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簡単には救いをくれない世界を、複雑なまま愛そうと思った:後編


3, 人生を生き直した、最後の1ヶ月


「どうせあなたも愛しちゃくれないだろう」

CMCも残り1ヶ月に差し掛かったタイミングで訪れた、
2泊3日の修学旅行。
1泊目は岩手北東部の山中にある、
手紙でしか予約が取れない”苫屋”という囲炉裏のあるお宿に泊まりました。

囲炉裏を囲んで自家製のお野菜やジビエ料理を食べ、
傍を流れる小川に蛍を眺めにいき、
宿に戻るとそれぞれが一人の時間を過ごしたり、
ゆったりと語らう時間を過ごしました。






夜も深くなり、
ほとんどのメンバーが
床に着きはじめた0時ごろ、
私は手すきになったファシリテーターのこーへーを捕まえて、ここぞとばかりに、
募っていた焦燥感と苛立ちをぶつけました。


ビジョンを追いかけても、
懸命に努力してそれが実っても、
自由奔放に気の向くままに旅をしても、
拭えなかった虚無感と寂しさがあること…
それらをこの期間でもどうしても拭えていないこと…

その状況について、
私の言動を観察してそもそも認識していたのか、
していたとしたら私のパーソナリティとそのバックボーンをどう見立て、
どのようなアプローチを考えているのか…

私が人材育成や対人支援の仕事をしていた背景も相まって、
それはもう果てのない理詰めで、
攻撃性を隠す気のない批判的な姿勢で、
2時間近く淡々と問い詰めていました。



執拗な追求をしている自分を俯瞰しながら、私は考えていました。


「この姿が、
愚かで暴力的な部分が露呈した僕で、
この一面は自分の中でたしかに真実として存在していて、
それを思い切り見せてみたらどうなるだろうか。

この他にも寂しさとか、
無気力とか、冷徹さとか

そういう愚かさが僕の中にはあって、
それがひとたび露呈すれば、
どうせあなたも愛しちゃくれないだろう。

だからやんわりとこの話をいい感じに収めて、
その後程よく距離を取るなりしてくれ。
人との深いつながりという期待を、
自分らしくありのままで生きられるという期待を、諦めさせてくれ」


「もっと楽に愛させてくれよ」

お互いが疲れ少し沈黙した間に、
こーへーはその言葉をこぼし、頭を抱えました。


私は

「あぁ、なんでもっと楽に愛してもらおうとしなかったんだろう」 

と素直に思いました。



幼いころから母の顔色を伺っては話を聞いて、
ご機嫌取りしていた自分。

「ねぇ今日はこんなことがあってね〜〜」
なんて無邪気に、
家に帰って話をしたことがあっただろうか。

いつしか、
見ていてもらうことは、
愛されることは、
見捨てられないことは、

私にとって条件付きの、

心許ない足場を歩くようなものになっていたように思います。


だからきっと、
少しでも期待を抱かせるような深いつながりが生まれそうになったら

「どうせこれも、心の緊張を緩めたら崩れるんだろう」

と、これまで幾度となく突きつけられた結論を確かめるように、
執拗に、その絆にギコギコと自ら切れ目を入れてきたのでしょう。



ふとした彼の一言と、そこに込められた愛情。
これだけ愚かさを噴出しても繋がっていたいと感じてくれている意思。

それらを受け取って、
私の心はゆるまり、ぼやっと視野が広がる感覚がしました。

そして、広がった視界の端で捉えたのは、
この2時間のやりとりをひたすら離れたところから見守り、
なぜかすすり泣いていたコーディネーターの姿でした。

「もう、なんで泣いてるんですか」

と、こーへーと二人して笑いながら、
円陣を組むみたいに三人でハグをしたのでした。

*コーディネーター
CMCの運営における役割の一つ。
ファシリテーターは4ヶ月全体の運営を担当し、コーディネーターは自分の関心と専門分野を持ってクラスを運営する。


