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私にとっての欧州代表【デンマーク】と北米代表【カナダ】との違い ②

この5月の初めに、デンマーク旅行に行ってきました。私にとっては初めてのヨーロッパへの旅行でした。海外渡航経験はそれなりにありますが、これまで訪れたことのある地域は、アジア、オセアニア、北米だったんです。

特にここ直近の12年間に関しては私が「海外へ行く」と言えば、カナダばかりでした。カナダ東部にあるプリンスエドワード島にご縁があって、毎年のように訪れていたのです。

あの、カナダ旅行記のマガジンがありますので、よかったらどうぞ。

同じ「海外へ行く」でも、デンマークとカナダでは大きな違いがあることに気づかされたのが今回の旅行でした。デンマークとカナダは、日本人にとっては「欧米」と一括りにしてしまうほどなのに、でも、やはり全く違う国であり、全く違う文化圏でした。もちろん、似通った部分もありましたが。

というわけで、私にとっての欧州代表【デンマーク】と北米代表【カナダ】との「違い」を、感じたままに挙げていこうと思います。具体的には、デンマーク滞在中に「?!?!?!」と、驚いたり、感心したり、戸惑ったりしたことです。

ごくごく個人的な気づきの記録ですので、事実と異なることがあるかもしれません。きっと、あります。さらに、「違い」への言及はともすると、どちらか片方を否定するように受け取られかねないと思います。若干ではありますが、私にはカナダを贔屓目に見る傾向があることを、先にお伝えしておきます。

上記は、ひとつ前に投稿した ① の冒頭部分でした。① をまだお読みでない方は、良かったらこちらからどうぞ!




行き先がデンマークやカナダに限らず、海外へ旅行に行くのは多少なりとも不安がつきまとうものです。

まず、私たち日本人にとっては、使う言語が異なるのが一番の不安の素です。私もそうです。カナダで暮らした経験があるので、英語はどうにか、こうにか、なんとか、かろうじて使いますが、私自身がギリギリ困らない程度です。多少分からなくても通じなくても、まあいいや、と思うのが肝心。

そして、日本にいるとさほど気にかけないのに、一歩海外へ出ると不安のアンテナがピンと立つのが安全面です。どこの国でも最低限、スリ・置き引き・ひったくりには気をつけるようにと聞きますね。

また、忘れてはならないのが、文化や習慣の違いです。海外旅行は、日本と相手国とのそれらの違いを楽しむのが醍醐味です。でも、相手国の文化や習慣についてあまりに不勉強だったり、逆に警戒心を抱きすぎたりすると、相手国に失礼だったり、自分が傷ついたりすることになります。そう考えると、やはり不安

冒頭にあるように、今回のデンマーク旅行は、私にとって初めてのヨーロッパ旅行でもありました。長らく抱いていた念願を叶える旅行であったと同時に、未知の体験が待ち構える冒険の旅行でもありました。ワクワクもあり、やはり不安もありました。

こうして無事に旅行を終えてみると、不安は稀有であったといってもいいくらい、何事もなくちゃんと楽しんできました。元来慎重なタイプなので、ある程度は私自身の心構えや準備が役に立ったと思います。でも振り返ってみると、デンマークの人々による何かがありました。




デンマークで心に残ったエピソード

■ コペンハーゲン空港にて
今回のデンマーク行きはターキッシュエアラインズを利用したので、イスタンブール空港経由でした。つまりデンマークに辿り着く前に、トルコに入国したんですね。イスタンブール空港の出国ゲートを出た途端に、一気に「海外へ来た」感がしました。タクシー、ホテル、ツアー、両替、それらのサービスの客引きの声掛けが凄かった。彼らのカウンターの前を通ると漏れなく声を掛けられるのです。始めはちょっと嬉しかったけど、すぐにウンザリしてしまったを覚えています。

一方で、その翌日にコペンハーゲン空港に辿り着いたときの放っておかれる感じは、前日のイスタンブール空港との違いに内心苦笑しつつも、こんなもんだと思いました。カナダもこんなもんでした。日本だってそうです。自分で英語表記のサインを追って、空港から市街地へ移動する手段を探し始めました。

もともと鉄道を使うつもりだったので、さっそく見つけた自動券売機の前に立った時に、初めての戸惑いがありました。とりあえず「English」表記にしたところで固まってしまいました。・・・私が。別に操作方法が難解だったわけではないです。でも、初めて操作する人のためには画面作りにもう一工夫要るような券売機でした。直感で使えるような iphone とは違う。

でも、その固まった私に気づいた人がスッとやって来て、英語で声を掛けてくれました。どこに向かうのかだけ確認したあと、支払い画面に進むまで、スマートに説明してくれました。私がお礼を口にするかしないかのところで、スッと離れていきました。

