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行き場のない文

こんばんは。
とりあえずはようこそ。

飴幸彼。です。

ゴールデンウィークでどこにも出かけないよ
とか
暇だな
とか
時間あまってるな
とか

思ってるそこのあなた。

ここで時間を是非消化してください。
今回の記事はなんと4500字弱もあります。

覚悟してください。

これは眠れない夜にちょろっと書いてみた

物語的なものの冒頭部分です

この時はなにを思っていたのかなんでこんなものを書いたのか全くわかりません。

いま読み返しても夜に書いてるから辻褄が合わなかったり言葉が無茶苦茶です。

ただなんか長い文章だったので
墓場としてここを選んでみました。

「人は私の作品について議論し、まるで理解する必要があるかのように理解したふりをする。私の作品はただ愛するだけでよいのに。」

これはモネの言葉です

良いですね沁みます

書いた文なんて作った作品なんて
一人歩きしてくれれば良いんです

あとはそれをみた人がなんか感動したり
意味わからないと言ったり
してくれれば良いんです。

言葉の意味とか
この詩の言いたい部分とか
いわゆる【オチ】みたいなものに
囚われない方がいいと思いました。

意味わからなくても誰かがわかってくれるさ

それではバカくそ長いですが
おいときます。
とりあえず適当な
お返しのスキとかフォローしてるからって理由で
されると見てないんだなって思って
逆に悲しくなるんで


この記事にはスキを押さないでください。

果たしてどれくらいの人がここまで読んでくれたでしょうか。

なんかあれですね。つまらない授業するくせに寝るな!!!とか言う先生みたいですね

まあ読んでないのにスキするのも僕は
大概だと思ってます。

僕がスキしてるものって
一度は読んで良いなってちゃんと思ってるんですよね。

どうしようかしらスキしてくれた人は
気を使わせてしまうし
失礼ながらフォロー外そうかな。

それではどうぞ。

まあ本題はこの上の部分だったので

ここからは落書きだと思ってください。


物語の主人公になってみたいなんて誰もが思うだろう。
誰しも、いや少なくとも高校生くらいの男なら一度は誰もが思うのではないだろうか。
どこかで聞いたことのある話を使えば
人生という物語の主人公は自分。
では物語ということは誰かが語り誰かが聴く必要がある。
ギターは弾けない。文章は拙い。スポーツは平均。彼女とのサヨナラも。大袈裟な展開もない、理屈っぽい根性なし男の平均的波瀾万丈。

