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初めて、自分の意志で、髪を切った、アラサー通り越し女の令和3年物語

これから始まる話は、おませな小学生時代を振り返る回想録でも、美容師との素敵な思い出を綴る、ほっこりエッセイでもない。そして、愛亀は登場しない。

この世界に生を受けて、30余年目にして初めて、自分の意志で、髪の毛を切った、アラサー通り越し女の、令和3年物語。(2000字超え)

わたしは、大学1年生のときから、なんと10年以上、腰に届くほどのロングヘアと共に、生きてきた。

大学生の頃は、雑誌の読者モデルだけでなく、ブログ界隈が賑わいを見せるようになり、そこから派生した、デジタル発信のインフルエンサーが台頭してくる先駆けのような時代だった。(もちろんインスタグラムなどない。)

地方都市といえども、リアルタイムで江戸の流行を知ることができる、電子タイプの瓦版が普及していたため、昔の自分を知る友人や、家族が近くにいないことを良いことに(一人暮らしをしていた)、安心してください、履いてますよ!と言いたくなるほど、丈の短いタイトスカートや、そのまま大阪に馴染める彩度の、ヒョウ柄ニットといった具合で、自らのコスチュームに、一段と、磨きをかけていた。

そんな、エッジ効きすぎ、効き杉くんな、派手ファッションには、ふわふわなロングヘアがよく似合った。

一般人から、ギャルに転生するピークは、たいてい、高校入学と共に訪れる。しかし、ド田舎から、進学校へ入学したわたしは、その第一次ギャル転生ブームに、便乗することなど、出来るわけがなかった。

なにもかも、教育熱心な父親のおかげで、敷かれたレールの上を、後続車に追い越されないように、ただ、進んだだけだった。自分の意志、などという液体にも、気体にも、固体にもならない物質が、この世界を生きていく上で、必要になるなんて、考えることすらなかった。

マンモス進学校には、1学年350人を超える、多種多様な少年少女が蠢いていた。過疎ってる地元では、小学校と中学校の全校生徒と、唯一のコンビニに、たむろしている卒業生を足しても、その数に満たない。

そして、ガ〇トでパンケーキが食べれる放課後も、自転車でケン〇ッキーに行ける昼休みも、田舎者には、刺激でしかなかった。

なにより、進学校の成績トップ連中の背中は、あまりにも遠かった。医者や教師の子供、ハーフで英語ペラペラ、日常会話が中国語。そんなヒト属ヒトが、同じジャパンに存在することを、初めて知ったとき、成績優秀者にも、青春謳歌するギャルにも、何者にもなれない自分に、だんだん、嫌気がさしていった。

そんな、反町隆史のポイズンワールドに、一矢報いるため、進学校の生徒が絶対に選ばないようなクソガキと、男女の契りを結ぶような、真似さえしていた。(全く報いていない。毎回、返り血を浴びていた。)

自暴自棄になりつつも、周りが、当たり前のように、大学受験を意識し始める時期には、これまた、自分の意志とは関係なく、潮流に揺られるがまま、県名が付く大学を目指すことになった。やる気スイッチを、ダイレクトボレーした娘を見て、なによりも、両親が喜んでいた。

そんなこんなで、黒潮か親潮のお導きにより、始まったキャンパスライフで、やっと見事な開花(自分で言うな。)を遂げたわたしは、ふわふわロングヘアが、自分のアイデンティティと化していた。

周りが、似合うと褒めてくれる。江戸のインフルエンサーみたいに、なれている。評判の良いロングヘアこそ正義で、この時は、髪の毛を切るなんて発想さえも、抱いたことはなかった。(実際に、ヘアモデルなんかも、少し齧ったりした。)

社会人になってからも、トレードマーク(と思っていた)ロングヘアを切ることはなかった。1回だけ、10センチほどカットしたことがあったが、それも、久しぶりに再会した友人の、ボブヘアが素敵だったから。

髪の毛を切るなんて、すごい勇気だ。と、当時の大袈裟すぎる記憶と、他人に流されやすい自戒を、今も鮮明に覚えている。(10センチ切ってもロングヘアマンセー。)

結局、ヒト属ヒトに褒められた記憶が、鮮明に刻み込まれた、ロングヘアと共に生きてきたわけだが、冷静に考えると、これは、他人軸で生きてきた、我が人生の、象徴的なモニュメントではなかろうか。

両親が敷いてくれたレールに乗って高校に進学し、周囲の潮流に乗って、それなりの大学を受験した。新卒で内定をもらえた最終2社は、当時のゴミ彼氏が生息していた土地から、近い方の会社を選択した。

それから先も、タレントの端くれの、さらに端くらいの人間(失礼)に憧れて伸ばしたロングヘアを、褒められた記憶を、10年以上引きずって、生きていた。それに、このロングヘアを褒めた人間(男女問わず)に、ろくな思い出がなかった。

鏡に映る自分に、飽きてしまったら、おしまいなのに。そんな悶々とした気持ちを抱きながら、パク・ソジュン漁りをしていたときに(ここは、ツッコミどころではない)、韓国版の本家「彼女はキレイだった」を見る運びとなった。

ストーリーや出演者が素敵なことは去ることながら、ヒロインの親友役のミン・ハリ(コ・ジュニ)のキュートさに、釘付けになった。金髪のショートヘアが、なんて、アイコニックで、素敵なんだろう!!大人のチャーミングさとはこのことかと、震えるほどの衝撃だった。

震えるよりも、案ずるよりも、切るが安し。決断には、2週間ほどを要したが、他人軸の過去と、媚び感を一掃したいという、強い思いだけで、30センチ以上の断髪に踏み切った。たかが断髪、されど断髪。前夜は、決断の過程を見守ってくれた友人に、えっちょ前に、弱音を吐いた。

結果、切るが安し だった。初めて見る自分の姿を、自分が一番、気に入っている。何者にもなれなかった自分が、なりたいと強く願った姿に、初めてなれたような気がしている。(本当は金髪にしたかったが、さすがに、アラサー社会には、馴染めない。)

長すぎた青春の残り香を、きれいさっぱり切り落とした先に、今度は、どんな景色と、香りが、わたしを待っているのだろう。大した特技も、趣味もない。愛亀と、2人5脚で歩む、静かなる人生は、これからも決断の連続に違いない。

そんなときに頼るのは、他人ではなく、いつだって、自分であり続けたい。出家しない限り、もう、切り落とす、髪の毛はないのだから。

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