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日曜夜、月の見える東京駅丸の内駅前広場で


TGIF、そんな気分じゃない。
三時間前に届いたメールで、第一志望の企業の最終面接に落ちたことを知ったばかりの今夜だった。

乗り越えるべき障害が多いほど人生は面白くなる、そういう人もいるけれどそんなのは所詮成功しかしなかった人の高みの見物だ。
 

大学四年生五月の今まで、おおむね上手に生きてきた方だと思う。
首都圏ではないけれどド田舎でもない、都会の波にもまれないながらにもある程度の教育と教養を得られるような、ちょうどいい地方都市で育った。
人とかかわるのも得意だったので友人に恵まれ、時にはリーダーシップを発揮してみることもあった。努力することも嫌いではなかったので受験や試験で失敗することもなかった。

よくある小説みたいにひとりぼっちではなく、いつもどこかに支えてくれる人がいた気がする。それでも、私の片隅に、悲しみとひとりぼっちが詰まっていたけれど、そんなことには気づかないくらいの生活を送っていた。
 

高校生の頃から憧れた職業で、内定者の多い東京の総合大学に進学を決めた。
大学生になってすぐの頃からガクチカになれそうなチャレンジをしながら、こつこつと準備し続けた選考だった。
周りも応援してくれたし、社会的意義の大きい仕事がやりたいと思っていた私にはぴったりの仕事だった。天職だとすら思った。
ガクチカと御社で頑張りたいことはOBのお墨付き、採用担当との関係も良好。ここまで来たら神の思し召しで上手くいくと思っていた。


最終面接のときの面接官の柔らかい笑顔を思い出しながらそわそわと開いたメールは、書いてあるのは日本語だとわかるのに、文字を目で追っているだけで内容が全く頭に入ってこなかった。

試験やオーディションの合否発表で泣き崩れる人をテレビで見たことがあるので、
落ちた時は自分も涙が止まらなくなるのかな、なんて他人事で考えていた数か月前の自分をあざ笑うかのように、視界ははっきりとメールの文字を捉えていた。
 

食欲はわかないけれど毎日のルーティンでなんとなく作ったレトルトのトマトクリームパスタのお皿を洗い終わり、手をふきながら窓を開け、足を半分外に投げ出す形で桟に腰かけた。

駅から徒歩8分、大学一年生の時から住んでいる8畳+キッチンの木造アパートの一階。
コンロは一口で壁は薄いけれど、窓が大きく日光も良く入るので気に入っている。
パソコンばかり見ていて気付かなかったが季節は夏の香りを受け入れ始めていて、若干の湿度を押し流す風が、顔に心地よかった。
 

人生が上手くいかないこんな時、月や街灯のあかりは往々にして傷ついた人々を優しく照らしてくれるものだと思っていたけど、肝心な時には夜空は曇っていて照らしもしない。

「今夜は月だけが照らしてくれる」、こんな状況は音楽と映画の中にしか存在しなくて、現実に残されたのは最終落ちの大学4年生と曇り空だ。

星空とともに一縷の希望、こんな光景はひとかけらも想像できなかった。
 

星の見えない夜空を見上げていたら、普段私の片隅でうずくまっていた悲しみが、小さな器で乾燥わかめを戻したときみたいに、じわじわと広がってきて、思わず唇をかんだ。
もう何も考えたくなかった。

ベッドにもぐりこんで、もう何度も読み返している『1973年のピンボール』を開いた。
起きている気にも眠る気にもなれない。

主人公の家に居候している双子が「幸せとは暖かい仲間」と言ったところでなんとなく今の自分には似合わない気がして、本を閉じて電気を消した。でも、今は、その双子でもいいからそばにいてほしかった。
 


駅ビルの受験塾の広告が気に障る。
電車の中の転職サイトの広告が気に障る。
今まで目につかなかった広告をいちいち深追いしてしまう自分に嫌気がさしながら通勤ラッシュより少し遅い電車に乗った。
努力が報われるなんて、君の可能性は無限大だなんて、君の目指す未来へ、なんて、嘘じゃないか。

大学までの道をむしゃくしゃしながら歩いていると、一時中断中の工事現場の乾きかけのセメントを踏みそうになって、飛びのく。こんな日に限って。
二割増しになったいらいらを落ち着かせたくて、そのまま立ち止まって地面を見おろしてみると、飛びのききれなかったのであろう誰かの足跡がちらほら。
ああ、一度踏み締めてしまった過去はセメントみたいに固まって、もう後戻りできないんだ。
知らない人の足跡が残る地面が、過去が取り返しのつかないものであることの証明に見えて仕方がなかった。
 