何かの制服を着ていたので、駅の人だったのかもしれません。でもそこは駅ではなく、まだ空港の中だったので空港の人だったのかも。もしかしたら警備の人だったのかもしれません。固まった私に気づいてスッと助けの手を差し伸べてくれた、とてもスマートな親切でした。

■ スーパーにて
旅先での楽しみのひとつに、地元のスーパーを利用することがあります。特に海外のスーパーは見て周るのが楽しいものです。

コペンハーゲンに辿り着いたその日の夜に、ホテルの周辺にあるスーパーをいくつか見て周りました。そのうちのひとつで、お水やフルーツやお菓子を買いました。閉店間際の時間帯で、有人レジは既にクローズしており、セルフレジに並ぶ必要がありました。

セルフレジは、現金のみ扱える機械(キャッシュオンリー)が2台と、クレジットやQR決済のみ扱える機械(キャッシュレス)が複数台ありました。それぞれに列を作るようになっていて、私は成田空港で両替した現金を崩したくて、キャッシュオンリーの列に並びました。

北欧はキャッシュレス社会の先進国であるというイメージがありますが、キャッシュオンリーの方に並ぶ方もいました。ちょうど私が列の先頭になったところで、キャッシュレスの列が途切れました。そこにやってきたお姉さんが、英語で「こっち空いたけどいいの?」と声を掛けてきました。私は現金を使いたいからいいのだと答えました。私の後ろに並んでいた人もうんうんと頷いたのが分かりました。お姉さんはにっこりしてキャッシュレスのレジに進みました。とても自然でさりげない気遣いでした。

いよいよキャッシュオンリーのレジが空いたので、その前に立ちました。そして、再び固まってしまいました。駅の自動券売機のときと事情は違い、画面のデンマーク語表記を英語表記にできなかったのです。読めない。推測で進めるのも困難でした。困ったなあと思って、ぼんやりヒマそうに立っていた(ように見えた)店員らしきお兄さんに「Excuse me.」と声を掛けました。デンマーク語が読めず操作方法が分からないと伝えると、英語で物凄く分かりやすく丁寧に説明してくれました。これはこういう意味、ここで買うものをスキャンする、ここで払う、レシートは受け取った方がいいよ、とまで。レシートはスーパーの出口にある改札機みたいな機械にかざす必要があるのでした。

アルバイトだと思われる若いお兄さんでした。ぼんやりヒマそうに立っていた(ように見えた)けど、ひとたび助けを求めると、とても親切に接客してくれました。実は、その翌日に再びこのスーパーを訪れたときにようやく気づいたのですが、レジの操作画面のすみっこに「English」というボタンがあったのです。そこを押すとすんなり英語表記の画面に切り替わりました。お兄さん、このボタンを教えてくれるだけでも良かったのに。でも、私は前日に操作方法の流れを最初から最後まで教えてもらっていたので、それからは困ることはありませんでした。お兄さんの親切のおかげでした。

■ コペンハーゲン観光名所にて
今回のデンマーク旅行は一人旅でした。コペンハーゲンの観光名所を見て回るのに、一人で何か不便を感じたり、さみしさを感じたり、というようなことは無かったのですが、ふと、ある時に「ああ、これはひとりだと難しいな」と感じることがありました。そして、それを察した人が声を掛けてくれました。母に送るために自分の入った写真を撮る必要がありまして、いわゆる自撮りをしているときでした。

へたっぴな自撮り(お顔はぼかしてます)

上の写真とは違う場所のことでしたが、建物と自分自身をうまく枠に収めようとちょっと苦戦しつつ自撮りをしているときに、若いお姉さんに声を掛けられました。大きなサングラスをかけていて、髪の毛が派手なピンクで、かなり奇抜なファッションで、訛りの無い綺麗な英語を使っていて、断言できないけどアジア系の方でした。

「もしかしてお役に立てるかもしれないと思って。良かったら、写真撮ってあげましょうか。本当に、もし良かったら。大丈夫だから。取って走り去ったりしないから。安心して。もし私で良かったら、写真撮ってあげましょうか。」

お姉さんも観光客のように見えました。少し離れたところで女性がひとり待っているようでした。お姉さんはその見かけから感じる印象と裏腹に、おずおずとした感じで、でも、必死に私を安心させるように、全く押しつけがましくなく、写真を撮ってあげようと提案してくれました。

私は本当にそれはお姉さんの気遣いだったと思っています。お姉さんの気持ちが伝わってきました。私が「ああ、これはひとりだと難しいな」と感じてるのを察して、思い切って声を掛けてくれたのです。とても嬉しくなりました。

