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知識よりカタチより「楽しめること」それこそが最強なのだ、きっと

スキー場を思うとき、
何度となく思い出す情景がある。


大学生の頃の話だ。


わたしは中上級者向けの急斜面の上にいる。


怖くてそこからどうしても滑り出せずにいた。



といっても、
ともだち同士とか彼氏と一緒にスキーを楽しみ、
「きゃーこわいよー」というようなシチュエーションではない。


わたしはひとりだった。


たったひとり、
滑り出そうとしてはこわさに固まり、
葛藤しながらどんどん時間が過ぎていた。




どれくらいそこにいたかというと、
同じくらいのタイミングにリフトを降りた人が、一番下まで滑り降りて、またリフトを乗り継ぎ、そこに登ってきてしまうくらい、とどまっていた 笑




そういえば昔、
近所に木の上に登ったものの降りてこれない猫がいたけど、そんな感じだ。

あのときはニャーニャー鳴いて助けを求めていた(と思われる)その子を手を伸ばして木から降ろしてあげたけど、
そうしなかったらあの猫はいつかひとりでおりてきたのだろうか。



とにかく、わたしはひとりで、
誰かに助けを求めることもできずに、
なんとかしなきゃいけない、と思いながら
(というか、滑り降りるしかないのに笑)
動けずにいた。





なんでそんなにこわくて滑れもしない人が
ひとりでスキー場にいるかというと、 


シンプルにいえば練習していたのだ。




それはそうなのだけど、


なぜそんなストイックな?状況に
なっていたかを補足させていただくと、



わたしは大学でスキーサークルに所属していたからで、

しかもそれが本気なスキーサークルで、

合宿の合間は、各々スキー場の宿でバイトしたり居候したりして働きながら練習をするのが当たり前の環境だったのだ。



で、わたしもみんなと同じように
とあるペンションではたらきながら、

仕事が落ち着く昼間はスキー場で練習するという冬を送っていて、
その時期はたまたま仲間が山を降りていて
わたしひとりで練習に出ていたのだと思う。




そんな話をすると
めちゃくちゃスキーが上手い人だと
思われがちなのだけど、

本気でそんなことはない。


と、いくら言っても、
「まーたーまたー」みたいに謙遜と思われるのにも当時は慣れたものだったけど、

ほんとうにほんとうにほんとーうに
そんなことなかった。



というのも、
わたしは大学生になるまで
スキーをまるでやったことのない初心者だった。

それだけではない。

運動はまるでだめだったわたしは
スキーもセンスがなさすぎて、

サークルの勧誘の時期に「初心者でも大丈夫!」と声をかけ誘ってくれた先輩たちを途方に暮れさせた。笑



とにかく、

わたしはほんとうに
うまくならなかった。
(なれなかった笑)




がんばろうとはしてたけど、
ちょっとした急斜面の上で立ちすくんだまま日が暮れそうになるまで動けないくらい、

斜面はこわいままだったし、
本当にうまくなれなかった。






そんなわたしにとって、
ただこわい、というのに加えて
よくなかったのは、


たいして滑れないしうまくもないのに
ウエアも履いている板もブーツも
一流だったことだ。笑



それもしかたなかった。


その年の最新デザインがチームウエアだし、
スキーをやったこともないなんにもわからないわたしに、一流なスキーヤーな先輩たちが選んでくれた板やブーツだ。

そのためにオフシーズンはバイトばっかりしてた。


とにかく、それらを身につけた私は、
一流に上手そうな雰囲気を醸し出せてしまうには
十分だった。

そう、滑り出しさえしなければ。笑





その上、

滑れもしないのに
基礎の知識はしっかり教えてもらっていたから
(さすがに緩斜面ではなんとなく上手そうには滑れるようになった)



道具も、滑り方も、

「こうでなければいけない」

の知識ばかりある。




それなのに、
斜面を前にこわくて動けない。




恐怖心から腰がひけて
こうしなければいけない、と
わかっていてもできない。




ちっとも楽しめなくて、苦しくて、
でもやめたくはなくて、




見た目(道具や装備)と実力のギャップを気にする(要はどう見られるかを気にしてる)
ださい自分が嫌いで、


うまくなりたいのに怖がってばかりの
臆病な自分がいやだった。




結局、一年生のその冬はけがをして
シーズン終了。


(なんと!

スキー場の近くの普通の道で転んで骨折!!

という伝説を残した笑)

 

その後もサークルもスキーもやめなかったけど、


おまえはもうけがをするな、
とみんなに気を遣ってもらい続け笑、

結局大してうまくもならないままサークルを引退し、もう10年以上スキー板を履いていない。


というのは、もはやネタなのだけど。






今朝、
あの斜面のうえで立ちすくんでた
自分をまた思い出し、



そういえば、わたし、


こういうのスキーだけじゃなかったな、
と思って苦笑してしまった。




こうあるべき、の知識を学び、身につけ、
カタチから整える。



ライティングやマーケティングを
学んで知識を身につけたり、

ブログを書くならヘッダーを素敵にしなければ、とか、カタチを整えることに一生懸命になって、
結局苦しくなって動けなかった時期がある。



そんなことより、
大事なことがあったのにね。



わたしはあのときも、
あの斜面の上に立ちすくんでいた頃と
同じことをしてたんだな。


斜面の上で動けない自分の横を
次々通り過ぎていく人たちを
眺めながら、
あの頃もわたしはわかってはいたのだ。





滑り方なんてきれいでなくたっていい
道具もウエアも、なんだっていい。



この雪を、
滑り降りるときの風を、感覚を
ただただ楽しんでいる。


その人たちのほうが
動けずにいる自分より
ずっとかがやいている、ということを。





楽しんで滑れる人、

そんな人がコツをつかんだら
ものすごくかっこよく滑れるってことも
わかってた。

楽しめる人が、

心からうらやましかった。



じゃあ、
あのころ、こわくて動けなかったわたしは
どうしたらよかったのだろう、
と、今また考える。



あの頃は日々もんもんと
「こわい…でもがんばらなくちゃ」と
斜面の上で自分とたたかっていたけれど、

わたしがすべきことは

♪負っけなーいこと 逃げ出さないこと
投げ出さないこと 信じぬくことー♪

と大事MANブラザーズを心の中で歌い(しかもかなり真剣に笑)、自分を鼓舞することじゃなかったのだ 笑



①ひとりで動けなければ
誰かと一緒に滑って
とにかく慣れるのもひとつの方法だっただろう。

(実際誰かと一緒ならあの頃もエイ!と滑りだせたのだ。転げ落ちることもあったけど)




②あとは筋トレや柔軟をして
身体づくりをすることも
もっとしたらよかったのだ。

全く筋力がなかったのもよくなかったのだから。


これっていろんなことに
置き換えられそうだ。



こわくて動けないとき

とれる方法のひとつとして考えることは


誰かを巻き込んで(手を借りて)
とにかくやれる状況をつくり「慣れる」こと
目の前の壁を
気合いだけで乗り越えようとして
自分を追い詰めるのではなく、

視点を変えて、身体や心を整えること



そんな風に考えることで、

わたしの黒歴史のひとつwが、
意味ある経験として置き換えられた気がした日となった。


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