、ルーズソックスだったり。

そのとき東京では何が流行っていたんだろう。

村上春樹なのか、村上龍なのか。

よくわからないなあと思った。

「男はつらいよ」が終わる。翌年、俳優の渥美清さんが死去。


僕らの頃は(特撮でない)実写映画は山田洋次さんこそが唯一の映画監督だった。「学校」など、多くのヒューマンドラマを山田さんの手で見てきた。人情という言葉は山田洋次さんの世界のものなのだろうと思っていた。

たぶん、日本映画の巨匠は黒澤明さん、宮崎駿さん、そして小津安二郎さんにはならない。ぼくはそこに変わりに山田洋次さんが入るのかな。小津さんや成瀬さんは「シャシンの時代」を生きた人だと思うし、小津映画は実はぼく、大嫌いである。笠智衆さんは大好きだけど、活かし方が違うんだよなと思った。

1996年

・トンネル崩落事故 とんでもなかった。
・社会党が崩壊。とんちゃん(村山元首相)が社民党へ党名変更
・将棋ブーム(羽生さん7冠)
・メガバンク(銀行合併)、スマスマなどができる。

薬害エイズ事件

地味に大事かも。意外と新しい社会運動みたいな感じで、若い人が政治に関心を持ったきっかけかもしれない。川田龍平議員は薬害エイズの原告で、そのまま現在は議員。

この年は以外と印象は薄い。

ただ、翌年、大学に入って、ぼくの暗い暗い中高時代の総決算のような事件が起こる。

97年 

「酒鬼薔薇聖斗」事件ーバモイドオキ神が降誕する


そうだ。私たちの時代の最高傑作の文学は、まさしく「彼」だったのだ。
村上龍でも村上春樹でもなかった。

彼は、「酒鬼薔薇聖斗」として実在し、人を殺した。

そして私は被害者ではなく、加害者である彼自身におそろしいほどに共感した。

私たちの最後の文学はとうとう「透明な存在」から「殺人」を起こす「SCHOOL KILLER」を生み出してしまった。

これで十分だと思った。多分模倣犯が出ると思った。

「とうとう人を殺して自分の存在を確認したい」というぼくの本音を代弁してくれるやつが現れた。彼のやり口に比べれば、秋葉原の通り魔もただの模倣犯だ。

ぼくはこんなつるんとした、「終わらない日常」を終わらせる術はただ一つだと思った。

阿鼻叫喚の時代、わたしは文学、左翼思想、宗教、自殺という出口を求めていた。

そしてそこに「殺人」がくわわり、ぼくはそのまま文学をはじめる。


ほんとうに人を殺さなくてよかった。

終わりに


そんなこんなで、ぼくの原風景はおわりだけど、誰か絶対これ、「わたしたちの原風景だ」と思う人がいると思う。

新潟という地方都市の郊外のニュータウンでくすぶって、いじめばっかり受けてて不登校になった人間の内面はこんなもんだと思うよ。

現実はおさきまっくらで、中学生から暗かったし、就職してもサービス残業は当たり前、さらに人を騙すのが当たり前だった。

そこで逃避のほうほうが、リア充の人はいいけど、ほんとうに最悪なオタクは、脳内は自殺するか人を殺すかの二択で、あとは全部そのバリエーションだったからね。

このまま「労働ってこんなもんだな」と思いながら生きるのであれば、文学をやったほうがまだマシ。

そう、わたしたちは実存(自分自身の存在)と、文学が結びついた最後の世代になるのかもしれない。









この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?