でも、私はきっぱり遠慮しました。大丈夫、これで十分満足なので、大丈夫、でも、あなたのお気遣い、本当にありがとうと断りました。お姉さんに私が嬉しく感じたことが伝わるように、感謝の気持ちが伝わるようにと思って、最後に再びしっかりと「Thank you.」と伝えました。伝わったと思いました。お姉さんはにっこり去っていきました。

これは今でも一番印象に残る出来事でした。私は断りましたが、お姉さんの気遣いは本物だと思っています。さらに、お姉さんは私が断った理由を分かっているはずです。海外旅行では自分の貴重品を見知らぬ人に託してはいけません。写真を撮ってあげようといってカメラやスマホを持ち去ってしまうことがあるからです。それを私は分かっているし、お姉さんも分かっていました。でも、お姉さんは勇気を出して声を掛けてくれました。そして、私も勇気を出して断りました。お互いにとって、それでいいんだと思える出来事でした。

■ 音楽フェスのスタンディングライブにて
① の最後の方でも触れていますが、私がデンマークへ行ったのは音楽を聴くためでした。北欧伝統音楽のフェスに行ったのです。

フェスなので複数のバンドのライブを楽しみました。半分はスタンディングでした。伝統音楽(フォークミュージック)なのでロックコンサートみたいに観客がカオスになることはなかったけど、私はなんとなく後ろの方、端の方で見ていました。でも、こんなことがあったのです。

このライブの間で面白かったのは、スタンディングのエリアの後ろの方で、時々背伸びしながら観戦している私を見て、周りの方がそっと「こっち空いているよ」とか「私の前にどうぞ」とか声を掛けてくれたことです。

一番後ろに立っていたはずなのに、気づけばだいぶ前の方まで移動していました。周りの方が親切で気持ちがほぐれました。

音楽を聴きにデンマークへ! 北欧伝統音楽祭 Folkets Festival に行ってみた話 より

私は周りの方のこんな親切にとても驚きました。ライブ観戦って、いかに自分がいい場所を確保するかがとても重要じゃないですか。周りの人より、自分。スタンディングのライブだといかにステージ前に近づくかが大事。でも、そんな風に考えていた自分が恥ずかしくなりました。

会場の一番後ろにいたはずが、いつのまにか前の方へ


Folkets Festival という音楽フェスに行った話はこちらの note で色々語っています。良かったらどうぞ。


■ 観光案内所にて

私は、海外旅行先では観光案内所をよく利用します。何度も訪れているカナダでも、滞在中に一度は観光案内所に行きます。一番新しい信頼できる情報が得られると考えているからです。もちろん、ガイドブックやウェブも活用しますが、観光案内所のスタッフに尋ねて良かったと思うことが何度もありました。

コペンハーゲンの郊外に「世界で一番美しい美術館」と称される、ルイジアナ近代美術館があります。今回は、そこに行くための情報を補完したくて、コペンハーゲン市街地にある観光案内所に立ち寄りました。交通手段、チケット手配方法、所要時間についてアドバイスを貰おうと思ったのです。

「今日これからルイジアナ近代美術館に行きたい」という私の一言だけで、スタッフの女性の方は快く丁寧に案内してくれました。私が持っている情報を確認し、それに対してもっと役立ちそうな情報を補完し、さらに不安や疑問が解消されたかまで確認し、私が安心して出発できるようにしてくれました。外国人観光客対応のプロフェッショナルでした。

案内内容は決して複雑なものではありませんでした。でも、とても心がこもっていた。まずは美術館のパンフレットを出して私の行きたいところで間違いないか確認し、開催中の企画展がとてもいいよと絶賛し、最寄りの駅から乗る電車の時刻とホーム番号を記したメモを作ってくれ、そこに電車代と入館料も書き加え、美術館にあるレストランが素晴らしいから是非そこでランチをするといいと薦め、これからとてもいい午後を過ごすことになるねと、励ますように伝えてくれました。

ガイドブックやウェブのから調達した情報だけでも、私は特に問題なくその美術館に辿り着けたと思いますし、それなりに楽しく過ごしたと思います。でも、観光案内所のスタッフの女性の心をこめた案内により、まずこの美術館に行くことを選んで間違いないのだと確信し、辿り着くまでの不安が無くなり、さらに企画展やランチを楽しみにする気持ちになって出発できました。そして、私はしっかり楽しい時間を過ごしました。


■ デンマーク王立図書館にて
コペンハーゲン市街地は基本的に古い良きヨーロッパといった風情の街並みが続きますが、所々にパッと近未来的な建造物が現れたりします。デンマーク王立図書館は「ブラックダイアモンド」と呼ばれ、観光名所にもなっています。

