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東京事変「生きる」の探求

椎名林檎(敬称略)の「依存症」の考察に続き第二弾です。前回の考察の中にも登場した東京事変の「生きる」に焦点を当てます。繋がりとしてはアウトロが良い曲第二弾です。

実はアウトロの有り無しで両バージョンあるのですがオススメはライブbon voyageです。
Amazon musicでもアウトロ有りが聴けます。

ライブ bon voyage 「生きる」
https://youtu.be/Sb_cbhif9uw?si=PDEzDbWS-ndTrt_c

東京事変の公式Youtubeより

半生で訪れる二度の絶望とは

2010年スポーツというアルバムの最初の曲であり、伊澤一葉作曲、椎名林檎作詞の組み合わせです。
個人的に好きなペアで、同アルバムの中では「絶体絶命」が一番好きで聞いていました。通勤電車に揺られ"何となく死にたい"と思いながらリピートしていたのを思い出しました。

東京事変の最高傑作しかり、J-popの最高傑作とも言える「閃光少女」も収録されており、まさに極まっているアルバムです。

その中でも「生きる」はこの絶頂期の椎名林檎自身の人生観を歌った曲であり、この前後で何かが変わっていったと感じられる椎名林檎の分水嶺でもある曲だと感じます。

椎名林檎が30歳の頃の曲なのですが、彼女は早くから成功して濃厚な人生を味わっていらっしゃるので、一般人の25〜30歳と35〜40歳の感覚が、彼女としては20歳と30歳くらいで到達しているのだと思います。

一般的なサラリーマンで例えると…
前半25〜30歳は仕事がわかってきて、外側に目をどんどん広げたくなるのだけれど、その果てしなさに漠然とした不安を感じる時期。
後半35〜40歳は自分が辿り着くところもなんとなく見えてきて、楽な生き方がわかり、望んできたものは大体手に入りそうだけど、内側に目を向けるとなぜか穴が空いて空虚を感じる時期。
どちらも「満たされてるはずなのに、なぜか不安や絶望の様なものを、ふとした瞬間に感じてしまう、何とも悩ましい時期が"2度"訪れる」といったことを、見事な構成で一曲の中で歌いきっています。

参考に当時のインタビューでも「この2回の絶望はあまり歌われて来なかった」と言ってました。
https://tokyojihen.com/disco/special/4/

「スポーツ」オフィシャルインタビューより

散りばめられた対称性

ここから歌詞の詳細解説に入りますが、前回の「依存症」の様にストーリー仕立てになっておらず、詩的なものなので、歌詞の流れを順番に説明するのではなく、今回は構造を抑える形で進めます。また、歌詞は太字で表してます。

<前半パートの歌詞>
体と心とが、離れてしまった。
居直れ我が生命よ。
現と夢の往来。行き交う途中で、居た堪れない過去ども此処に消えろ。
(木枯の喧噪に二人紛れ込んでいたらば、如何して互いを見いだせようか)
とても叶わない。見分けがつかない。
若かりし日、総べてを握った利き手も草臥れて居る。
噫…充たされないで、識らないで、
追いかける影の美しさよ。皆まで言うな。
憧れ続けていた筈の、孤独と自由が首を絞める。
なんてこの世は果てしないんだろう。
<後半パートへ続く>


何と言っても、誰が聞いても分かる綺麗な対称性を成すのが、前半パートと後半パートです。
歌詞やメロディはほぼ相似形で作られていますが、大きく違う点は前半はスローテンポで進み、後半になると楽器が入り、テンポも跳ね上がります。
このような対称性が今回の重要ポイントになります。"希望と絶望"という全体を通したテーマの対称性もあれば、歌詞そのものに"現と夢"や"体と心"や"言葉と感覚"と言った対称性も描かれています。

聴く人が自らが"曲の中に幾重にも隠れている対称性を再発見する"ことで、どんな時に聞いても、心に響くのだと思います。

前半はソロ時代、後半は東京事変

それでは対称性の中で最大のものをまず解説します。

前半パートは20歳前後の頃の"椎名林檎がソロでやっていた自分"を歌っています。となれば後半パートは言わずもがな"東京事変でバンドやってる自分"になります。スローでコーラスのみの前半と、跳ね上がり楽器が入る後半と言う構成からも、そう読み取れるかと思います。
「生きる」は椎名林檎の活動30年そのものを歌う自叙伝なのです。その熱量を受けるので圧倒的に感動してしまうのは当たり前とも言えます。

またソロとバンドと言う解釈を入れれば、歴史を知るファンの方は曲から広がる妄想が格段に増えるのでは?と思います。
私は椎名林檎の本人像や音楽史に詳しくはないので、深いところはファンの方にお任せして、誰でも伝わる表層の解釈をなぞっていきたいと思います。

20代の椎名林檎の苦悩

前半パートは、若くして成功した20代の椎名林檎です。
デビュー当時は、緩やかに穏やかに衰退を迎えつつあるJ-popの世界に、突如現れた鬼才として扱われていたと記憶してます。
そんな状況なので、何をしても際立つ椎名林檎に対してイロモノ感を感じて、"ただの逆張り少女"と見た人も少なくはなかったと思います。例えば小難しい歌詞を並べた文学少女と。
ナース姿でガラスを割って、眉毛を剃って愛車を真っ二つなど表面だけを見れば、致し方ない事でもあるのかと…。

