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読書メモ|『まとまらない言葉を生きる』

最近読んだ中でも特にお気に入りの本。荒井裕樹さんの『まとまらない言葉を生きる』。何度も読み返したくなります。


「言葉が壊されてきた」と思う。
(中略)日々の生活の場でも、その生活を作る政治の場でも、負の力に満ちた言葉というか、人の心を削る言葉というか、とにかく「生きる」ということを楽にも楽しくもさせてくれないような言葉が増えて、言葉の役割や存在感が変わってしまったように思うのだ。

『まとまらない言葉を生きる』p.3

「言葉が壊される」というのは、ひとつには、人の尊厳を傷つけるような言葉が発せられること、そうした言葉が生活圏にまぎれ込んでいることへの怖れやためらいの感覚が薄くなってきた、ということだ。
(中略)
対話を一方的に打ち切ったり、説明を拒絶したり、責任をうやむやにしたり、対立をあおったりする言葉が、なんのためらいもなく発せられるようになってしまった。

『まとまらない言葉を生きる』p.6

誰しも一つや二つは頭の中に思い浮かぶことがあるんじゃないでしょうか。SNSを流し見しても、ニュースを聞いても、特に最近は毎日そんなことばっかり。

「壊されたもの」というのは、強いて言えば、言葉の「魂」というか、「尊さ」というか、「優しさ」というか、何か、こう、「言葉にまつわって存在する尊くてポジティブな力めいたもの」なのだけれど、…

『まとまらない言葉を生きる』p.12

この本では、そんな言葉の力を考えさせられるような言葉がいくつか紹介されているんですが、少しでも著者の伝えたかったこと、「まとまらなかったけど大事なこと」を汲み取れているといいな、と思います。


言葉は「壊されてきた」かもしれないけれど、少なくともこの世界のどこかでは「尊くてポジティブな力めいたもの」を宿した言葉は生まれ続けているんだろうと思います。ただ、そういうものを鼻であしらう冷笑文化みたいなものが、特に言葉でのやり取りを中心とするネット上には根付いている感じがします。ネットの時代である今、そういった価値観はどんどん広まり、言葉のきちんとした受け取り手が十分に存在しなくなっているのかもしれません。そして何かを受け取ると同時に発信されるのはどんどん冷ややかな言葉になっていく。

言葉には「降り積もる」という性質がある。放たれた言葉は、個人の中にも、社会の中にも降り積もる。そうした言葉の蓄積が、ぼくたちの価値観の基を作っていく。

『まとまらない言葉を生きる』p.26

きっと、言葉の扱いや扱う言葉に問題のある人間が増えたことで、言葉そのものに宿るものにも問題が増えている。そして人間は言葉を使ってものを考える生き物だから、そうした言葉で思考することによって、さらに言葉の扱い・扱う言葉に問題が生じていくんでしょう。

自分で使っている言葉はどうかと振り返ると、人に対しては結構気をつけているものの、自分に対しては降り積もらせたくない言葉を使ってしまっていることもあるなと思います。

せっかく降り積もるなら、生きるということを楽に、楽しくさせてくれる言葉がいいですよね、と自戒の念を込めて。


そしてこの本は、力のある優しい・勇気をくれるような言葉の紹介はもちろんなんですが、言葉の扱い方も教えてくれている気がします。

田中美津さんの言葉(「いくらこの世が惨めであっても、だからといってこのあたしが惨めであっていいハズないと思うの。」)と、「なんでもかんでも責任転嫁」という言葉と、ふたつを並べてみた時、自分が生きていくためにはどちらの言葉が必要だろう。もう少し踏み込んで言おう。もしも自分が苦しい思いを強いられた時、「自分で自分を殺さないための言葉」はどちらだろう。

『まとまらない言葉を生きる』p.71

そして、想像力の使い方。

「誰か」を憎悪するのにためらいのない社会は、「私」を憎悪するのにもためらいがないはずです。

『まとまらない言葉を生きる』p.87

誰かの一線を軽んじる社会は、最終的に、誰の一線も守らないのだから。

『まとまらない言葉を生きる』p.145

「誰か」には「私自身」や「家族」「友人」もなりうるという想像力を働かせれば、自ずと人に対する自らの態度・用いる言葉も変わっていくのかもしれません。


そのほかにも印象に残った言葉たちはたくさんありますが、紹介しきれないのでぜひ実際に読んでいただければと思います。
noteに言葉を綴っている人はきっと気に入る人も多いんじゃないかな。