観光客にとっては、本が所蔵されている書架の部分を見るというより、建物の近未来的なデザインを楽しんだり、展示ギャラリーを見学したり、カフェを利用することが多いようです。私は本がずらりと並んでいる書架のスペースを見たくて訪れたのですが、残念ながら辿り着けませんでした(観光客には開放されていないようでした)。

美術館であれば「ミュージアムショップ」にあたるような雑貨類を扱ったショップがあったので、そこにも立ち寄ってみました。ちょうどお土産に適当なアイテムがあったので、それを手にしてレジに並びました。ショップのレジはどうやら図書館の案内所としての機能も果たしていました。年配のスペイン語訛り(たぶん)の英語を話すおばさまが、レジのお姉さんに色々質問しているようでした。これが、思いもよらず長いこと続きました。私は途中でレジの列から離れ、ショップ内をうろうろ見て回りました。そしてまたレジの付近に戻り、まだやり取りが続いている様子を見て、再びショップ内をうろうろ見て回りました。何の話なのか分からないけれど、レジのお姉さんが必死に対応しているのが分かりました。

本当に思いもよらず長いこと待ちました。何人かのお客さんがレジの様子を見て立ち去ったのが分かりました。私も諦めようかな・・・としたときに、やり取りが終わったのか、レジのお姉さんが声を掛けてくれました。私が長いこと待っていたのをちゃんと分かっていました。ごく簡単なお会計のやり取りの合間に、「立ち寄ってくれてありがとう」「待っていてくれてありがとう」「辛抱いただいてありがとう」「今夜は良い時間をお過ごしくださいね」と何度も気遣いの言葉をかけてくれました。申し訳ないと感じている様子が伝わってきましたが、謝罪ではなく感謝の言葉を繰り返してくれたのが印象的でした。あたたかい気持ちになりました。




こうやって書き並べてみると、自分で言うのもなんですが、どうってことないエピソードばかり。でも、なぜか心に残っています。
 



ここで少し視点を変えます。この note の冒頭でも引用していますが、① で私はこう書いています。

同じ「海外へ行く」でも、デンマークとカナダでは大きな違いがあることに気づかされたのが今回の旅行でした。

この「大きな違い」とは、デンマークでは私に話しかける人がいなかったということです。もう少し厳密に表現してみると、個人的に話しかけてくる人はいなかった、つまり、私は誰とも個人的な会話を交わさなかったのです。

実はこのことは私にとっては衝撃的な出来事でした。起こったことではなく起こらなかったことなので出来事といっていいのか、よく分からないけれど。一人旅だったので会話をする相手がいなかったというのは確かです。でも、これほどまで誰かと会話をすることがないとは思っていませんでした。




カナダで心に残っているエピソード

■ 私のカナダ経験
ここで少し私の「カナダ経験」について背景を説明しておきます。

2005年から2023年にかけて断続的に9回の渡航を重ね、西部にあるバンクーバーに約5ヶ月、東部にあるプリンスエドワード島に約2年、そして一ヶ月半かけて東部から西部にバスで横断したバックパッカー体験があります。だからなんだ、、、という感じですが、日本の次に私が良く知っているのはカナダです。

この先、私が会った「カナダの人々」の話をします。

「カナダの人々」と一括りにしてしまうのは、移民国家であるカナダの民族構成から考えると雑過ぎるかもしれません。また、北アメリカ大陸はその広さ故に、西部・東部・北部・南部にそれぞれ地域特性があります。

でも、私は私がカナダで会った人をここでは「カナダの人々」といったん纏めようと思います。彼らから感じる「何か」が同じだったからです。「何か」って、なんだろうか。

■ レジでの雑談
カナダで驚くことは、食料品スーパー、ドラッグストア、コンビニ、お土産物屋など、お買い物で利用するお店のレジでの「雑談発生率」の高さです。ここでは仮に「お会計にまつわる諸々の話題」以外の会話を、「雑談」としますね。

まずは、昨年訪れたプリンスエドワード島の小さなスーパーでの出来事を紹介します。以前投稿した note からの引用です。

とにかく、通りがかりの小さなスーパーに寄りました。レッドブルが無かったので、代わりにモンスターを選んでレジへ。モンスターの方が強力なんですよね。

そうしたら、レジのお兄さんが「これ美味しいよね!大好きだよ!寝起きに頭がぼんやりしているときに良く飲むよ!朝はコーヒー飲む人が多いけど、僕はコーヒーより好きだよ!え?ドライブに行くから飲むの?いいね!ドライブ中は寝ちゃだめだもんね!気をつけてね!Have a nice day!」と、物凄くフレンドリーに接客してくれました。お金のやりとりもあったので、会話量はこの3倍くらいあったと思います。

