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ヴェネツィアのトルコ人商館

サンタルチア駅から大運河をゆくと、右手側に見えてくるのが「トルコ人商館」と呼ばれている建物です。

トルコ人商館

このヴェネト-ビザンチン建築の館は、1227年ペーザロ家の始祖、ジャコモ・パルミエーリによって建てられたもので、その後1381年ヴェネツィア政府によって買い上げられました。

キオッジャ戦争での貢献に対する報償として、フェラーラ候に与えるためでした。その後、何度か持ち主が変わった後、1621年ヴェネツィア政府が、トルコ人のために商用の拠点として指定します。

そのため、館内部の噴水のある中庭やベンチ、大理石の階段や柱など、貴族の住居であり迎賓の場としての様相は取り払われ、上階はトルコ商人用の宿泊施設、商談用の部屋、地階は倉庫になりました。また、広い部屋はモスク(イスラム教寺院)となり、ローマ時代の遺産でイスラム人達の習慣になっていた熱気浴の風呂、バザール(市場)なども設けられました。

トルコ人達はヴェネツィアに、主に蝋、オイル、羊毛、なめし革、1700年代になるとタバコも持ち込んでいました。ヴェネツィア政府は、それらの商品をすべてヴェネツィアで完売しなくてはならないなど、トルコ商人と商品を規制、管理するために商館を貸与していたのでした。しかし、オリエント方面との交易が次第に衰退し、1838年には誰にも使用されなくなり館は廃墟となりました。

ドイツ人商館との大きな違いは、ヴェネツィア共和国との関係です。外国人商館の目的は共和国が、相手国の取り扱う輸出入量、品目、品質管理と徴税のため一か所で把握することですが、友好国ドイツに対しては、管理とともに優遇措置に近い待遇でしたが、ヴェネツィアと度重なる戦争をしていたトルコについては、商売をさせながら管理、規制、情報収集等の警戒に重きが置かれていました。

1858年から1869年に、オーストリア政府の援助により、同じマテリアルで全面修復が行われました。1924年から「自然史博物館」となり、動物の剥製、甲殻類や恐竜の化石の他、鰐の先祖といわれる「オウラノサウルス・ニゲリエンシス」のみごとな骨格(高さ3.6m、長さ7m)が展示されています。

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