(85)子どもを潰してしまう褒め方
自分では「善」の行いも
子どもにとっては「悪」になることもある。
青山でサロンをしていた時の話だ。
小学5年生の女の子(ゆうちゃん)が母親に連れられてやってきた。体調がすぐれない為施術をしてほしいという。通常は施術中、母親はそばにいて終わるのを待っている。
ところが、その子は
「ママのこと大好きだけど、出てってくれる?」
と何度も「出てって!出てって!!」と母親に懇願した。仕方なく、終わる頃迎えにくる約束をしてお母さんはその子を置いて出て行った。
驚いたのは私。何か私に打ち明けたいことがあるのだろうか?
その子の施術をしながら
「パパとママのこと好き?」と聞いてみた。
「好きだよ。」
「ママがいると言えないことがあるの?」
「うん…。」
しばらく間があって
「毎朝5時に起きて勉強してるの。」
とポツポツ話し始めた。
「すごいね〜〜」
「パパがね。ゆうちゃんは偉いね〜。朝早くから勉強していて偉いね〜。パパはゆうちゃんが早起きして勉強していることを知ってるんだよ、て毎日言うの。」
「褒められるのが嫌なの?」
「褒められちゃうと、明日もまた早起きしくちゃいけないんだ…て思うと、つらくなっちゃうの。」
「それなら、パパはゆうちゃんが早起きして勉強していることを知らない方がいいの?」
「そうじゃないんだけど…」
「知っててはほしいんだよね?その気持ち、素直にそのままお父さんとお母さんに話してみたら?」
「それは言えない…」
「どうして?」
「パパとママに心配かけちゃうもん…。」
本当の気持ちをお父さんにもお母さんにも言えなくてずっと苦しんでいた。
私がそっと抱きしめると腕の中で泣いていた。
ゆうちゃんのパパは医師。ゆうちゃんは私立の女子進学校に通っていた。パパは子どもを愛しているからこそ応援したくて伝えていた言葉。しかし、子どもにとっては重たい心の負担の言葉、プレッシャーでしかなかった。
また、パパの心のどこかに「褒める」ことによって子どもをコントロール(早起き勉強の継続)しようとしていた気持ちがあったようにも思う。
ゆうちゃんの自主性に任せていたら、彼女は苦しむことなく毎朝早起き勉強を続けられたことだろう。
上記はアドラーがしてはならないという「褒め方」の一つの例と思う。
親子でさえ、
自分では「善」の行いも
子どもにとっては「悪」になることもある。