とことん子どもになった最後の1週間

修学旅行の一晩を経て、
私には子どものころに拾い損ねたことが、
いくつかあるように感じました。

だから残りの期間は、
私の中にいる小さくて幼い自分を、
ちゃんと生き直してあげることにしました。



紫陽祭(卒業展)の準備期間に、
実行委員会の仲間に怒ったりしました。

怒っちゃった自分が無性に悲しくて、
次の日に朝から家出して海まで歩いたり、
ひたすら自分の部屋に籠ってビールを飲んだり言葉を書いたり、
音楽を聴いたりしました。




そんな感じで引きこもっていても、
同居人や他のカレッジ生は、
部屋の前のホワイトボードにメッセージを書いてくれていたり、

「花火するぞーー」

と引っ張り出そうとしてくれました
(結局花火はしなかったけど、うれしかったよ)。

そしてひたすら篭りながら書きだめた言葉たちで、
紫陽祭(卒業展)の中で、言葉の展示を開いたりしました。

会社員時代の、敷きっぱなしの布団、
溜まるゴミと空き缶を思い出しながら展示会場を作りました


4, 複雑な世界を、複雑なまま愛したい

私がこれを書いている今現在は、
CMC卒業後に広田町に移住して半年ほどが経ったところでしょうか。

虚無感も寂しさも、
人と深くつながることへの諦めも、
綺麗さっぱり順風満帆!

かというと、そんなことはありません。

今も人生を生きることの重さに気怠さをもよおしたり
孤独感に見舞われて暗いところに落ちていく感覚に見舞われたり
そんなふうに人間らしく苦しみ葛藤することもあります。

ただ、週に一回二回と、どん底に沈んでいたバイオリズムが
知らぬ間に3ヶ月に一回くらいになっていたりして、
広田町に来てから、たしかに何かが、
自分の中で変わったのだということを感じます。



CMCの4ヶ月を経て、
脳天を突き抜け、涙が止まらなくなるような、
劇的な変化は結局訪れませんでした。

そもそも
「こんな劇的な経験をすれば人生が変わる」
「この真実さえ掴めば人生は良い方向に動いていく」
なんてものは存在しないのかもしれません。


それでも、私にとってのCMCという期間がそうであったように
たくさんの余白の中で好きなものを増やしたりだとか、
ふとした瞬間に美しい自然に癒されたりだとか、
CMCや広田の人たちのちょっとずつの愛をたくさん受け取ったりだとか、
時には誰かに思いっきり寄りかかったりだとか、

劇的でも真実でもないけれど
たしかにあたたかいそういうものを一つ一つ、
ちょっとずつでも集めながら、
生きていくしかないのかなと思います。

(だからこそ私は、少しでも美しくあたたかいものが多い場所で暮らしたい、と思うようになりました。)



世界はシンプルではないし、
頑張っても考えても流れに身を委ねても
簡単には望むものは手に入らないかもしれません。救われないかもしれません。

小さな幸せを拾っては、小さな不幸を嘆き
人のあたたかさに癒されては、鋭利な言葉に傷つけられ
「生きていてよかった」と感嘆した夜は、朝の目覚めとともに冷め切った日常に戻り…。

でもそれはきっと逆も同じだから、
孤独と絶望にまみれた夜を、穏やかな日差しと鳥のさえずりが救ってくれる朝もきっとあるから。

そんな掴みどころのない
複雑で愛おしい世界を、
複雑なまま愛してあげようと、

私は思ったのでした。


生きることの意味も真実もわからないけど
なぜか今日、死なずに生きてしまっているから、生きるしかないよなぁ。
せっかくならよりよく。なるべく、あきらめず。

かっぴーありがとうございました!
体験談を見ると、激動に感じる一方で、

ハエが湧かない対策を頑張って工夫する、
ヨモギから塗り薬を自分で作ってみる、
朝5時から地域の草刈りに参加する、

という生活感があるのもCMCの面白さ。

暮らしのリズムに乗せられながら、
自分や社会をのぞきに来る場所なのかもしれません。

かっぴー改めてありがとうございましたー!


おしらせ


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