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妊婦という『毒虫』

毒虫になった人間は消えることでしか周りの人間を幸福にしえないだろうか

妊婦さんを貶める意図は全くありません
まあnoteユーザーで、そして何を間違ったかこの文章にたどりついたあなたが『毒虫』の意図を解さないとは思えませんが一応

というわけでカフカの『変身』の話です
皆さんも子供のころ寝かしつけに読んでもらいましたよね、懐かしいなあ~って方も多いと思います


なのであらすじをいう必要はないかもしれませんが「うちはカミュの『異邦人』派だったんだよ!」という方もいらっしゃるかもしれませんので一応あらすじ

一家の家計を支える献身的なセールスマンであるザムザはある朝自分が巨大な毒虫になったことに気が付きます
それでいて彼の心配事は仕事の汽車に乗り過ごしたことであり家計のことなのです

最後ザムザは家族を助けたい、せめて邪魔になりたくないという真意を理解されぬまま父親から受けた傷と衰弱で命を落とします

ザムザが必死に働いて両親と妹に買ってあげた家は売り払われ、三人はそれぞれ前より苦しい生活をしつつも仕事を見つけ、生活の段取りをつけていきます

ザムザが必死に働かなくても家族は生きて行けた、という事実がとてもつらい作品でした

セールスマンとして必死に働いていたザムザは毒虫となった(働けなくなった)だけで二三日とかからず社会から疎外されます。

あなたはいてもいなくてもいい、取替えが聞く存在である、そして価値がマイナスになれば腫れ物として捨てられるというメッセージを感じました

すべてが経済的価値に換算される社会の中で不意に『毒虫』となりうる可能性を誰もが持っています、事故にあったり病気になったり、妊娠もそうかもしれません

妊娠を例にあげたことに妊婦さんを毒虫だと言う意図は全く無くて、むしろ社会が妊婦を毒虫という立場に追いやっていないかと考えたということです。

制度として『産休』はありますが『つわり休』はないですよね

しかしつわりは非常につらいものだと聞いています、僕なんかちょっとおなかが痛いだけでなんもできないですからね

『毒虫』として経済価値がマイナスな妊娠期間が終わり、産後という経済価値を生み出せる段階になってやっと『休む』=『社会の構成員であり、かつ休息している状態』であることを許されるわけです

そんな中でキャリアを投げ捨てる覚悟を持ちながら妊娠したいと誰が思うでしょうか

まあ妊婦さんは子どもという新たな経済価値を生み出すと(社会から)期待されるので扱いが優しいほうかもしれませんが

他の仕事でもなんでもいいです
社会から要らないと放り捨てられるリスクを抱えながらここにいていいのだと誰もが叫ぶ社会は、まだ未完成だと感じます

弱さを認め合い人に依存できる社会を作っていきたいです

妊婦が『毒虫』でない社会を、作っていきたいです




ちなみに『誰もが交換可能』というメッセージ以前読んだ本の社会学用語と結びつけようとしたのですが、思い出せず本も見当たりませんでした…

おそらくマックス・ウェーバーの

「人は生まれから解放されたけど、仕事の方も手続き化されて誰でも行えるようになったから人は自分の位置や存在意義を無理やり見つけないといけなくなったよー」みたいな論だと思います

個人化とか、新しい資本主義…とかだと思います、勉強不足!

それではいい一日を

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