誰がこの物語を読んでくれるのか誰が俺の物語を聞いてくれるのか。

明日は久しぶりの友人と会うにも関わらず
また、今日も眠れない夜になりそうな気がした。
「1億円ただでもらえるならもらいますか?」
youtubeのショート動画でサングラスをかけた芸人が司会者に問いかけていた。
それはもらうだろ。自分が思った時には司会者はもちろんと答えた。
反射してるサングラスをかけた芸人が返す。その代わり明日死んでしまいます。
これで一億円がいらないならあなたの明日には一億円以上の価値があります。もっともらしい言い方だった。それを聞いてスタジオは拍手喝采と言ったところで動画は終了し良くわからない加工を使った女の子が音楽に乗りながらクネクネするだけの時間の無駄な動画が流れた。
明日以降に一億円使えるからほしいんだろとブツブツ呟きながら動画を閉じた。
 動画をみてから30分くらいたったであろうかやけにさっきの動画が気になり始めた。
無条件で一億円もらえるならそれはもちろんもらう。これ以外の回答は熱狂的なイエスの教えを守っている者でもない限り存在しないだろう。
しかし、それと引き換えに与えられる「死」。
1日の中で一億円は使い切れないからこの議論の場合100万円くらいの方が具体例が浮かぶのではないだろうか。
朝には10万円くらいの服を買い七五三のようなぎこちない格好をして、青春18きっぷなんかを使って京都なんて行くのはどうかあまり踏んだことのない東北の地に行くのもいいだろう。まあ要は行きたいところに行く。無理矢理にでも5万円くらい一般人の俺じゃ入れもしない店の飯を食う。せいぜいこのくらいしか思い浮かばないやはりお金は明日以降を見越し明日以上にお金以上に大切なものに使うものだということがわかり一瞬大人に慣れた気がしてつま先を伸ばした。
死ぬときに使いきれなかったお金を一緒に過ごした人にあげるなんてどうだろうか。
俺は誰と過ごすんだろうか。1人になるのではないか。俺と過ごしてくれる人なんているのか。
嫌なことがあった時についつい考える厨二病的な妄想。この症状が出るのは大抵布団の中である。そう言う意味では布団の中には嫌悪感や不安で不確かな明日の3つがいつも俺を待っていてくれているのかもしれない。
 自分の葬式をモニタリングする。誰が悲しんでくれているのか誰が葬式に顔を出してくれているのか、3回くらいしか話したことのないあのクラスメイトにはいつ伝わるのか。もし実際にあの世が存在し実際にモニタリングすることができたら、影では否定されていたことや誰かの陰口を聞く方が多いだろう。この妄想の着地点はいつも決まっている。俺が死ぬことによってなんか同窓会みたいになるの嫌だな。と。だから俺がもしあの世に行くことになったらモニタリングをしない。というとんでも無い着地点。だから葬式を開かないでほしい。
今は離れて暮らしている両親に話した時、馬鹿なこと言うなとあしらわれたがまあまあ本気で考えている。
 小学校3年の夏に初めて人間の死というものに直面した。祖父だ。覚えている光景といえば
7月の青空と黒服の人々がやけにコントラストに映っていたこと。知らねぇ親戚がいっぱいいたこと、小さい小窓から祖父を眺めて少し笑ったあとにまたすぐ泣いたことだった。肺がんで亡くなった祖父はもちろんベビースモーカーだった。そのことは普段あまり会うことのない幼い俺でもわかっていたくらいだからよほど吸っていたのだろう。小窓から見えた祖父は優しく口角が上がったように見えながらちょうどタバコ一本入るくらいに唇が空いていた。
他にはっきり覚えていることは火葬する時、お葬式の当日両親から言われた「ちゃんとお別れしないとね」その頃から捻くれていたのかなぜか葬式が終われば「はい。じゃあ亡くなった人のことは終わり!!」のような皆んなが祖父のことを忘れてしまう。忘れようの会に感じこのまま祖父のことをみんな忘れ去ってしまうのではないかと感じた。
 懐かしいことを思い出しながら部屋の壁の色褪せ方が気になり明かりをつけた。冷蔵庫を開けお茶を一口。自炊生活には欠かせない葉っぱで作る麦茶はすこし苦味を感じた。横目に見えた残り2枚のトーストは賞味期限が明日までに迫っていた。賞味期限はふとした時に気がつくと迫っている。なんなら気づいた時には遅すぎる時もある。
 人が死ぬまでの日数が頭の上に書いてあればそれはそれは革命的なことになるであろう。
ノーベル平和賞やその他多数の賞が取れるに違いない。
例えば、今頭の上に数字が出てきて100日と出るとしようそうすれば働いている人は会社をやめて学生は学校をやめて料理教室も、ジムも教習所もやりかけだったパズルも途中までしか聴いていないAC/DCのアルバムも全てを捨てて大切なあの人を迎えに行くだろう。
なら8000日と出たらどうするだろうか。分かりやすく不慮な事故等は除いた体の寿命的な部分の話としよう。
8000日と表示されてしまえばこれからの自分のために生活をしなければいけない。
明日のために生きるということを7998回しなければいけない。
いわば生きるために毎日生きるというある種の矛盾と生涯向き合うことになる。
7998回としたのは今まで明日の為に生きてきた人が死ぬ時何の為に生きるのかが明確に浮かば無かったからだ。
そんな堂々巡りじみたことを考えながら再び眠りについた。