面白いなあ。文化の違いを感じます。例えば、東京のコンビニとかで、店員さんにこんな風に話しかけられたら、ドン引きというか、恐怖に近い思いをするかも。しばらく、そのコンビニには行けないかも。

カナダ旅行記2023 ⑥ プリンスエドワード島をドライブする日の朝 より

引用の中でも書きましたが、東京のコンビニとかで、店員さんにこんな風に話しかけられることは、まずないです。私のそう短くはない人生振り返ってみても、一度もありません。あったら怖いです。むしろ無いことに安心している節すらあります。

東京のことはさておき、カナダのレジでの雑談は何度もありました。

  • 「これ、私も好きよ」(本当によくある)

  • 「(フォーンカードを買う時)どこにかけるの? 日本? へえ、日本のどこ?  そうかい、家族に? 時差は?」(Skype や Zoom の前の時代の話)

  • 「(白菜を見て)これ、何ていう野菜? え? どうやって食べるの?」(10数年前のプリンスエドワード島ではよくあった)

  • 「(アジア系インスタントラーメンを見て)これ、美味しい? いつか食べてみたいと思って。どうだったか感想教えてね」(え? 感想知りたい?)

  • 「(チョコレートの量り売りで)美味しいよねえ、このフレーバー。いいなあ、こんなにたっぷり」(ちょっと恥ずかしくなった)

レジに辿り着く前に見知らぬ人から話しかけられることも、よくあることです。大体がご自身の好きなものをいきなり薦めてくるか、または逆に初めて手に取るものに対して意見を聞いてくるか、のどちらかです。

  • 「私、こっちのフレーバーが好きよ」(2種類のマカロニチーズの箱を持って悩んでいたら)

  • 「グリーンティーって甘いのと甘くないのと、どっちがいいかしら?」(私は断然、甘くないのです!!!)

面白いですよねえ。なぜ、全く見知らぬ人にいきなり話しかけてくるのか。内容に必然性が無く、割とどうでもいいことばかり。まさに「雑談」をしてくるのです。

■ 長距離バスの中で
少し昔の話になります。2005年のことで私は27歳でした。カナダの東海岸にあるプリンスエドワード島から、西海岸にあるバンクーバーまで、1ヶ月半ほどかけて長距離バスで旅をしました。懐かしいなあ。バックパッカーの旅でした。

1ヶ月半の間に何本のバスを乗り継いだか、もはや覚えていません。1回に乗る距離も様々でした。2~3時間程度のときもあれば、丸一日乗り続けたこともありました。

大抵は2シートを独り占めして、ゆったり使いました。距離の長い区間では大きなバス車両を使うことが多く、車内には数ヵ所天井にテレビモニターが設置されていたりしました。一昔前の飛行機の機内のように映画が上映されることもありました。邦画のリメイク版『Shall We Dance?』が流れたときには、車内で爆笑が起こるほど、乗客みんなで楽しんだのを覚えています。

もちろん乗客で混みあう区間もありました。そうなるとお隣にも人が座ります。何人かの人とご一緒しましたが、印象に残っている人が2人います。

ひとりはカナダの首都オタワから大都市トロントへ向かうあたりだったと思います。イタリア系の男性でした。私は既に窓際のシートに座っていて、その人は座る前から目配せして「隣、いい?」と通路側のシートにさっと座りました。見るからに気障でおしゃべりなタイプでした。座って早々に、私が日本人だと分かると、「昔、日本人のガールフレンドがいたんだ!」と話してくれました。おしゃべりはどんどん続きました。

所用時間5時間くらいの割と長めの区間でした。どちらかというと一人で過ごすことが好きな私は内心ちょっと面倒だなと思っていました。もちろん彼もずっとしゃべっている訳ではなかったけれど。

ふと、会話が途切れ、それぞれが自分の時間を持とうとしたタイミングで、私は読みかけの本を開きました。沢木耕太郎さんの『深夜特急』でした。これはバンクーバーで出会った友達がくれたもので、私が読み終わったら、また別の誰かにあげるように、と託った本でした。私はその後シェアハウスで一緒に暮らした子にその本を託しました。今はどこにいるのだろう。本も、その子も。

さて、しばらくは静かな時間が続きましたが、彼がまた話しかけてきました。「何を読んでいるの?」と。私は、うーんと悩み、これは旅の話であり、英語では「ミッドナイト・エクスプレス」という名前の本だと説明しました。すると、彼はやや興奮して「ミッドナイト・エクスプレスといえば!」と、同名の映画があると話してくれました。刑務所から脱獄する話であること、主人公が自分と同じような全く真面目なタイプではないこと(彼はずっとマリファナの香りがしていました)、いい映画だよ!と薦めてくれました。

