見出し画像

仕事は時短で子育てに専念しようと思っていた私が、社長になったワケ(後編)

株式会社くればぁ・石橋衣理社長のnoteの第一弾記事。
前編では、社会の現実に悶々としながらも、新しい視界がどんどん開いていった20代の頃の話を聞いてきました。
後編では、社長を継ぐ決断に至った理由に迫ります。


――23歳でくればぁに転職し、仕事と通信の大学の両立で充実した20代中盤を送り、28歳で結婚。まもなく旦那さんの海外赴任に帯同し、タイで4年近く暮らしていた……というあたりを前編では聞いてきました。

サマリーありがとうございます。
子どもの頃から親の敷いたレールに順調に乗っていたと思ったら、20代に入ってだんだんと自我が出てきて、転職、仕事と大学の両立、結婚、海外暮らし……と、次々に新しい展開になっていきました。

そして、実は帰国前に離婚をしました。
タイでの暮らし自体はとても素晴らしかったのですが、専業主婦としての暮らしが性に合わず、子どもを持つことに対する考え方も合わなくて。離婚とともに帰国しました。

――帰国後はすぐにくればぁに戻ったのですか?

いえ、最初は戻るつもりはなかったんです。その時は兄がくればぁの経営を継いでいましたし、私は自分の仕事をしたいと思っていました。
母親の産後ケアがタイでは伝統医療としてあって、それを日本に持ち帰って事業を始めたいと思って、準備をしていました。

帰国後ほどなくして、兄から会社を手伝ってほしいと頼まれて、くればぁに戻ることになりました。

その時もずっと働くつもりはなくて、状況が落ち着いたら自分の事業をやってみたいと温めていました。

――お兄さんが経営をリードされていたときは、会社はどんな状況だったのでしょうか?

兄と私は性格やタイプが全然違うので、新規事業や営業をぐんぐん進める兄をサポートする形で、私は経理とか管理部門の方をやっていました。
兄は突っ走るタイプの社長だったので、私が従業員と社長の間に立って、会社を円滑に回すという役割だと認識していました。

ただ、そういった経営と従業員との間にギャップができていたんです。

次々と新しいことや目立つことをやりたい社長と、以前のように着実に仕事をしていきたい現場のスタッフと、ギャップはだんだん広がっていきました。

また、創業者である父は代表権のある会長として会社の意思決定を行っていましたが、身の丈以上に大きく事業を進めていこうとする兄の経営方針と齟齬が生じていました。

――そして、石橋さんに社長が交代になったのですね。

いえ、私は社長になるつもりはなかったんです。そのときは再婚して、ちょうど妊娠していたので。

父が社長に戻るのか、外から経営者を連れてくるのか……私も、どうするんだろうと思っていました。

そんな話を家で主人に話していたんです。
そしたら、「衣理ちゃんしかいないんじゃない?」って言われて。

その言葉を聞いた瞬間、私の中で覚悟が決まったんです。

自分のやりたい事業もあったし、これから出産するという時期ではありましたが、本心ではうすうす意識していたんでしょうね。

どこかで、「私がやるしかないよなぁ……」と。

実際、私はくればぁの良いところも知っていて、今のまずい状況も把握していて、父がつくった会社を守りたいという思いもあったので。

――旦那さん、思い切った提案をしましたね。

そうですよね。だって、安定期前の妊婦に言うんですよ(笑)
それまでは、出産したら時短勤務にして、しばらく子育てに専念しようと思っていたんですから。

ただ、主人は私の気持ちを汲み取って、背中を押す言葉を言ってくれたんだと思います。

ただでさえ出産、育児で忙しくなるのに、社長を継いで会社を経営するとなったら、家庭を支える時間は少なくなるわけです。
それを分かったうえで、社長になったらいいよと背中を押してくれた。

もしかしたら、私はその言葉を引き出そうとしていたのかもしれませんね(笑)

――旦那さんの方が先に覚悟が決まっていたのかもしれませんね。お父さんは納得されたのでしょうか?

主人との話の後で、両親にも「私がやろうか?」って話したんです。
そしたら、「そうか。頼む」という感じの反応で。

うちの両親も待っていたことなのかもしれませんね。

その時には、「女には社長なんて務まらん」みたいな考えはもうなかったと思います。
それまでの私の仕事を見ていて、「こいつに任せて大丈夫」って思ってくれたんだと。

――お父さんとしては、帰国して会社に戻ってきたときから、少しずつイメージしていたんでしょうね。

私は自分のやりたい事業があったので、くればぁにずっといるとは考えていなかったのですが、最初の出社のときに会長である父が社員の前で「副社長という立場で戻ってきた」と話したんです。

私には寝耳に水でした。一時的なサポートで、経理の一員として他の社員と一緒に仕事をしたいと思っていたので。
私は副社長という役割を承諾したわけではなかったので、実際に就任したわけではなかったです。

ただ、今思うと、父としてはそういう見方をすることで、私が経営に関わっていく気構えや準備を始めていたのかなと思います。

実際、社長不在という状況になって、心の中では「やっぱり私しかいないよなぁ」って素直に思えるようにはなっていたんですよね。

父が創業して続けてきた会社や事業、今いる社員やカルチャーとか、そういう大事なものを守っていかないとって。

――事業承継の難しさですよね。石橋さんが社長になったとき、社員の前で話されたことはあるんですか? 会社をどうしていきたいとか。

私は引っ張ってく社長ではないからって言いました。
後ろから押していくような社長になりますと。

でも、会社をどうしていきたいというのはあまり強く持っていないんですよね。

――それは、あくまで継いだ立場だから、良い会社を続けていくことが大事だということでしょうか?