気がつくと朝の10時過ぎだった。
一年ぶりに会う地元の友人はサービス精神が旺盛でわざわざ地方から迎えに来てくれる。、
目的地はございません。どこへでも参ります。
車を持つものの強みである。高卒から5年も働いている彼の財力に大卒フリーターの俺とは激しい差を感じざるを得なかった。
もう1人の友人も同乗していた。同情する彼をとしよう

フリーターなことには言い訳じみた理由がある。俺には夢があるそれはカメラマンになること。ここでは詳しく言わないが今まさに会っている2人は信頼している数少ない友人でこの2人には夢を志した時から伝えている。

ところ変わって海の見えるパーキングエリアにつく。土曜日だったことと観光地ということを含めそこは忙しい人々の流れだった。相変わらず人混みは苦手で夏の暑さと相まって余計に心地が悪い。
甘いものが好きな俺にクレープ食べる?とショウは問いかけるがあいにく3人とも早起きをして朝食を取るタイプではないのでクレープの気分ではなかった。
 この落ち着かない場所とは裏腹にウミカは静かに僕に問いかけた。「カメラやめてないよね?」急にされた質問に「相変わらず全然だめだけどね。」と答えるとそっかと言い僕の方を見つめていた。僕も気まずさを感じながら目を合わせようと前を向いたが僕を見ていたのはどうやら勘違いだったらしくbは
奥のトイレから出てくるaを見ていた。
 3人とも行ったことがない喫茶店のようなお店のなぜか付いてる暖簾を右の手で払って1番奥の席に座った。このとき隣に座ったショウが僕の匂いに気付いたのか「お?つけてるじゃんか!」と言い目尻ををクシャッとさせた。知らないお店に来た時に失敗するのが怖い僕はメニューの左上にある店主おすすめの野口で買うことができるくらいのナポリタンとコーヒーのセットにすることにした。2人はグラタンかナポリタンか悩みに悩んだ末にナポリタンを選び結局3人揃って同じメニューを選んでしまった。メニューが届くまでの間ショウがこっちにすれば良かったとかウミカがストローで遊んでる間に奥の方から段々とケチャップの香りがしてきた。
メニューが届くと三人とも早速食べはじめた。喉に詰まったものをオレンジジュースで流し込んだあとショウなにが懐かしくなったのか昔の話を振ってきた。「ウミカの家の近くの桟橋でUFOみたよな?」とか「丘に秘密基地作って騒いでたよな!」とかどれも今考えると恥ずかしくてしょうがないようなことであったがあの頃の僕らは当たり前のように声を張り上げていた。「もうその桟橋も夕日の丘も今はもう無いけどね」ショウが腰を掛け直してボソッと呟いた。10年ほど前から会議で埋め立ての計画が進んでいるのは知っていたが実家を離れているこの期間にまさか計画が実行されていることを僕は知る由もなかった。
 3人で遊んでいたあの古ぼけて味のある橋、潮風が運んできて赤茶けていたガードレール、秘密基地の入口の看板、夕日が落ちてから軽く手を振っていた丘も、思い出も。僕たちが過ごした景色が跡形もなく失われていく。頭から離れずこの時のナポリタンの味がどんなだったのかお会計がいくらだったのかさえ覚えていなかった。
 店を出て3人は悲劇を嘆くセミの聖歌隊が泣く木の通りを歩いた。2人の仕事が上々であるという話をしているのに僕は相槌を適当に打っていた。歩道を3人で広がっていたのを後ろからくる車椅子に声をかけられて気がつくと、カメラを持ち歩いていながらもあの時の思い出を残していなかった後悔。自慢できるあの光景を当たり前だと思い込んでいて写真を撮っていなかった自分を責める言葉がありふれていた。

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