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鍋をかぶるおじさんの自由

ラジオが好きです。インターネットも同じくらい大好きです。たったひとりの声を届けたり、聞いたり、読んだりすることができる奇跡的なメディアだからです。ここに残すのは、ラジオで話すためにまとめておいた原稿。放送に収まりきらないところがあったのと、鍋をかぶったおじさんについても補足したいところがありました。

ラジオといえば、いまだに引っかかっていることがある。2022年3月14日放送のラジオ番組、テリー伊藤さんが、日本で通訳をやっているウクライナ人のオクサーナさんと交わした会話。テリー伊藤さんの主張はこうでした。「まずロシアには勝てない」「ウクライナの人たちがこのまま(命を落とすことを厭わないという考えのなかで)戦い続けることは避けたい」どこの国の人であろうが、人間が人間を殺める行為。戦争によって命を落とすのは避けたい。正直な意見だと、僕はそのとき感じた。これに対してオクサーナさん、「ウクライナが戦わないで、そのまま殺されていいってことですか?」「何の抵抗もしないで。まるでウクライナが戦争を続けたくて続けているような言い方にしか聞こえない」と、テリーさんを強く批判しました。これにテリーさんは「見捨てるつもりなんかない。ウクライナの人たちの命を助けたい」と強調。オクサーナさんは「死なせたくなければ、日本も含めていろんな国々が何らかのアクションを起こすべきでしょう」と反論。テリーさんは「でも、現実問題として日本も(戦力などを)出せない、中国は当然出さない、アメリカだって第三次世界大戦は絶対にしないとバイデン大統領は言っている」「経済的な制裁はするけど、武力的なことはしないと思う」と伝えたところ、オクサーナさんは「武力的なことはしなくていい。経済的なことをすればいい」テリーさんは「経済制裁は効いてくるのが5年10年後ですよ」「経済制裁をしたからと言って、プーチンが逆に尻尾巻いて逃げますか?経済制裁をすればするほど彼は逆にウクライナを攻めてきます」テリーさんが語気を強めていうと「降参するっていうことですね、よくわかりました、はい」とオクサーナさん。会話は平行線をたどり、最後はアナウンサーがまあまあ、テリーさんも悪い人じゃない。平和的な解決を願ってのことです。みたいな感じで、本質に触れないまま。ある意味とても日本的な着地をして放送は終了。

テリーさんの言い分も、アナウンサーがなんとか収めようとしたのも、完全同意ではないものの、気持ちはわかる。同じ日本人ですから。ラジオ番組もやってますから。変な感じでリスナーに伝わって、番組を潰したくない。実際問題、日本としても難しい立場だ。協力したくても、即時かつ軍事的な協力はできない。輸送目的で自衛隊は出せるかもしれない。しかし、そこで自衛隊から犠牲者が出た場合、日本はどのように対応を続けられるのか。日本には日本の事情があるとはいえ、ウクライナ出身のオクサーナさんの怒りについて、確たる部分がわからなかった。情けない。ちゃんと知りたいと思った。それから僕は、ウクライナの歴史をひとつひとつ学ぶようになった。あらゆる文献を漁り、視聴可能な映像を見続けた。膨大なメモが残った。そこには、自分たちが生まれた土地で当たり前に、自由に暮らそうとする人たちと、入れ替わり立ち替わりやってくる傍若無人な侵略者たちとの衝突。長い長い歴史があった。この文章を読んでくれている人たちに、僕と同じ時間をかけてウクライナのことを知ってほしいわけではない。ひとつドキュメンタリー映画を紹介する。気になっているであろう、冒頭の鍋をかぶったおじさんもこの作品に登場します。

ウィンター・オン・ファイヤー(ウクライナ、自由への闘い)
2013年にウクライナで発生した学生デモが大規模な公民権運動へと発展した93日間の様子をとらえたNetflixオリジナルのドキュメンタリー。情報よりも生きた声を届けたい。映画に登場するウクライナの人々の言葉を引用しつつ、解説を加えます。

「いま立ち上がるの、明日怯えたくないから」
ウィンター・オン・ファイヤーより
デモに参加するウクライナ人女性

EU加盟を約束してくれたから(議会を通じて)大統領に選んだはずのヤヌコービチ、実はロシアの息のかかった政治家であることが明るみになった。国民はこの大統領を罷免すべく立ち上がり、100万人を越えるデモに発展。キーウの独立広場を占拠した。警察特殊部隊「ベルクト」らは武力で統制を図るも、歯止めがきかない。デモの一群はキーウの市庁舎を占拠。そのシーンで、僕はウクライナ人の国民性を目撃した。無破壊なのである。あくまで平和的行動で自分たちの意思を表明していた。警察の攻撃で生まれた負傷者の数は膨らむ一方だった。国民感情として、武力に訴えても仕方のない場面。ピアノを弾くものがいたり、ダンスをするものがいたり、ワインを飲むものがいたり。最後まで武器を持たない意思を感じた。占拠された市庁舎の壁には「不屈の国」とマジックで書いてあった。

