受験・就活・転職で思考停止な決断をしないために!

はじめに

どうもコンスです。
noteの他のかたの記事を読み漁っていて、やはり受験や就活に悩む人は今も昔も相当数いるのだなと思いました。
人のアドバイスとは時に参考になる一方で、残念ながらあなたの挑戦する可能性や意思の芽を積んでしまうかもしれない代物ではあります。
その人物が頼れる・信頼できる人物であればあるほど、思考停止な決断をしてしまったりと、なかなか自分自身を信じること、そして人のアドバイスを参考にすることは難しいです。

かく言う私は、現在何か悩んだ時は妻に相談しますが、相談する時点で何かしら自分の中で決断が下されることは多いです(それで怒られたりするのですが)

一方で、私がこのような性格や行動にいたった理由としては、受験や就職活動に置いて、自分を導いてくれる人の言動や行動が思ったより”軽いもの”だった(悪く言えば、責任感のないものだった)経験から、自分自身が確たる証拠やリサーチ、リスクまで考えてから決断することを徹底的に意識するようになったためです。

そのため、ここでは自分自身の経験を踏まえ、皆さんの人生の転機でお世話になる機会が多いであろう、受験、就活、転職に関わるアドバイザリー業務を実施している方たちとの接し方、そして私自身が感じたこと、皆さんに意識してほしいことを書いていきます。

受験や就活/転職アドバイザーとは、頼りになる存在である一方で、使い方や接し方、物事の理解を俯瞰的にできなければ少々危険ではあります。

彼らの存在自体が悪かと言えば、そんなわけでは全くありません。
私が気を付けねばならないと思っているのは、自分自身の経験上、以下のような場合に当てはまるケースです。

①受験アドバイザー(例:教師)が、ある大学(学部)に行けば、このような業界に就職でき、将来は安定だと言うようなケース
②就活アドバイザー(例:内定者や新卒向けキャリアアドバイザー、就職課 )が、内定自身ではなく、会社自体の業務や社内キャリア(収入などを含む)を語るケース
③転職アドバイザー(例:リクルーター)が業務内容や社内事情、働き方を語るケース

情報に振り回されやすい当事者が気をつけるべき存在は、①>②>③の順かなと思います。
特に①、②に関わる高校生や大学生、そして保護者の方は最新の注意を払って情報を取捨選択し、将来の選択をしなければ、取り返しのつかない後悔をしかねません。

なぜ皆さんが他人任せの情報収集、アドバイスだけに頼りすぎては行けないか、自分自身の経験を元に少し話そうと思います。

私自身にとって、それぞれのアドバイザリーを実施している職業に就いてる友人もいますし、彼らの存在を全く否定するつもりはありません。
ただ自分自身が、今振り返ると結構危険な判断をしていたんだなと言うことがあったので、自戒の意味も込めて少し書き出そうと思います。

こんな大変な世の中で、少しでも悩んでいる人の助けになりますように。
そして自ら行動、選択できるための指針となりますように。

今日は特に、①に関連して、最初の人生の転機とも言える高校生の時に考えるべきだったことについて書いてみようと思います。

分からないなりに考えろ高校生!
高校3年時の担任との会話と感じた違和感

高校3年当時の私には、特に目的もやりたいこともなかったので、当たり障りもない”安定した”職業につける進路を探していました。
田舎育ちの私にすれば、ビジネスと世間で呼ばれるものの大半をみたことさえなく、想像できない世界ではありました。
とすると、多くの同級生が考えていた地元での就職とは、公務員、教員、地方銀行員くらいのものだったかと思います。

賢い同級生たちは、当然のように旧帝大や地元の国立大学を目指していたと思いますが、なぜその大学に行きたいかと言うよりも、自分の最大限ストレッチした学力の行ける大学を目指していたことに過ぎないのではないかと今では思います。もちろん確たる決意や夢があって、医者や先生になりたいと思っていた同級生も中にはいたと思いますし、彼/彼女らは当時の自分とは比較にならないほど真剣に勉強に立ち向かっていたはずです。

ただ多くの同級生は、いい大学→いい就職→安定した人生と言う目線で、勉強、大学選びをしていたのではないかと思います。

私自身も特に夢があったわけではないが、安定した生活を送れるような進路を探していました。
特に、地方公務員になれる、なりやすい大学、学部を中心に。

当時の私の学校は地方公立進学校で、よくある国公立大学への至上主義の方針をとっていました(現在は多少なりと状況は変わっているようです)
地方の国公立大への進学>難関私立(早慶上智)と言った構図で、偏差値や知名度ではなく、国公立にどれだけ進学させたか、が当時の教員たちのKPIになっていたようです。
不思議な話ではありますが、日本全国どこでもよくある話らしいです。

高校生の私は特に数学が苦手で、国語、社会系科目、そして嫌いではない英語(得意ではないですが)が自分の唯一集中できる科目でした。
となると、必然的に総合的に高い学力が求められる国公立への進学は難しくなります。

