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答えはどこにもないけれど

私の左胸には片開きの扉がある。
中は本棚のようになっていて、
「忘れられない言葉集」が
立てかけてあります。編著:私。

岐路に立ったタイミングで貰った言葉ってなかなか忘れられない。こちらの心の感度と相まってより一層射抜かれた思いがするのかもしれないけれど、状況を越えた後にも変わらずその言葉に助けられることになる。

『努めているうちは悩むもの』
大切にしてほしい言葉です。

中学3年生の担任が私の卒アルに書いてくれた。

クラスで一番仲良くしていた女の子から急に無視されるようになったことがあって、数か月の間、胃をしくしくさせながら学校に通っていた。辛くてしょうがなかったけど、休んでいる間に起きる何かが恐ろしくて学校には毎日行った。原因がわからずどん底の気分を長く味わった後、無視の理由もわからず過ごす日々に耐えきれなくなって私はその子に電話をした。一筋縄ではいかないけれど、卒業の頃には他愛のない話ができる関係性まで回復した。
私たちのすれ違いの原因は本当に本当に些細なことだった。大人になった私たちが同じ理由で仲違いすることは絶対にないだろう。そんな出来事受け流しちゃいな!と一蹴されてもおかしくない。
体育教師だった担任の先生は、私たちそれぞれの話をただただ聞いてくれていた。適当なことは何も言わなかったし、特にアドバイスもなかった。どちらの肩も持たない分、良し悪しで裁くこともしなかったから、私たちは自分たちの力で関係を修復した。元通りにはならなかったけれど。

無視が始まったその日から、目覚めたら元の関係に戻っていますようにと何度祈りながら眠ったことか。すべて何かの間違いだった、勘違いだったという展開になることも毎日願った。でも世界は都合よく回らない、解決したければ方法は自分で探さなければいけない。

仲直り=最善の結果ではないということにも
途中で気がついた。
心の折り合いがつかない時期に微妙な出来事が重なると、普段許せていたことも許せなくなる。こういうことは誰にでも起きる。大切なのはそんな自分とどう向き合うか、そんな誰かをどう受け入れていくか。胸の内の整理整頓の仕方を学び、自分はどうしたらいいのか・どうしたいのかを考える。そして行動する。結果的に腹落ちできればそれが「今回の解決」になる。

会話が戻っても二人でつるむことはなくなった。それでも何だかんだ慮りあっていることはお互いにわかっていた。もう腕を組んで歩くこともないけれど、自分の責任で相手との関係性を悩みつくした。あれでよかったのだ。

卒業式後の涙と笑いでわいわいとした教室、丸い顔をにやっとさせた担任が油性ペンで書いた「努めているうちは悩むもの」。
心のヒリヒリに飲み込まれてしまいそうになることは、大人になった今もたくさんある。でもそれは向き合うことを放棄していない証。直線的に進むことができなくとも、ぐるぐる考えを渦巻いているうちに、案外らせんのように状況を上向きに変えているかもしれない。

ちなみに自分を鼓舞するときに思い出す言葉ではない。私自身に深呼吸を促したいとき、左胸の扉をちょっと開く。
ゆっくりね、よくやってるよ、
そんな風に心の中で繰り返す言葉。やさしい。

白いポロシャツを着た担任の先生が
グラウンドの上でホイッスルを吹く姿が思い出される。焦げたパンのような日焼けをして、
配慮と見守りとシュールな笑いをくれた。

生徒の胸の中で自分の言葉が生きていること、
先生にいつか教えたい。

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