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人生の裏技を使ってみたら心が空っぽになった

休職してもう2ヶ月以上経った。
生きているだけで、社会に何も貢献しない時間、お給料が一円も貰えない時間をずっと過ごしてきた。


私は休職するにあたって〝休むことが仕事〟になった。
休み方を知らないからこの病気になったのに、休むことが仕事になるなんて皮肉なものだ。

強制的に休む時間を与えられた私は、好きなことに取り組む時間もあったが、
ただゴロゴロするだけで1日が終わることもあった。

ベッドの中に一日こもり、youtubeやTwitter、ゲーム、漫画で時間を過ごすのだ。
何日間かこのスタイルで過ごして、気づいた。


これ、社会人の時に憧れていた生活だと。


働いているときの自分がフラッシュバックする。


デスクに張り付いて、クライアントの対応に追われる日々。
夜22時になっても、休むどころか頭の中は仕事のことばかり。
リモートワークが普及してから尚更、休みと仕事の境目が曖昧になった。


「あ〜ゴロゴロして過ごしたい」
「ひたすらに休みたい」
「仕事したくない」


なんてことをずっと考えていた。
いや、神に願っていたという表現が正しいかもしれない。
そんな気持ちで仕事に取り組んでいたのか、という話はここでは隣に置いていただきたい。


兎にも角にも今その願いが叶っているのだ。
なんだなんだ、喜ばしいことじゃないか。良かったな私。


そう思えるはずだった。


……嬉しくない。全然嬉しくない。
むしろ虚無感。満たされていない空っぽという感覚でいっぱいだ。

それもそうだ。こんなの望んでいたものと違うからだ。


私の理想は
「お金が有り余って、何もしなくても社会貢献できていて心にゆとりがある状態」
があった上での、ゴロゴロして過ごしたい、だからだ。


ひどすぎる。幼稚園生でももっとマシな理想を描くと思う。
実現できる人はいるかもしれんが、今の私では到底無理だ。
夢物語として想像するくらいが、凡人極めた私にはちょうど良かったのだ。


にも関わらず、その夢物語の状況(ゴロゴロだらだら)だけが強制的に手に入った。
何も満たされていないのに、ダラダラしていい。
いわゆるチートのようなもの。ポケモンでいう裏技だ。


お金に余裕はなくても、とにかく治療という名目でダラダラしてOKと許されている。
それだけのことなのに、真っ当にやってきたという理由がないと、こんなにも嬉しくないものか。


おそらく私は、心の底からその状態は望んでいなかったんだと気づいた。


今の私の状態をみて、「良いなぁ」「自分もダラダラしたい」と思う方もいると思う。
是非やってみてくれ。リアルな話をすると10日目あたりで飽きるから。

だんだん、何のために生まれて何をして生きるのか〜♪と歌い出したくなる気分になる。


ここにきてようやく、何かの役に立って生きていたいという自分の中の欲求を見つけた。


「生きてるだけで丸儲け」という言葉には私も共感できるのだが、
「生きてるだけで何もしなくてOK」ではないのだ。


この経験ができて良かったと思う。
きっと休職していなければ絶対に知らなかった感覚だ。
長期休暇と呼べるようなものでもない、とてつもない時間を貰ったからこそだ。


そうやって私は〝文字を書くこと〟に改めて出会えた。
今のように、文字をがむしゃらに打っている時間はとても好きだ。

書くのを継続するのは難しい。
ひたすらに描き続けるのも私にはしんどいことだが、書くという行為は私の心を満たしてくれている。

空っぽだった心のグラスを満たすように人は生きていくのだ。

その中で仕事は生きていく上で欠かせないもので。
私はその仕事に取り憑かれ、自らグラスを逆さにしてしまった。

そしてまた、グラスを満たすように動いている。


いやぁ、ただ生きることが、こんなに難しいことだとは思わなかった。
生きている全ての人って美しいと今なら素直に思える。

休職期間がもうすぐ終わる。つまり会社に戻るタイミングが近づいてきている。
だからこんなことを考えるんだろうな。

さて、明日も休みますか。

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