さて、ここからが本題になります。
当時の私が担任教員(受験指導)に言われたことは、

・公務員になるならば、その地方の国公立に進んだ方が良い
・3教科でも受験できる国公立の方が、私立よりも就職に強いこともある
・私立のよく名前が変わる学部よりも、国公立の方が学べることは安定している

と言ったようなことでした。
まぁ彼の主張が分からないでもないところもありますが、2つだけ納得できないこともありました。

・就職に強い大学、学部は、XX大学やXX学部
・文系なら経済学部に行けば、潰しも聞くので、先生にも、公務員にも、銀行員にもなれる

これだけはいまだに納得できていない言葉として、頭に強く残っています。
特に当時の担任が悪いとは思ってはいませんが、その担任は特に地方公務員(教員以外)の経験もなく、銀行員の経験もなく、ましてや教員以外として働いたこともなかったはずです。
加えて、就職と一重に言っても、営業職、研究職、企画職など職種は多岐に渡ります。
学生の数だけキャリア観もあり、それだけこの道に進めばこのキャリアが開けると言うことではないことに十分な理解が必要なのです。

そんな教員が、ある種別世界の就職やキャリアについて、高校生に語ると言うことに当時も違和感を覚えましたし、今でもそのモヤモヤは残っています。

確かに大学の就職課が出している就職先パンフレットを見れば、就職率90%と言った文字や、有名企業の名前、地方公務員N名と言った言葉が踊っているはずです。
そして、当時の教員もそのようなところから情報を得ているのでしょうし、大学側も間違いなくアピール材料として、対外的にアピールしているところでしょう。

ただ、それはその学部で学んだから、その就職先から内定を得たと言う単純な因果関係があるわけではありません。
一人一人の努力とストーリーの結果であり、潰しの効いた学習の結果ではないことを高校生で進路に悩んでいる方は知るべきです。

自分なりの判断軸をしっかり考えてみる

私自身が何になりたいか分からない、好きなことがない/見つからない時に決断を迫られ際、今ではこのように考えるようにしています。

1. 10年後どのように過ごしていたいか 

 例)お金持ちになって、外車を乗り回したい

2. 大人になったら、何歳でどれくらいお金を使えるようになっていたいか

 例)30歳で月に20万円は使いたい、自由に飲み食いできるお金が欲しい、

3. 大人になったら、どのような場所で生活していたいか

 例)東京、大阪、京都、海外(田舎、都会、ヨーロッパ、アメリカ)

4. どのような人たちと時間を過ごしたいか

 例)外国人の人たち、家族、これからできる将来の家族

この4つを考えるだけで、ある程度なんのために進路選択をするのか少しクリアになるはずです。

そして、その中で自分の判断軸を叶えやすい一番の選択肢を選ぶ。
それが最も後悔しない決断になり得るのかと思います。

自分の気持ちだけで決められない時には、将来の姿を描いてみることが重要になります。
あくまで私の感覚ですが、ここでいい会社に入りたい、この業界に入りたいと言った具体的なイメージを沸かせるのでもいいのですが、会社を指標にしてしまうと自分自身の可能性の幅を狭めてしまうこともあるので、あえてふんわりとした目標にするのも手です。

将来年収1,000万円稼ぎたい=商社に就職

というのはあまりにも短絡すぎるので、将来1,000万円会社員として稼げる職種、そのような職種を設けている会社、業界はどんなところかとざっくり考えるくらいがいいかもしれませんね。

その上で、どのレベルの大学に行けばどのような就職先に進む人がいるのか(=チャンスや可能性が高くなるのか)を分析するのは非常に有益だと思います。

チャンスの数は環境要因に左右される

私の父はよく言うセリフはこちら

自分がより高いレベルに行けば行くほど、自分の望むチャンスを掴める可能性が増える

これは私自身が体感、体現していることなので、あながち間違いではないと思います。
自分が努力してたどり着いた先には、努力しないでたどり着く先よりも、より多くのチャンスに満ちています。

より”レベルの高い”大学に入れば、入るほどいろいろなチャンスに恵まれているのは、残念ながら真実です。
ただし、環境にいるだけでチャンスを掴めるかは全く別の話になります。

そして受験や就職が思うように行かなかったからといって、チャンスに出会えないかと言えば、そんなわけではありません。
もし自分の望んでいなかった環境にいるのであれば、環境から脱する努力をする必要があります。

後天的に得られた環境は、自分自身で変えることができます。

私も受験に成功しているわけでもないですが、自分で環境を変えて、より自分の理想に近い将来像を描いて努力し、イギリスの大学院に留学し、外資系法人に就職もしました。

嘆く時間があるなら、変わる努力をする

それが一番重要だと思います。

終わりに

妻と過去の自分の決断について、ボーッと話した結果、いろいろ思うことがあったので記事にしてみました。
生まれた国も、話す言葉が違えど、同じような悩みは世界共通なようです。

少しでも皆さんが前向きに、より良い決断をする道標となりますように。

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