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インドでの気づき編

高校の3年間でもっと色々な経験ができたなあと思う。とはいっても進学校の中高一貫に通っていたら、大学受験に向かった経験以外は必然的に排除されるので難しい。もっと受験以外の選択肢があったらよかったのに。

大学では、もっと色々な国に旅行したり、色々な職業をみてみたらよかったなと思った。20歳の自分はすごい焦っていた。大学卒業までに人生の見立てをきめきらなきゃと思っていた。
15歳になったとき、人生の1/4が終わってしまった。あと3回この15年を繰り返したら終わりなんだと思ってた。

でも、一方でどんなにたくさんの可能性を見ても、自分に「できる」という自信がなければそれは選択肢にならないので、今思えるようになったというのが成長だとも思う。
今25歳になってみて、30歳に焦っている自分がいる。
相対的に30歳をとらえるのではなく、自分の基準として30歳までは色々な世界をみるものとして考えてもいいのかもしれない。

インドの気候はとても気持ちがいい。ブッダが王子としてどのように過ごしていたのか想像する。薄い桃色の花に高く茂る緑….地面には短い草にところどころ濃い黄色や赤色の花が咲いている。

土っぽいので建物が汚くなりやすい。まだ建築中の建物まで砂で汚れて古い建物に見える。白いつるつるしたタージマハルのような壁面か、茶色い赤土の壁がインドにはあっている気がする。

高校時代、受験勉強と部活以外なにもしなかったかというとそうでもなかったなと思い直した。漫画やイラストを描いたり、イギリスのwikipediaを全部読んでみたり。ビレッジバンガードに通ったり、美術展や写真展に通ったり….
美術館や博物館が大好きで、大学では美術史を学んだり、学芸員課程や建築の専門学校に通ったりした。海外旅行にたくさん行った。

清流(部分的には濁流)下りのような時間の過ごし方をしているなあと思う。
ずっと目の前の選択肢の中で最適なものを選び続けてきた感覚。
でも、目の前に見えている選択肢以外があることに気がつき始めている気がする。

最近受動的に時間を過ごすことを楽しめるようになってきた。
ただのんびりと本を読めるようになった。これってすごいことじゃない?

目的というものは、物事を単純化するためのものであって、時短にはいい。だからビジネスではそれが求められる。
でも、それを人生に持ち込みはじめるとそりゃ迷うよね。
じゃあ意味とはなにか。コンテクストにおける関係性。
意味は後から生まれるものであって、最初からあるものではない。狙わない方がいい。

12月から、ほとんどやったことないのにSQLやGASを書かされている。
ChatGPTを使えばそこそこできる。
ちゃんと構造の勉強をしたいなと思うのと同時に、どうやたってオペレーションをIT化していくには時間がかかりすぎる。
ノーコードを勉強したい。

手を直接動かす作業がずっと減って、働き方が変わったら人の生活も変わるんじゃないか。
もっと美しいものや心地のよい時間を人生で増やせるんじゃないかと思う。

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