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スタバとAIとお金とわたし

久しぶりにスタバでコーヒーを飲むことにした。

注文を終え並んでいると
「席からオーダーでどうぞもっと、ごゆっくり」というお知らせが目に入る。

モバイルオーダーなるものがあることは知っていたが、店内で注文する場合も活用できるとは驚いた。

これからは
レジでもじもじしながら
カスタムの呪文を唱えなくていいというのか…


スタバといえば店員さんとの交流を売り(?)にしていた印象がある。

おすすめカスタムを店員さんに聞いたり
余裕がある時は
雑談を交えレジ対応をしてくれたり

紙カップにイラスト付きの
メッセージを添えてくれることもあったりして

人間味的なものを
企業理念にしているのだろうと
勝手に考えていたがこれも時代の流れかもしれない。



時代はAI化に向けて加速しているという。
コロナ禍以降、その勢いはたしかにかんじる。

私がしている仕事だって
いつ取って代わられても不思議ではない。

正直取って代わられるのは
非常〜〜〜に困るのだが

まぁこれも未来を担う
子孫たちのため(産んでないが)
人間のさらなる繁栄のためにはやむを得ないと思っている。



個人的にAI化はどんどん進めば良い派だ。
それを使う人間の資質が問われているのだろうと思う。

SFでも「大いなる力」を使う者次第で
世界が滅亡しかけたりするのと同じなんだろうな、なんて思ったりして。




さらにいえば(?)
働かなければお金が得られず、
生きることさえままならないような
世の中の仕組みは無くなれば良い。

世の中の数%の人間が
働かなくとも生きていけるだけの膨大な資産を持ち、安定と揺るがない安心のもと生きているのに

彼らだけが特別ということはないだろう。
世界中みんなそうなればいい。


”お金持ち”で”育ちのいい”
人間の醸し出す独特の余裕や穏やかさは
お金に困ったことがないから培われた特権のように感じる。

もしも世界中すべての人が
お金に困ることがなくなったら、
そもそもお金儲けが
生活の基準ではなくなったら、

争いってびっくりするほど
少なくなるんじゃないだろうか。
戦争を吹っ掛ける輩もいなくなるだろう。



仕事がなくなっても
何かに挑戦して失敗したとしても
衣食住は確保され必ずお金があるとしたら、

それだけで本当はやりたかったことや
してみたいことに時間を割こうと思えるようにならないだろうか。




水や空気みたいに
お金がかならずあるものだとしたら
もっと世のため人のために時間を使いたくなるだろう。

もっともっと自由にクリエイティブになって
人間はさらに建設的に生きられるんじゃなかろうか。



そんなことを考えつつ
注文していたコーヒーと
温めてもらったチョコレートチャンクスコーンを受け取る。

お目当てだった窓際カウンター席では
すでに他の人がコーヒーを飲んでいた。


次からはまず席に座ろう。

それで「席からオーダーでどうぞもっと、ごゆっくり」のモバイルオーダーで注文しようと心に決めた。




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