そうですね。会社を守りたい、良くしていきたいという思いはありますが、私がどうこうしたいっていう明確な考えがあるわけではないですね。
事業を大きくするとか、私はこう経営したいとか、そういう具体的なことは考えたことなかった。

でも、私から見えた課題とか、こうしたらもっと良くすることはできるんじゃないかとか、そういうことは漠然と考えていました。
ただ守り続けるっていうだけでなく、どうしたらもっと良くなるのかなって。

兄が社長をやっていたときも、兄なりの考え方で会社を良くしていきたいというのはあったわけですが、進め方とか方向性とかで、会長や他の社員と同じものを共有できていなかったのかなと思います。

――事業面ではなく、組織面ではこうしたいというのはあったんじゃないでしょうか?

居心地のいい会社にしたいというのはすごくありましたね。
それまで裏方的に仕事をしていたので、社員の悩みや愚痴とかを聞くことも多かったんです。

なので、まずは居心地のいい会社にしないとなと思っていました。
働きやすくて、やりがいがあって、仕事に誇りが持てるような会社にしたいなって。

そうやって、毎朝自然と「行きたくなる会社」にしたいというのは、ずっと思っていたところです。
居心地の良さがあって初めてパフォーマンスにつながったり、頑張るモチベーションになったりすると思うので。

それは社長になって3年経った今でも変わらず思っていることです。

私に実力があれば、トップダウン型のリーダーシップでも経営できるのかもしれませんが、私にはその実力がないというのは自覚していました。
それなら、社員がいい仕事をできるように、気持ちよく働ける職場づくりが一番必要なことだと思っています。

――創業社長の強いリーダーシップとは違う社長像があったのですね。

社長だった兄が進めていたように、時代の変化に合わせて会社を変えなきゃいけないというのも分かります。

でも、そういう変化に挑んでいくには、社員全員の力が必要ですし、会社全体が同じ方向を向いていかないと難しいと思います。

変えるべきところと、変えてはいけないところがあると思っていて、これまで続いてきた会社の価値観や文化は尊重していきたいと考えていました。

だから、私が社長にはなりましたが、会長である父と2人の共同代表という体制になっています。

――事業承継の難しさはよく見聞きしますが、先代との共同代表というのは1つの良いかたちなのでしょうね。

社長が変わっても社員は変わっていないので、私一人のリーダーシップでやっていくのが良いとは思わないですね。
だから、父にはギリギリまで働いてほしいなと思っています(笑)

ただ、いずれ父も引退して、私が一人で経営するときが来るという覚悟のようなものは感じています。
だから、自分の得意不得意を自覚して、苦手なことはできるだけ誰かに頼るようにしています。

創業時は強力なリーダーシップで組織を牽引してきたと思いますが、今は社員も増え、それぞれ成長しているので、社長が全部を抱える必要はないのかなと。

――最後になりますが、社長になって3年が経ち、会長として共に経営するお父さんは、石橋さんの社長ぶりをどう感じていると思いますか?

最初は「女が会社を継ぐなんて…… 」と思っていたと思いますが、実際私が継いでみたら、「特に女だから困る部分ってないな」って感じたと思うんですよ。

実際に聞いてみたことがあるんです。
「私は女だから、社長を継ぐって思っていなかったよね?」って。
そしたら「うん、思っていなかった」って。

ただ、「お前は性格が男だからな」とは、ずっと言われてきました。
兄姉4人いますが、私が一番父と考え方が似てるって思います。父の考えていることは手に取るように分かるというか。

だから性格的には、父も私のようなタイプに会社を継がせたいと思っていたんでしょうね。

ただ、どうしても女性で生まれてきている以上、子どもを産んで育ててっていうのはあるし、家庭のこともやらなきゃいけないだろうっていう考えもある。
そうなると、「継いでくれ」とは考えられなかったと思います。

ただ、最近では父が社外の人から「娘さんが社長なんて珍しいね」なんて言われたときには、「いや、今はそういう時代だからね」って返すんですよ。

そういう言葉が父の口から出るっていうのは、数年前では考えられないくらいすごく大きな変化だと思います。
私としては、「女でも社長やれてるでしょ?」って、ニヤってなります(笑)

やっぱり、こうあるべきだって頭で思い込んでいたことと、現実に起こることは違うんですよ。

社会に出てから教員になろうと思ったことも、海外で暮らすことになったことも、10代の頃の私は考えてもいませんでした。

そして何より、社長になろうなんてことは、つい3年前までは、私自身がまったく思っていませんでしたからね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?