「これやってどうなるの?」からの脱却
ただただ、
「やりたいこと」「やっていて楽しいこと」を
やりたいからやる。
それにとことん打ち込む。追及する。極める。
それってすごく素敵で魅力的だなぁと
思うんだけど、
それができてる人は意外と多くないし、
簡単ではないんだよね、と思う。
それほどに「やりたいこと」がわからない、
みつからない、という声もよくきくし、
ほかのやらなければ、と思っていることに
忙殺されている場合もあるかもしれない。
↑どちらも
これまで当たり前に信じてきた思い込みとか、
こうあるべきの思考があって起きていること、
の可能性が高いと思うのだけど、
「これやってどうなるの?」という思考
これもまた、
やりたいことをやるを妨げる思考のひとつで
なかなかに根深いことが多いと思う。
*
これをやった先に
なにが起こるの?
なにが変わるの?
なんの意味があるの?
とついつい考えてしまう思考のくせ。
わたしもついついこれが発動して
しまいがちなのだけど、
そのベースには、
「なんらか意味があることをやるべき」
という思い込みがあったのだと思う。
だからたとえば
健康のため
勉強のため
仕事のため
みたいに、
理由づけられるものについては
自分にOKを出せるのだけど、
なんのためにもならないかもしれない時間は
ついつい後回しになってしまうし、
なんとなく罪悪感を抱いてしまう。。
だから、
「なんのためにもならないかもしれない」ことを
するときに、
「リフレッシュのため」なんてギリギリ理由づけて
自分に許可を出そうとしてきたこともあったなぁと
思い出して、
一体だれに向かって
言い訳をしようとしていたのやら、と
自分でちょっと可笑しくなった。
うーん。
やっぱり、この思考のパターンは、
人生の豊かさを制限しちゃうなぁ。。
だからやっぱり手放したい!
で、
さてどうするか、と考えた結果、
意外とシンプルな方法を思いついた。
「これやってどうなる?」と
ついつい頭で考えてしまうところをぐっとおさえて、
心と身体が求めていることに意識を傾け、
心と身体が喜ぶことをする
に置き換える。
ただただ、
これでいいじゃん。
なんとなく、これまでと同じことにも
ちょっと豊かな気持ちで取り組めそうな気がする不思議。。
ただただ、やりたいことをやる、ということに、
無意識にもかけていた制限が
はずれたような気がしてして、
見える世界がちょっと明るくなった気がした。
***
書くことで自分に気づき、深めるプロジェクト
ライティング・ライフ・プロジェクトのファシリテーターをしています。
近日募集予定です。
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