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東京事変「新しい文明開化」の新しい考察

新しい文明開化は英語歌詞でLIVEでは横に字幕が出てきます。


この曲の最後のフレーズの字幕は

誰も知らない私の本当の脚は
     両方過去にへばり付いている


という、ネガティブな字幕で終わるのです。
曲調はポップで明るいのに、この字幕とのアンバランスさが、妙に引っ掛かりを残す曲となってます。過去にへばりつくなんて、後悔しっぱなしのような…なんなの?と。


このネガティヴさはなんなのか?
この曲をどう理解してみようか?
気になり調べてみました。ですがアルバムのインタビュー記事ではあまり語っていないようで。

他の人の考察を眺めてみると…
人生を謳った?
夢や希望を歌った?
愛を歌った?
みたいな考察はあったのですが、そんな前向きな物だとは感じられず、個人的にしっくりくる解釈が見つからず。

それなら自分で考えようと先入観を捨てて、2011年という時代背景などを考えながら、数日間あれこれ妄想していたところピンときた解釈の切り口が"喧嘩"です。


椎名林檎はずーっと喧嘩をしている

なんてことはない、最初のフレーズが…
"KNOCK ME OUT NOW"
"今すぐ打ちのめされたい"
といったように殴られるところから始まってるのだから、喧嘩なんじゃん?と素直に捉えました。

じゃあ椎名林檎は誰と喧嘩しているのか?
そのお相手は変わらぬ「日本の空気」だと解釈した時に、抽象的だった歌詞の姿が、一気に実体化しました。
そこら辺を解説していきます。

2011年、震災後のグダグダな日本。
そもそも90年代後半から続く変わらない日本。
そこにSNSが出来て、面と向かわず、自分の正義を振りかざす人々(一般人)
自尊心を守るために、死に物狂いで自己正当化する人々(政治家や権力者)
身勝手なファンからの神格化や、ネチネチした批判しかしないアンチ。

もう全てひっくるめた、その腐った空気と椎名林檎はずーっと喧嘩をしているのだと考えました。

若かりし頃、これから何か世の中が変わっていくんじゃないか?もしかしたら自分でも変えられるんじゃないか?みたいに考えていた過去があったのだと思います。そこから音楽活動を通して、自らの精神を研ぎ澄ませ、全力で道を切り開いてきた…けども!

全力で進めば進むほど、空気は重くなり、自分の身を擦り減らして来たけれど何も変わらない、むしろ悪化してきている2011年の日本。
とてつもなく疲れて、あと一発殴られればダウンする寸前だと歌っています。
だけども…!
誰も本気で向かって来ないのです。
誰もが殴りかかる素振りを見せて
「今日のところはこれぐらいにしてやる」
と、直前になって有耶無耶にして、喧嘩にすらならずに終わるのです。
"発見のない勝負にこりごり"と字幕にあるように、こちとら何かを変えてやろうという思いで正面からぶつかっているのに、ぶつかる前に逃げられたら、何も分からないじゃないかと。


SNSやネットで、次々と空気だけをせっせと腐らせて行く人たち。それは椎名林檎に対してだけでなく、日本の出来事全てにおいて当てはまる空気。
そんな日本は、むしろ本当に一回打ちのめされた方がいいんじゃない?壊してしまえよ、もう一層のこと。
…と日本全体の事も含めて憂いていると感じます。

叩き合い、他人を吊し上げ、見栄を張り合い、バカをバカにして浸る優越感。
日本はダウン寸前です。

続けて字幕では
"見ろ、触れろ、思い知れ、感じろ、忘れろ、嗅げ、だってほら狂っていくのが見えるだろう、我が同胞よ"
と歌っています。
解釈としては"私のライブにでも来て、リアルに五感をフル活用して向かって来い、そうすれば私の感じているこの狂った空気もみえてくるだろう"と訴えかけています。


メタ視点で見てみる喧嘩


じゃあ、逆にそんな椎名林檎自身は素晴らしいのか?という事が気になるわけですが、どうでしょう?
それが最後の字幕と繋がってくるのだと思います。

歌詞を見てみると

THIS PAST IS NOT WORTH SAVING
幾度なぞっても冴えない過去

I DON’T WANT ANOTHER ROUND
NOTHING TO BE FOUND
発見のない勝負にはこりごり
(略)
THE PAST IS WHAT I’M CRAVING
この過去は私の渇望そのもの

BOTH MY FEET HAVE LEFT THE GROUND
NOWHERE TO BE FOUND
誰も知らない私の本当の脚は
両方過去にへばり付いている

まずは"過去"について焦点を当てます。

過去は
"冴えないもの"
と言いながらも
"私の渇望するもの"
としています。
もう一方で過去を
"NOTHING TO BE FOUND=何もない場所"
としながらも
"BOTH MY FEET HAVE LEFT THE GROUND=私の両足が残っている場所"
としております。

こんな感じで両面性を持つものと表しています。
つまり、
"過去なんて乗り越えた今では、取るに足らない場所"という面と
"過去こそ、私が戦い続けてきた原点がある場所"という面です。

そんな葛藤を歌っておりそれを
誰も知らない私の本当の脚は
     両方過去にへばり付いている

という強烈な歌詞で表現したのだと思います。

そしてこの歌詞はメタ視点で見る必要があります。
それこそがこの曲における椎名林檎自身への評価であり、すなわち…

結局自分自身が、強烈に過去に引っ張られていてる。全力で世の中変えてやろうとやってきた自分自身が、実は何よりも変わっていないことを"発見"しているのだ思います。
この曲の収録されているアルバム「大発見」に繋がる点はここだと推察しました。

一般人の私では絶対に見つけることの出来ない"発見"なのだと思います。
私が"私は昔から変わっていないなあ"なんて言うのは発見なんかになりません、他の人からも"そうだね"と言われておしまいです。

悟りを開くために険しい道を行く、孤独な修行僧の様な曲であり
「いやいや、椎名林檎さんは十分世の中に影響を与えているよ!変えてきたし、変わってるよ!」
なんて気軽には言えない、ぶっちぎりで尖った曲であると解釈しました。殴ってみろと煽るスタイルも含めて、最高にロックです。


新しい文明開化と復活ライブ

新しい文明開化というタイトルですが、それは希望であり、実現なんてまだ全く見えていないですが、日本の空気が変わる瞬間こそが新しい文明開化となるのでしょう。

ちなみに東京事変はこの後まもなく解散して、その8年後、2020年の復活ライブにはこの曲を先頭に持ってきたようですね。
"やあやあ皆さん久しぶり。相変わらず日本の空気は全く変わってませんね!"
と初っ端から煽り倒すところが面白いですね。でも、この復活ライブツアーはコロナ禍で大炎上して後半は中止に。
叩かれながらも一度は決行した復活ライブについては、後世から見たらこの変わらぬ日本に、刺し違えたとて、一矢報いるためには必要だったのかもと再評価される日が来る事を願います。
…と書いている2024年現在も、相変わらずの日本の空気は変わっておりません。


椎名林檎や東京事変の独自考察をしてますのでよければ他も見てみてください。

解散ライブでは「生きる」が一曲目で「新しい文明開化」が2曲目です。なので私はセットで良く聞いてます

生きるは人生の2回の絶望を歌っておりこれまた視点が独特で凄い。その解説も貼っておきます。


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