見出し画像

「運動神経」、「才能」、「センス」なんていう言葉はあまり使わないほうが良い

「あの子は運動神経が良い」

「あの子は才能がある」

「あの子はセンスがある」

スポーツが上手な子どもを形容するときによく使われる言い回しです。

こういった言い回しを聞くにあたり僕が日頃から疑問に思っているのは、スポーツが上手な子どもは生まれつき能力があるのか、それとも能力を培ってきたのか、はたまたこのふたつの組み合わせなのか、というもの。

ちなみに僕は、生まれついての能力だけではないという意見です。

なので、僕がテニスを教えている子どもの話をする時は、才能とか、センスとか、運動神経とか、そういったボンヤリとした表現は使わないよう心掛けています。こういう表現ってその子どもについて的確に説明できているとは言えないと思うんです。

例えば、運動神経って一体なに?

速く走れる。高く飛べる。遠くまで投げれる。ジャグリングができる。上手にジグザク走れる。そんな子は運動神経が良いんですか?運動神経が良いのと、運動能力が高いのはどう違うのでしょうか?

運動神経という単語が的確な説明性を欠いているのも問題なんですが、もっと大きな問題は運動神経という言い方をすることで、その子どもが先天的に得た能力というニュアンスをおびてくることだと思います。更に言えば、運動神経が良いという短絡的な表現は何か神秘的な雰囲気さえある気がします。

スターウォーズの主人公ルーク・スカイウォーカーでもあるまいし、選ばれしものなんてのは存在しないと僕は考えています。でも、運動神経やらセンスやらなんて言い方をすることで、あたかもその子は特殊な「何か」を持って生まれたかのように聞こえてしまう。

だから僕は、スポーツをしている子どもやアスリートの生い立ちをそんな風に説明してしまうことに煮え切らない気持ちを抱いてしまいます。

子どものスポーツが「できる」「できない」っていうのは、たくさんの要因によって決まるもので、その子が持って生まれたDNAはたったひとつの要因でしかないんです。

子どものスポーツ能力を左右する要因の例をあげると、その子が産まれた月(年度の早い時期に産まれた子のほうが、セレクションに選ばれたりとスポーツでの成果が高くなる傾向にある)、その子が産まれた場所(大都市よりも、少し人口の少ない地域のほうがアスリートを輩出している)、家族構成(トップアスリートは、2人目や3人目の子どもであることが多い)、その子の家族の経済事情などなど。例をあげ始めればキリがありません。

しかも、ここであげた例だけを見れば、子どもがコントロールできる要因はひとつもありません。ということは、その子の運もかなり大きな要因のひとつということです。

更にその子が積み上げてきた練習も考慮しなければいけません。

ちなみに練習といっても、コーチに教わるようなクラス形式(デリバレットプラクティスとも呼ぶ)だけが練習ではありません。遊びのなかで身体を動かしていることも(デリバレットプレイとも呼ぶ)、練習のひとつの形です。むしろ18歳以下の子どもたちには、遊びを通した練習の方が大事なようにも思います。

そしてこれらの練習の形式にも、子どもの住む地域やら、家族構成やら、経済状況やらが関わってきます。なので、全ての要因が複雑に絡み合ってアスリートは形成されるんです。

そんな理由で僕は、運動神経、センス、才能、といった言葉を子どものスポーツの現場で使うことに大きな違和感を感じてしまいます。

子どもたちは、親やコーチからの評価にとても敏感です。だからこそ僕たち大人が、使う言葉をもっと慎重に選ぶ必要があると思います。だって、誰にだってスポーツの能力を高めていける可能性はあるんですから。

子どもたちのチャンスを狭めてしまうような言葉は、あまり使わないほうが良いんです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?