簡単には救いをくれない世界を、複雑なまま愛そうと思った:前編
ビジョンやミッションに出会えなくても、
「私は今、淋しい」
って言えたらそれで十分な時もあるんじゃないでしょうか。
少なくとも僕はこの一年はそんな調子でした。
強くあらねば、
一人の自立した大人として立たねば、
そんな気持ちを、
広田町は一度崩してくれる場所なのかもしれません。
めちゃくちゃマッチョな会社員時代を過ごした
26歳男子「かっぴー」が、
昨年経験したCMCでの4ヶ月間を綴ってくれました。
1, ビジョンに向けて懸命になっても、気ままに生きても、どこにも理想の人生は落ちていなかった
ビジョンに向かって何を遂げても、死にたかった会社員時代
私はよく「死にたい」と思うことがありました。
新卒で選んだのは、
これ以上私に合っている環境はないと感じて入社した会社。
当時掲げていた自分のビジョンに向かって成長し、
それを実現するために、
またとない場所であり、
そこに集まる人たちも好きでした。
けれど、
お客さんからたくさんのありがとうをもらっても、
がむしゃらな努力に見合った結果が与えられても、
なぜか私は週に1,2回ふと思い立って
鉄筋コンクリートのマンションの7階から下を見下ろしてみたり、
ひとけがない場所で、紐が括れる丈夫な柱を探してみたり、
うつろな気持ちで深夜の町を彷徨っていました。
虚無感と寂しさがついて回った一年半の旅
仕事を辞めて旅をしました。
1,2ヶ月ごとに拠点を変えながら、
目指す場所もなく、感覚とご縁に身をゆだねる旅です。
一日中畑や山仕事をしては水だけで体を洗い、
カナブンが飛んでいる横で眠るような場所でも暮らしました。
離島のカフェ、
京都のゲストハウス、
箱根の旅館、
岡山の農家…
さまざまな場所へと気ままに身を運ぶ暮らしは
ゆるやかで平穏でしたが、
誰とも深く繋がることができない孤独感と、
生き続ける気力がどうにも湧かない虚無感が、
常について回りました。
「今まで選ばなかった道を選べば大きな気づきがあるはず!」
「何にも囚われず好きなことをしていれば、生きる希望が見出せるはず!」
それらは根拠のない期待だったのだと、
どんなに遠くに行っても日常は日常だし、
どこまで逃げても私には私が付きまとってくるのだと、
現実を突きつけられました。
「他に選びたい選択肢も無くなってしまった」で参加を決めたCMC
個人差はあるように思いますが、
人は1年半旅をしていると、さすがに飽きるようです。
私は飽きました。
「もう次に試してみたい選択肢もなくなっちゃったなぁ」
と考えていた時にふと、
友人に紹介されていたCMCの存在を思い出し、
割とさらっと参加を決めました。
人に説明する時に、
色々とそれらしい理由を並べ立てることはありましたが、
「他に選ぶ選択肢もないから」
以上の理由はなかったように思います。
かつてたくさんの命が還っていってしまった場所でもある陸前高田。
初めて降り立った陸前高田の街は、
水平線のような草はらが広がっていて
何もない広い空への開放感と同時に、
何もない広い草はらに哀しさを感じたことを覚えています。
迎えにきたブラウンのプリウスに乗り込み、
広田半島での私の4ヶ月がスタートしたのでした。
2, ほどよく独りでほどよく繋がる日常
広田町での日々は思っていたよりも小気味良く過ぎていきました。
朝起きて瞑想と軽いストレッチをし、
作り置きの朝食を食べたら二杯分のコーヒーを淹れて、
コーヒーがなくなるまで本を読み、
クラスがある日はクラスに出て(たまにサボり)、
内省し、カレッジ生と対話して、
土日はオンラインの仕事をして、
空いた時間には散歩をしたり海を眺めたり。
夕方になったら筋トレをしてシャワーを浴び、
お裾分けや広田の食材で溢れるキッチンで、
野菜を腐らせないように試行錯誤しながら同居人と料理をしました。
一人で酒を飲みながら夕食をとることもあったし、
同居人とクラスのことや今感じていること、
くだらないことを話しながら食べることもありました
(時々もう一軒のシェアハウスから元気なカレッジ生たちが突入してきたり、月に一度開かれる若手移住者たちの飲み会に混ぜてもらったり)。
夕食後は一人で酒を飲みながら音楽を聴く日もあれば、
同居人と映画を観たり、少しディープに話をしたりもしました。
悪くないと、感じられた暮らしでした。
時間は十分に与えられているし、
クラスでは鹿を捌くなり、
お気に入りの石ころを見つけに行くなり、
三日間森で過ごすなり、
多くの新しい経験ができ、
自己や世界に対しての多くの気づきが生まれました。
好きなものもふえました。
同居人が作ってくれる食事はうまいし、
自分が作った飯を「おいしい」と言ってもらえるのは嬉しいし、
共同生活において煩わしいことは多少あれど、
たまたま他のメンバーが出払っている日を寂しいと感じるくらいには、
ふとした時に語らえて存在を感じられる同居人がいることは、
心の一部を満たしてくれていたように思います。
ただ、後半に差し掛かって、
私は焦りを感じはじめました。
広田町での暮らしは、
思っていた以上に”日常”で、平穏でした
(旅人生活が長かったからそう感じたのかもしれませんが)。
「抱えている虚無感や寂しさを、
劇的に変える何かに出会いたい。
ここで出会えなければ、
次はいったいどこで何をすれば、
この呪いみたいな粘っこい情動から逃れられるのだろうか」
この焦燥感は苛立ちに変わり、
卒業まで1ヶ月を切った修学旅行の夜、
私はファシリテーターのこーへーに食ってかかることになりました。
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