「もういちどお願いする。ヤヌコーヴィチの命令に従わないで欲しい。国民と寄り添い続けてくれ」
警察に対話を求める丸腰の年老いた男性
「みな、自発的に広場にとどまることにしたの。人々に声が届くまで。世界の人々にね」
ウクライナ人女性

ウクライナ正教会につとめる男たちは、広場を占拠した国民を一掃しようとする政府に対して、教会のすべての鐘を鳴らし続けた。まさに、警鐘を鳴らしたのだ。このような事態は、1240年にタタール人がキーウに侵攻して以来のことだった。

広場を占拠し続けるウクライナ国民。元軍隊のおじさんが、若者たちに身の守り方を教えている。感情を抑え、相手を刺激せず、違法にならない、自分や仲間を守る方法を伝えた。こう着状態に業を煮やした政府が法律を改正。バイクのヘルメット禁止、5台以上の車列移動禁止、インターネットへのアクセス規制、そして、集会へのヘルメット着用を禁止した。独裁政治を肯定する明らかな悪法。ウクライナ国民は機転をきかせて、鍋を頭にかぶって広場に集まった。

「ここは鍋をかぶる人が多い。法律で禁止されていないからだ。政府は鍋も禁止すればいい」
鍋をかぶったおじさんを解説する別のおじさん

痛烈な皮肉だ。日本の政治家にこれが通じるかなと、瞬時に思った。何しろ、皮肉を皮肉として受け取らない。むしろ褒められたと思ってしまうところさえある。それはともかく、ウクライナ国民は、最後の最後まで武力を選ぶのを避けた。政治家に言葉が届くのを、要望に応えてくれるのを待った。でも、政治家はまだ行動しなかった。さらなる武力、親ロシア派が警察を使って国民を抑制しようとした。激しい衝突が続いた。銀行家や高名な弁護士さえ暴動に加わって、警察に石を投げた。

しばらくこう着状態が続いた。国民と警察の間にはさまざまな宗教の牧師が間に入って、それぞれの宗派の聖書を読み上げ、犠牲者たちを弔った。政府は、警察そして特殊部隊(ベルクト)のほかに、ティテュシュキーと呼ばれるゴロ付きの傭兵集団を金で雇っていた。大抵は刑務所に入っていたものたち。自由を守ろうなんて気持ちはなかった。

ウクライナ国民は、ポーズばかりの政府にノーを突きつけ続けた。犠牲者の数、死者の数も増えてきた。大統領選を12月に行う。政府との折衝にあたってきた野党議員(全く国民から信頼されていない)からアナウンスされたものの、収まらない。国民(厳密にいうと防衛団のひとり)はマイクを奪い、「明日の10時までにヤヌコービチを辞任させてくれ」「さもなければ武力攻撃を開始する」と宣言した。

この宣言があった翌日の夜明け前、ヤヌコービチ大統領は逃げるようにウクライナを後にした。同じ日、ウクライナ議会はヤヌコービチ大統領が憲法の規定にない手順で大統領を辞任。次期大統領選を早急に開催することを議員投票によって可決。93日間におよぶキーウ独立広場でのデモで、ウクライナ国民は武力に頼らない形で自由を勝ち取ったのだ。

ウクライナが独立してから大人になった世代は、自由な人間として育った。自由な人は決して屈しない。
広場の熱狂を傍観する年老いた男性

この自由という言葉の意味から考え改めたいと思った。オクサーナさんの怒りに配合されていたもの、それは自由を勝ち取るというのが当たり前じゃない。そういう歴史と経験を重ねてきたからこそ言える言葉だった。私たち日本人には、この認識が欠けている。ラジオでは、ここでソウル・フラワー・ユニオンの『うたは自由をめざす!』を流した。

ちらばって うたは自由をめざす
混ざりあって うたは自由をめざす
傷つけあって うたは自由をめざす
手を取りあって うたは自由をめざす
ソウル・フラワー・ユニオンの『うたは自由をめざす!』より

この映画が公開されたのは2015年、このあとウクライナはクリミアの併合、ドンバス戦争、そして現在のロシア侵攻に至るまで、自由を獲得するための戦いを続けている。非武装で政権を覆した経験のある国民が、最後まで武器を持つことを躊躇っていたウクライナ人が、武装せざるを得なかったのだ。「ロシアには勝てない」なんて絶対に言えない。かといって「自らの命を賭して、自由をかけて最後まで戦って欲しい」とも言えない。ロシアが侵攻を止めるにはどうすればいいのか。プーチンの目論見、焦り、孤独、そして誇りを罵倒したところで解決にはならないだろう。

日本人としてどう感じるか。どう行動するか。問われている。だからといって、一人称を大きくして、国家とは、主君とは、みたいな個人の感覚とかけ離れた口ぶりで意見したくない。最小単位のいち個人として表明する。僕は最後まで、文化の力を信じている。ヘルメットの代わりに鍋を頭に被った勇敢なウクライナ国民に共鳴する。いち個人の意見として、作品を発表し続ける。武装ではなく、実装を続ける。

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