きっとこの先も、どこに進めば良いのか迷いながら、進みたい道をふさがれながら、歩いていかなければならないのだろう。
おそるおそる一歩一歩、踏み締めてぬかるんだ地面を進んでいくしかないのかもしれない。

 

日曜日、明け方雨が降ったらしく地面は若干湿っていた。

仲の良い先輩に「久しぶりに飲もう」と声をかけてもらって、新橋の線路沿いのドイツ料理屋でジャガイモとソーセージばかりの料理を食べた。
先輩に多めに出してもらってお礼を言いながら外に出ると、申し訳ばかりの湿度とぬるい風が吹いて、もう一度午前中に雨が降ったことを思い出した。


酔い覚ましに東京駅まで歩く流れになり、ぽつぽつと話しながら東京駅の広場に流れ着いた。
丸の内駅前広場のまんなかから行幸通りを見つめていると、自然と会話が途切れた。

その日は丸ビルの隣にきれいに月が出ていた。

時間とぬるい風だけが私を追い越していく。外でこんなに長い時間立ち止まったのはいつぶりだろうか。
 

上京してきたばかりの時は嫌いだった東京の人の無関心さと東京駅の何もかも飲み込む存在感が、今夜は心地いい。

私は、私が重ねてきた努力を、努力を重ねてきた自分を、抱きしめてあげてもいいのだろうか。

東京駅を行きかいすれ違う人たちも、いろんな悲しみやひとりぼっちを抱えながら、東京駅を通り過ぎていくのだろうか。

同じ方向に向かう違う路線の電車がぴったりと寄り添って進む数秒間、隣の列車に乗っている人の人生に、一瞬だけでも寄り添えたような気分になるのと同じ気持ちだ。

広場からまっすぐに伸びる街灯を見る視界が揺れた気がした。

せっかく月が出ていたのに、雲がかかっているのか視界がぼやけているのか、わからなかった。

ああ、人生とはドラマである、この言葉を素直に受け入れられたのはいつぶりだろう。
 

その夜は長い夢を見た。

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ねえ、何が一番大事ですか?
 
思い出せば、迷ってしまうくらいに、どの瞬間も大切なものばかりで。本当のことを言えば、出会ったことさえ、こんなに愛されていたことさえ、忘れていました。一生のお願いです。選ぶのに悩むくらいの数の宝物を持っているあなたを、誇ってください。
 
ねえ、時々思い出せば、今日のこと、忘れないでいられますか?
 
心の隙間という隙間に、日常のふとした間の中に入り込んで、「思い出す」必要もありません。いつか、心に穴が開いた時や自分の生活が取るに足らないものに思えた時、今日のことは、いつもその穴を埋めてくれます。
 
ねえ、私はこれから、どんな困難でも、前に進めますか?
 
振り返れば永遠の輝ける日々が、横を向けば嬉しいも苦しいも共にした仲間がいます。心の中には、この世に生まれ落ち、外部からの刺激を敏感なまでに受け取るばかりだったところから、自分のありたい未来を自分で決められるようになったあなた自身がいます。
過ぎ去ったものは手の届かないところに離れていくばかりですが、見えなくなるわけではありません。みんなのこれからの人生で、前を向けないと思った時は一度立ち止まって振り返り、そして横を向いてみてください。本当に大切なものがいつでも待っています。
 
見えないところで、あなたのために涙を流してぶつかってくれる人が、あなたの成長をあなた以上に待ち望んで、喜んでくれる人がいます。前を向くばかりではなく、時にはあなたの周りに吹くそよ風にも思いを馳せてみてください。
 
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朝目覚めた時、内容は何も覚えていなかったが、昨夜までの自分とは何かが違うと思った。
そんな感じの目覚めだった。

大学の帰りに新しい電球と、少しの食料品を買って帰る。

いつもリュックに入れているはずのエコバッグ忘れちゃったけど、いいんだ、今日は。今日くらいは。

頑張った自分を許してあげても、いいんじゃないかな。

買い物帰りの人の流れは、エコバッグ、エコバッグ、ビニール、エコバッグ、ビニール。

上手くいかない毎日でも、前に進め、自分。


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