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コーチを生きる。

会社を辞めて
コーチとして起業してから、
一度は休業し、
Fさんとの出会いによって
コンサルティングチームの
専属コーチとして再開した。

何者でもなくなった
時期を過ごしたものの

結果的にコーチとして
再開することになって、

改めて、自分にとって
コーチとはなんなのか、を考えるようになった。

前にも書いたけれど、
コーチとは

「目的地に連れていく人」という意味がある。

技術や知識を教える「ティーチャー」と違い、
その人自身が答えを見つけ、
自ら目的地へ向かうことを
サポートするのがコーチだ。

そして、
これは僕の解釈だけど、

もっと言えば

目の前の人に寄り添い、
その人の可能性を信じ、
その人の存在を肯定する人

その人の本質を見て
その人が本当に大切なことに
気づくことを手伝う人

その人の役に立つことを
その人が喜ぶことを
心から喜ぶことができる人

世界はその人が創造している
創造できると信じている人

というように
色々あるのだけれど、

結局、コーチというのは
「在り方」だと思う。

在り方というのは、
いつでもどんな時でもコーチということで、

全方向に対してコーチだということ。

僕にとって、
コーチというのは
職業ではなくて、

自分のありたい姿で、
自分の役目と認識する姿だ。

後に教わったことだけど、
「コーチングを生きる」という
言葉に出会った。

それは、
まさに「在り方」と同意だ。

「娘、中学を辞める」で書いた
(リンクは最後に)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
何かをしたり、何かを成し遂げたり、
何かをしなかったり、何かができなかったり、しても
あなたという奇跡の素晴らしさは何も変わらない。
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これも、僕にとっての在り方だ。

コンサルティングチームで
専属コーチとして過ごした1年で、

コーチとして求められることと
僕の在り方としてのコーチと

相容れないことも体験することとなる。

コンサルティングで決めた方針が
コーチングによって
その人が気づいていなかった
本当に大切なことを気づかせたことで、

時にクライアントの方針が
変わってしまったりするからだと思う。

だから、Fさんを戸惑わせてしまうことも
度々あったと思う。

僕は在り方と、
仕事として求められること

(ここではつまりクライアントを
コンサルティングの目標に向かわせることだ)

との板挟みになってしまう。

コーチはコントロールしない。

しかし、コンサルティングチームとして
クライアントを
時にはコントロールしなければならない。

だから、かつて僕は
ビジネスコーチとして
クライアントの望む結果に向かわせたし、
時にはコントロールもした。

だけど、
本質的にはコントロールできないし、
本当にその人の望むことは
その人が望むことであり、

それは、その人が気づきを得て
望むことが変わったりするのも当然だ。

でも、それだと
コンサルティングが破綻してしまう。

企業に対してはその方針が
個人の感情で変わることはないかもしれないが、

個人というのは、個人の感情に左右され、
またそれは個人にとって大切なことだ。

だから、
僕は一度、すべての活動を休止した
理由がその時はわからなかったのだけれど、

この相容れないところが
原因だったかもしれない、ということに
気付かされることとなった。

もちろん、
僕を誘ってくれて
チームとしての一年間の経験は
僕にとって貴重な経験となったし、

クライアントの成果を一緒に喜びあうことができる
環境を与えてくれたことに感謝しかない。

実際にFさんのコンサルティングは素晴らしく
クライアントも一年前では考えられない成果を得た。

また同時に、
僕にとってコーチとは何なのか、
ということを深めてくれるきっかけともなった。

だから、本当にこの出会いの奇跡に
感謝している。

そして、僕は
この在り方を生きる、

という道を
改めて歩き始めることとなった。



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