私はそこで思い出しました。沢木耕太郎さんの『深夜特急』のタイトルの由来が、本の冒頭に書かれていたことを! 残念ながら、今ここに、手元に本がある訳ではないので、正確にはどう表現されていたか分かりませんが、「ミッドナイト・エクスプレス」という文言があったのは覚えています。それを私の精一杯の英語で彼に伝えると、物凄く喜んでくれました。私もとても高揚感を感じたのを覚えています。私たちはそこでやっとラポールを形成したのでした。

彼は確かトロントに辿り着く前のバスディーポで降りたはずです。ご実家に帰るところだったそうで、お母さんがトマトソースのパスタを作って待っていると話していたのを覚えています。もう二度と会うことはないけれど、二十年近く経っても忘れていない、忘れられない会話をしました。

もうひとりは、トロントから西へ向かう区間で隣に座った女性です。女性というか、19歳の子でした。隣に座ったときは失礼ながら30代半ばくらいの落ち着きを感じました。妊娠しているのか太っているのかちょっと分からないお腹を抱えて、さらに小さな子を抱っこしていました。ちょっと生活に疲れた感じも伝わってきていました。肌の色は浅黒く、縮れた髪の毛は綺麗に編み込みがされていました。

私はトロントからウィニペグまで一気に移動するつもりでそのバスに乗っていました。その旅のなかで一番長い区間でした。丸一日というか、27時間かかる旅程だったはずです。もちろん所々で1時間単位の長めの休憩もありましたが、でもとにかく27時間そのバスと一緒でした。

トロントからウィニペグまでのどの区間だったか覚えていませんが、いっとき満席になったことがありました。長距離バスの乗客は私のように旅をしている人が大半でしたが、その区間では地元の方も移動の足としてそのバスを使っているのですね。その19歳の子もそうでした。

お隣に座ってしばらくは、私も彼女も何も話しませんでした。彼女が抱っこしていた子はとても大人しかったと思います。どんなきっかけがあったか覚えていませんが、いつのまにか会話が生まれていました。「どこに行くのか?」「どこから来たのか?」「日本? カナダ人じゃないのか?」「なんでこんなところにいるのか?」「27歳? なんてことなの! ちっともそうは見えない!」「私は19歳よ」「オンタリオから出たことないの」「日本ってどのくらい遠いの?」「なんでそんなところからカナダに来たの?」「これからどうするの?」・・・エトセトラ、エトセトラ。

会話が進むごとに、お互いがお互いの返答にびっくりし合いました。彼女が発した質問が素朴で、ストレートで、いちいち心に響いたのを覚えています。否応なしに「私は何者か」を見つめ直すことになりました。しかも、それを英語で表現しなくちゃいけない。英語の語彙力のせいで、私の返答も飾り気がなく、ストレートで、嘘の無いものになる。異文化交流を超えた何かがそこにはありました。

彼女の乗車時間はそんなに長くなかったと思います。1時間か2時間もしないくらい。彼女以外にも大勢の人が降りるバスディーポでした。彼女は、ふう、やれやれ、という感じで降りていきました。あれから19年、彼女は38歳になったはず。どうしているだろうか。

■ ケープブレトン島での音楽フェス
私はケルト音楽が好きです。「音楽の話」は、私にとってごくごく個人的な話なので、あまり大っぴらにすることはないのですが、それでも時々ちょっと溢れてしまう思いを少しずつ note に残そうとしています。

初めて「音楽の話」をしたのはこちらの記事です。

ケルト音楽といえば、アイルランド、イングランド、スコットランドの伝統音楽を思い浮かべますが、カナダ東部にも移民と共に彼らの音楽が伝わっています。特に、ノヴァスコシア州のケープブレトン島では、スコットランドからの移民が持ち込んだ音楽が土地に根付いて、今やケープブレトン独自のケルト音楽があります。これがまた素敵なのです。

長い前置きはともかく、ケープブレトン島には毎年秋に「Celtic Colours ケルティックカラーズ」というケルト音楽のフェスがあります。私は過去、2006年と2007年の2回、この音楽フェスに行きました。

『赤毛のアン』のプリンスエドワード島もなかなか遠いところですが、ケープブレトン島も世界の果てに行くような気持ちで乗り込みました。そして、さすがカナダ東部の端っこということもあり、日本人はおろかアジア人を見かけることもほとんどありませんでした。

