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先生、掃除がしたいです…。

掃除をやらずに遊んだり、他の人の邪魔をしたりしている子。毎年、一定数はそのような子がいました。

また、掃除時間によくトラブルが起こっていました。遊んでいる子を注意し、逆上されて揉める。邪魔をした、してないと言い合って揉める。一緒にふざけ合っていて揉める。

などなど、理由は様々ですが、とにかく掃除時間はトラブルが起こりやすいです。そのため、こちらも遊んだり邪魔をしたりする子を注意して回り、監視の目で見るようになってしまいます。

ただ結局、先生が見ていないときには乱れるため、根本的な解決にはつながりませんでした。気づけば、この繰り返しの日々。掃除は我慢を強いる時間。先生から怒られないように耐える時間になってしまいます。

ある日、担任する1年生の教室で、掃除時間を変えようと決心する出来事が起こりました。

いつものように掃除をしていると、途中から遊び始めた子がいました。私はすぐに注意はせず他の子どもたちと掃除をし続けます。

廊下掃除でも何やら遊び始めた子たちがいます。最終的に5人の子が遊んだり邪魔をしたりする結果となりました。

私は毅然とした態度で、「遊んでしまって、できなかった分の掃除をしましょう」と5人に投げかけました。

嫌々顔をしながら掃除ロッカーに向かう子もいれば、まずいことをしたと反省顔で向かう子もいます。

その瞬間クラスでこんな声があがったのです。

「ぼくもやりたい!」

それに続いて何人もの子が「わたしも!」「ぼくも!」と声をあげて立ち上がりました。この展開をまったく予想していなかった私はとても驚きました。

結局、掃除をきちんとやり終えた子たちも含めてクラス全員で、もう一度掃除をしたのです。それぞれがやりたい掃除を、自分の意志でやったのです。まさに、主体的な掃除を目の当たりにした瞬間でした。

掃除を終えた後、私はクラスの子たちにこう話しました。今のみんなの姿は本当にすてきでした。掃除をしなかった5人を責めるわけではなく、一緒に掃除をし、協力して気持ちよく終えました。これが暖かいクラスというものですね。

これまで私が行ってきた掃除指導は、ただの指摘、監視に過ぎなかったのです。自らの掃除指導を強く強く反省しました。

この出来事から得た気づきは以下の通りです。

・子どもたちは掃除が嫌いではない。教師が「やらされ掃除」をつくり出していることが原因で、嫌いにしている。自分で決めて取り組む「主体的な掃除」になれば意欲的にやる。

・「主体的な掃除」になれば、掃除を自分事として捉えられるようになり、遊びや邪魔によって起こるトラブルは減る。

・指摘し合う関係ではなく、掃除を通して助け合う関係、支え合う関係づくりを実現できる。

これらは、あくまで仮説であり、やってみることで見えてくる課題もあるはずです。同じように遊んだり邪魔をしたりする子も出てくるかもしれません。

しかし、やらされていたときと、自分で決めてやるときとでは、子どもたちの感じ方は違ってくるはずです。

自分で決めてやってみて、うまくいかなかったならば、次にどうするかを考えます。自分の課題に気づけます。

私が主体的な掃除で思いつくのは、岩瀬直樹さんの「お掃除プロ制度」の実践です。まだ学生の頃に岩瀬さんの『クラスづくりの極意』を読み、衝撃を受けました。

こんな教室をつくっている先生がいるんだと、ワクワクしたのを今でも覚えています。もちろん、すぐにそんな実践をできるはずもなく、ここまで自分なりに試行錯誤しながら、無思考のスタンダード学級経営にはならないようやってきました。

そして、今回の出来事を通して、子どもたちの姿を通して、いよいよ「主体的な掃除」の実践をつくっていくときが来たのだと実感しました。

掃除時間を変える。新たな挑戦の始まりです。

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