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それぞれの朝だなぁと思った

起床してすぐの鬱蒼とした気分は
小学生の頃から変わらない。

今でこそ鬱蒼とした気分程度で済んでいるが、
当時は朝起きると
なぜ次の日が来てしまったのかと絶望していた。

世界が終わっていればいいのに。

いやいやだめだ、
こんなこと考えちゃいけないと自制はしてみるものの、本心なので消し去ることはできない。


小学校一年生の頃は
学校に行く、ということが最悪のイベントだった。

毎朝とにかく緊張して
緊張しすぎて吐き気がしていた。


風邪の時に病院へ行くと
大きく開けた口に
医療器具を突っ込まれて
無理やり舌の奥の方を押さえられて
オエっとなるが、あの吐き気だ。


ズル休みしたり不登校になりながらも
9年間義務教育を受けたおかげで
大人になった私の朝は
そこまで悲惨なことにはならない。


慣れた仕事と単調な毎日。
思い描いていた理想の日々を送っている。
嫌なこと、寂しいこと、心がざわつく日だって
もちろんあるが

毎朝緊張せずに日々を送れることは
私にとって幸せだ。



1ヶ月ほどサボっていた散歩を
先週末から再開した。
ここ最近は朝の散歩。

雨続きだったが
今朝は久々に晴れていた。

晴天の日の朝って
なんでこうも暴力的なんだろうか。

鬱蒼とした気分と正反対の
さっぱりとした青空。

1日が始まるよー!起きて起きて!と
言ってんのか言ってないのか知らんが
もうとにかく元気のいい太陽。

有吉さんがとある女性タレントに
「元気の押し売り」と命名したことを思い出した。晴天の日の朝はまさにそんな感じだ。


鳥は歌うし花はきれいだし…
と思いながら
散歩しているうちに
自分の内側からじんわりと
希望が湧いてくるのを感じる。

それで自然と
「あーいい天気だなぁ」なんて考えちゃって
ニコニコと小鳥を眺めたり
花の可愛らしさに足をとめてしまう。

いつの間にやら
まんまと元気になってしまうので
朝に負けたような気分だ。


綺麗に手入れされた花壇もいいけれど
雑草含めてみんなでワイワイ系が好き



暴力的なスポットライト



一緒に連れていっておくれ



ずんずん歩いていると
土手沿いの階段に座り
ぼうっと川を眺める学生さんがいた。
近くの進学校の子だろう。

こんなに暴力的(に元気)な朝なのに
彼女は無表情で、
ぼんやりと川を見つめている。

誰が見ても何かに悩んでいるのだろうと
わかる横顔だった。



中学3年生の頃
学校をサボって近所の土手で
彼女のようぼんやりと川を眺めていた。

すると通りかかった自転車のおじいちゃんが
「こんなさむいところでから、これ飲みよ」と
温かい缶コーヒーをくれた。

お礼を言ったり
いりませんと断る間もなく
おじいちゃんは去っていった。

私が彼女を見て心配になったように
あのおじいちゃんも私のことを
心配してくれたんだろうな。


土手沿いを半周して折り返し地点、
振り返るとセーラー服の学生さんはいなかった。

それぞれの朝だなぁと思った。














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