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【塾へ行かず、コネがなくとも幼稚園受験を突破できる方法・13】親が「親」になるとき おうち教育をはじめるきっかけ

この間、会社で20代の部下と話をしていたときに「子供をもつのがこわい」という話題になった。

「こんな世の中になってしまって、自分が子供なら嫌だと思う」

たしかにこんなつまらない目に見えない競争がはびこるような社会は僕も嫌だ。僕たちは社会に試されている感じがする。マイナンバーを振って、きちんと税金が払える人間か、それ以上に搾取できる人間か。

とくに僕ら40代の人間たちが第二次ベビーブーマーやその周辺の母集団が一番年齢層として分厚いので税金として絞り取られているのである。

働いても働いてもサラリーマンである限り金銭は増えず、出ていく一方だ(苦笑)

そんな世の中に敢えて子供を作るなんて。。。そんな感情もあるにはあった。そのあたりは妻と話し合った。出た言葉は、

案ずるより産むが安し

である。とにかく子供とは言え、作ってみなくては分からない。もう高齢出産と言われるくらいの年になってきた30代の後半に僕たち夫婦は意を決したのである。

そして、紆余曲折を経て生まれてきた我が子は赤黒いサルのようで、いまいちピンとこなかった。妻も僕と同じく思っていたようだ。可愛いとはいいがたいものでものもいわない動く物体でしかなかった。

このあと退院した妻は2か月ほど実家に帰ってしまい、僕たちは離れ離れの生活になった。昼夜が逆転してしまった妻は昼間は眠っているし、夜は子どもの世話をしていて、僕が起きている時間には全く連絡がつかない状態が続いて、さすがの僕も怒り心頭に達し、妻の実家に怒鳴り込んだこともあった。

そうして妻と生まれた息子が、僕の家に帰ってくるとその日のうちから息子は夜は2時間ごとに起きてミルクを飲み、しかもなかなか寝ないということがわかったのだ。

昼間に仕事をしている僕は、夜は子どもの世話をすることになった。

妻は昼間の疲労困憊からか夜に起きることはなかった。どんなに揺さぶってもぴくりともしない。いい加減にしろ!といったが何も反応しなかったので、しかたなく、僕が夜間中の息子の世話をすることになってしまった。

よしよしと息子と添い寝はするが、全く寝ない。

むちゃむちゃと口を動かして、まだ完全には動かせない手足をバタバタさせる。

そんなことをずっと繰り返すといきなり、うわぁぁぁぁん!と泣き出す。

こちらは何があったかさっぱりわからないので、抱き上げてみたりすると、おしりが湿っぽいのでおしっこか!と分かる有様。それがうんちだったりすると大惨事だ(笑)赤ちゃんのうんちは緩いのでおむつから漏れてしまい、真夜中に洗濯機を回したこともある。下の住人からドンドンと突かれたな。

ミルクの度にげっぷが出なくて、よく顔に吐かれた。

あれって、もう一度ミルクを作って飲ませるんだよな。熱湯でつくって人肌まで冷ますのが大変で手間がかかる。

毎日そんな感じだったから、睡眠時間は2・3時間だった。

帰り道、半分寝ながら歩いてしまい、駅の階段から転げ落ちたかけたこともある。とっさにつかんだ手すりで、あわや大惨事を免れた。あの時は自分の力じゃなかった気がする。

そんな感じで2か月も経つとだいたい息子の泣き声やしぐさで何を訴えているかわかるようになった。慣れるもんだな(笑)

とはいえ、まったく寝ないので夜はパパの「抱っこ」だった。抱っこを3時間近くすると僕の肩のあたりでスウスウと眠りにつくのだ。さあこれで眠りにつくぞとそろそろと布団に置いた瞬間に

うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん! 

と起きて泣いてしまうのである。いわゆる背中スイッチと言うやつだ(笑)うちの息子はそのスイッチが敏感で、布団に置くそぶりをするともう起きてしまうという感じで恐怖だった。抱っこしていた3時間を返せ!なんて何度思ったことか(笑)

抱っこをするときには背中をぽんぽんと軽くたたく。それで息子は満足だったようだ。僕の耳元でくちゃくちゃと言いながら、たまにぶーーっと息を吹きかける。それがコミュニケーションになったのだろうか。

そして、ひんやりした僕の耳たぶをこりこりと触るのが習慣になった。寝付くときには必ずといっていいほど耳たぶをさわりながら眠りにつくようになった。

後年、幼稚園まではパパの抱っこでお出かけをしたりしていたな。疲れたら「抱っこして」と言ってくる。僕はその度に抱っこした。息子が、抱っこして、というまでは抱っこをすると決めていた。

「抱っこ」をするなかで息子の成長を如実に感じてきた。

もこもこしたおむつの感触、体重が10キロを超えたときの高揚感、ママに怒られて泣いてしまいそれをあやすときに感じた涙の熱量、入院して寝付かず「あっこ、あっこ(だっこ、だっこ)」と言った時の切実な様子、など思い出せばきりがない。

小学生になったとき、抱っこはもういいと言われるようになった。

だけど、そのかわりに肩車してくれと言うようになった(笑)だっこは赤ちゃんじみて嫌なのだという(それで、肩車かよ!…笑)。もう抱っこの出番はないのである。たまに30キロになる息子を抱っこさせてもらうが、「もういいよ、パパ」と言われる始末(笑)

そう言われてみて、僕は息子をずっと愛してきたことに気がつく

寝てくれない息子に悪態をついた夜。ミルクを吐かれて頭からびしょ濡れになった日々。吐いたゲロを両手で受け止めた冬(笑)

そういう自分ではままならない存在(=息子)を受け止めてきた。僕には「やってきた」という自信と息子と一緒に過ごした時間があった。

息子との時間を粗雑に扱わないでよかったと今になって思う。

冒頭の件でなんだが、「子供をもつのがこわい」なんて思う暇がなかった。

飲み友人も減らしたが、今となってはそれも大したことではない。僕には、そんな友人はそもそも要らなかった。

子供のために何をしてあげられるか、何を遺してあげられるか、と考える時に僕は「親」になったと思う。

そういう大変な成長の時間を一緒に過ごしたことで僕たち家族の「チーム感」が増したような気がする。こういうことは僕は知らず知らずのうちに両親から薫陶を受けていたのだと思う。

お受験をするには親と子供との信頼関係と家族のチームとしての一体感が何より必要だ。子供が自分の話を訊いてくれていないとか、そういう齟齬がないようにはしたい。そんな状態でお受験を突破できるのは、よほどの献金能力があるか、家柄が保証されていれば、というまれなケースしかない。


子供を怒るときは本気で怒ること。

本気で怒るには子供との信頼関係が必要。

子供との信頼関係は一朝一夕では築けないこと。


どうせパパは土日いないし、どうせママはスマホばかり見ているし、とかそういうことを子供に思わせていないだろうか? でも、子供は待っているはず。

パパと覚えたてのサッカーをしたり虫取りをしたり、ママと幼稚園であったことを話したりしたいのではないか? 

あらためて子供の様子、見てみませんか?

絶対にあなたが知らないことが出てくるはずだ。それがあなたの子供を形作っている。それが子供の現在なのだ。

現在の自分の子供を理解してますか? 理解しようとしてますか?



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