今年行ったデンマークの音楽フェスもそうでした。日本ではまず味わうことのない「アウェイ感」または「エイリアン感」のような感覚を味わったものです。

でも、ケープブレトン島の Celtic Colours では、いかにもカナダらしい経験をしました。音楽フェスの会場で何度もいろんな人に声を掛けられたのです。

まずはチケット売り場でした。事前に電話で(!?)取っていたチケットを当日会場の窓口で受け取る際に、私の名前を伝えると「WAKANA!!! あら、あなたなのね、WAKANA! 初めて聞く名前だからどんな人がくるのかしらって思っていたのよ! 日本人なの? あらまあ!!!」 ・・・私の方こそ「あらまあ!!!」でした。

会場でシートに座った時も、両隣の方から話しかけられました。左隣は年配のおばさまで、右隣は若いお姉さんでした。「あなたひとりなの?」「どこから?」「PEI(プリンスエドワード島のこと)に住んでいるの!」「日本人ね!」「あ、次の人(アーティスト)はここ(ケープブレトン島)の人よ」「あら、この人達は(スコットランドのLAUだった)は知らないわ」(物凄く盛り上がった!)「ここの音楽が好きなのねえ」「東京はどんなところ?」 ・・・代わる代わる話しかけられ、とても楽しかったのを覚えています。

帰りにはお互い「良い夜だったね」「レンタカーなの?」「気をつけて帰ってね」「来年も来るといいよ」「またね」 ・・・まるで知り合いのように、また本当に再会するかのように別れました。




英語だと「Friendly(フレンドリー、友好的な、好意的な、人懐こい)」と表現してしまいますが、日本語で考えると「フレンドリー」というより「距離が近い、垣根が無い」と考えた方がしっくりきます。カナダで驚くことは、カナダの人々はその「距離が近い、垣根の無い」コミュニケーションを見知らぬ人と取るということです。

デンマークで心に残ったエピソードを書き並べた後に、私はこのように書きました。

この「大きな違い」とは、デンマークでは私に話しかける人がいなかったということです。もう少し厳密に表現してみると、個人的に話しかけてくる人はいなかった、つまり、私は誰とも個人的な会話を交わさなかったのです。

そして、このことを「衝撃的な出来事」と言い表したのは、カナダでのエピソードがあったからこそです。カナダの人々とは見知らぬ人とも「距離が近い、垣根の無い」コミュニケーションを取り、さらに私がそこに詰まるところ、感動・感激したのです。心動かされたのですね。でも、デンマークではそれが無かった!!!

もう少し「衝撃的な」と言い表した私の気持ちを分解してみると、カナダの人々とデンマークの人々の「違い」そのものに衝撃を受けたことは間違いないですが、さらに私の中にデンマークの文化や習慣の違いに関する知識不足やそれに伴う偏見に似た気持ちがあったのが分かったから、衝撃的だったのです。「欧米」と一括りにしていた自分を恥ずかしいと思いました。




トルコで心に残っているエピソード

さて、ここまで散々つらつらと、デンマークやカナダで心に残っているエピソードを書き連ねてきましたが、実はその締めくくりは、トルコで心に残っているエピソードに集約されます。

先にも書きましたが、今回のデンマーク行きはターキッシュエアラインズを利用したので、行きもそして帰りもトルコのイスタンブール空港経由でした。往路では1泊ホテルに宿泊したのですが、復路ではボスポラス海峡をクルーズする英語ツアーに参加しました。どちらも、ターキッシュエアラインズが提供する無料プランでした。

デンマークで(しつこいようですが)誰とも個人的な会話を交わさなかった5日間を過ごした後に、イスタンブール空港にてツアーに参加する人達と合流した途端、初めてお会いした彼らとの会話が始まりました。

もちろんいきなり「個人的な会話」になるわけではありません。当たり障りのない自己紹介や、その場にいる全員に共通する「旅の途中」の経過報告や、イスタンブール空港(煌びやかでした!)の感想を口にする程度です。

イスタンブール空港からボスポラス海峡のクルーズ船に乗船する港までは、大型バスで1時間程かかりました。なんと総勢140名ほどが集まったツアーで、バスも3台用意されていました。色々な国の人たちが一堂に会した様子は圧巻でした。

心に残っているエピソードは、ボスポラス海峡のクルーズを終えた帰りのバスの中でありました。なんせ大人数のツアーのため、バスの席も順々に詰めて、見知らぬ人とお隣になりました。行きのバスではお隣の人との会話はほとんどなかったのですが、帰りは違いました。

イギリスからシンガポールに向かうところだという男性でした。たぶん私と同い年くらいだったと思います。中年の物腰穏やかな方でした。私が日本人だと分かると、なんと高校生の頃に一年間だけ日本に留学していたことがあると話してくれました。交換留学生だったそうです。千葉にある「マルヤママチ」だと教えてくれました。シェイクスピアに縁のある土地で、彼の故郷であるイギリスのストラトフォードと交流があったそうです。それが縁で留学したとのことでした。

どういう話の流れだったかは覚えていませんが、シェイクスピアの話から、英米文学の話になり、私の好きな『赤毛のアン』の話をし、そして私はカナダに住んでいたことがある、という話までしました。そこから、私の今回の旅行先であるデンマークの話まで及びました。この十数年カナダばかりに行っていたけれど、今回初めてヨーロッパに足を向けたことを話しました。デンマークへは音楽を聴きに行ったこと、そして、デンマークでは私に話しかける人がいなかったということまで話しました。カナダでは色んな人が私に話しかけてきたのに。

私は「デンマークでは私に話しかける人がいなかった、私は誰とも個人的な会話を交わさなかった」ことに、何らかの感情を抱いていたのです。「衝撃的な」と言い表しましたが、もう少し具体的な感情表現をしてみると、寂しかったのか、悲しかったのか、とにかく、それはネガティブな感情でした。孤独感や疎外感を感じた私がいたのです。

私の話を聞いて、何かを感じ取ったのか、彼は慰めるように言ってくれました。「彼らはプライベートを尊重する人々だからね」と。Respect(尊重)と Private(プライベート)の単語が響きました。プライベートを尊重する人々か。

私は彼のその表現に救われたような思いがしました。プライベートを尊重する人々なのか。私は彼らからプライベートを尊重されていたのか。

北欧の人はシャイである、という表現は聞いたことがありました。日本人に似ていてシャイだから、というような表現も。そこが、カナダやアメリカやオーストラリアとかの人々と違うよね、とか。デンマークでは私に話しかける人がいなかったのは、彼らがシャイだからか? と捉えようとしていました。でも、しっくりこない何かがありました。

しっくりこない何かとは、「デンマークで心に残ったエピソード」に散りばめられているものです。私が感じた「デンマークの人々による何か」です。それらは、親切、気遣い、心遣い、気配り、といった言葉に転換して表現できる何かです。

イギリス人の彼が「彼らはプライベートを尊重する人々だからね」と表現してくれたことで、私はデンマーク旅行を何事もなくちゃんと楽しんできた自分に気づかされました。私が何かちょっと困ったとき、助けを求めたとき、彼らはしっかり応えてくれていました。そうでないときはただ、私のプライベートが尊重されていただけなのです。孤独感や疎外感を感じる必要はないのだと分かりました。

イスタンブール空港にバスが到着したとき、私の気持ちはずい分軽くなっていました。そうして、それまで気持ちが重くなっていたことに気づきました。日本に帰国してしまう前に、デンマークで重くなった気持ちがトルコで軽くなったことにありがたい気持ちでいっぱいになりました。

バスから降りてそれぞれが出発ゲートに向かう際に、イギリス人の彼は「See you.」と言ってくれました。ただの挨拶言葉であると言ってしまえばそれまでですが、あたたかい気持ちになりました。




さて、ここまで書いてみて、どう締めくくったらいいのか分かりません。果たして私が伝えたいことを、どれだけ表現できたのか分かりません。

「私にとっての欧州代表【デンマーク】と北米代表【カナダ】との違い ①」とだいぶ趣の違う記事になりました。① は客観的事実を割とあっさりめに並べてみましたが、今回の ② はかなり個人的なエピソードばかりです。

ここまでで15000字を優に超えてしまいました。今までで最長かな。一気にここまで読んでくださった方がいらしたら、本当に感謝です。でも、途中から読まずに、最初から読んで欲しいなと思います。感情の流れに合わせて書いたので、最初から順々に読んで欲しいなと思います。

③ は今のところ予定していません。この ② に相当いろんなことを詰め込んでしまったので。また、カナダ旅行記の続きを書かなくちゃと思っているところです。




冒頭の写真はコペンハーゲンの市街地にあるクリスチャンスボー城です。私がちょうど「良かったら、写真撮ってあげましょうか」と声を掛けられた場所です。あのお姉さんもどうしているかしら。私のこと覚えているかな。

あのお姉さんの声掛けを思い出すと、実は「写真撮ってもらえばよかっただろうか」という声が私の中で聞こえてきたりします。いやいや、でも、断って良かったのです。海外旅行ってそういうものです。

十数年ぶりにカナダ以外の国を訪れて、十分いろいろな思いを堪能して、そして今、物凄くカナダに行きたい私がいます。プリンスエドワード島に行きたいな。ケープブレトン島にも行きたいな。

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