だけれど、そんな浅はかなレッテルを貼られることをお構いなしに、更にパワーアップしながら自分の道を進み続ける当時の彼女は、周りを圧倒し続けると同時に孤独になっていきます。

私個人はどんどん色を濃くしていく椎名林檎色を一時期好きじゃなくなった事もあります。特に2000年のアルバム"絶頂集"をはじめとして2003年のアルバム"加爾基 精液 栗ノ花"までの間は、なかなか着いていけない私がいました。
"あれ、そっちいっちゃうの…亀田師匠の編曲の元ずっとやってくれたらいいのに!"と勝手なことを考えていたことを覚えています。本当勝手なままに。

「生きる」の話に戻しますと、ここら辺の話が孤独や自由を追い求めていたというところとスッとリンクすると思います。
また面白いのがこの頃について歌詞では"木枯らしの喧騒"といい"秋"として表現しているのが、さすがと言えます。(後半パートでは"新緑の平穏"として"春"としている対称性があります)

椎名林檎にとってはデビュー前までが音楽の"春と夏"であって、あれだけ暴れてバンバン売れているデビュー後が"秋"なんですね。それもかなりの晩秋感があります。
それはただの皮肉ではなく、自分の色でどんどん尖れば尖るほど、周りで理解していない人が増えるし、着いて来る人も椎名林檎を神格化してしまっていると言うような、"自由と孤独"を味わう事になったんでしょう。
憧れ続けてた孤独と自由が首を絞める。なんてこの世は果てしないんだろう…という歌詞に繋がります。

学生時代から、自分の音楽を追求してきた椎名林檎は、デビューして多くの人に聞いてもらえる様になったはずなのに、自分自身をどう試行錯誤表現しても、伝わりきれなかったり、誤解を生んだりして、振り返ってみると皆から遠ざかってしまっていたような、絶望を味わったのではないでしょうか?

クリエイターや職人だと通る道であり、ぶつかる矛盾であろうものを表現しているのですが、もっと一般的な人でも共感できる事だと思います。

要は"周りとのズレ"は誰しもある経験で、そこを埋めようと、己を鍛えたり、言葉や論理を並べても、溝は深まるばかり。
その周りとはただの他人ではなく、大事な家族であったり、友人であったり、最愛の人であったりするのです。

居た堪れない10代の自分へ

さらにそのズレは、自分自身の歴史の中にもあるともいえます。それは過去(10代)の自分と20代後半の自分です。
思い出すだけでも恥ずかしくなるような経験ってないですかね?厨二病的な何かだったり、ものすごくピュアな恋愛だったり。
あの頃は若かったなと思いつつも、大人になりたての25歳前後だと、実は理解できてしまうところがあるからこそ、思い出すだけで恥ずかしくなってしまうのだと思います。

そこを歌詞では
"(木枯の喧騒に2人紛れ込んでいたならば、如何して違いを見出せようか)とても叶わない 見分けがつかない"
と歌っています。

ここの歌詞の"2人"とは両方自分自身であり、10代と20代後半の自分となります。"居た堪れない過去ども此処に消えろ"と思っても、実は過去の自分と大差がない事にも気付いているという矛盾を抱えた状態を表しています。

そして、ここからさらに被せるのが椎名林檎の歌詞の凄さです。視点を巧みに変えていきます。

逆に、"若かりし日"の自分が、20代後半の自分を見たとすると、全てを手に入れている様にも見えることでしょう。
何も知らなかった若かりし日の自分は、何にも満たされることなく渇望し、知るほどに喜びを覚え、ただ純粋に、この20代後半の私に憧れを持って追いかけてくるのでしょう。
でも実は20代後半になった私も…皆まで言うな
と言った様に、繋がっているのです。

憧れ続けて手に入れた孤独も自由も、絶望をもたらすなんて、この世はなんて果てしないのだろうと締めくくります。

ちなみに歌詞の解釈としては、"追いかける影の美しさ"とは二つの意味で捉えられます。

"追いかける影"の美しさ=
追いかけてくる10代の無垢な美しさ
追いかける"影の美しさ"=
10代が追いかけている、20代後半の幻影の美しさ

互いにズレた角度から、互いを眩しく思うというのを一言で表しているのだと考察しました。

以上が前半パートの解釈です。まだ中間地点ですが、ここまででもすでに仕上がっているくらい深みがあります。

東京事変の到達点


<後半パートの歌詞>
言葉と感覚が、結ばれぬまま。
居直れ我が生命よ。
現の夢の反芻。繰り返す体で、知る由もない未来ごと此処に失せろ。
(新緑の平穏にただ浮き足立っていたらば、あらたな己に出会わせようか。)
最早何ぶん諸々を聞き飽きて居る。
臆…囚われないで、云わないで、為遂げる光のしなやかさよ。至らなかった。
忌み嫌い続けていた筈の、無欲と空虚が胸を占める。
なんてこの身は頼りないのだろう。
あまりに何も無い。

後半パートは、前半で感じていた"外側とのズレ"から生じた孤独も自分なりに受け入れていき、新しく始めたバンド活動を通して、それなりに納得しつつ、上手く振る舞いながら生きていけるようになった30歳頃の人生観を描いています。まさにこの曲を歌った時期に当たります。

バンドメンバーの作品を歌ったり、他者への楽曲提供をすることで、また新しい境地を見つけて自分自身の居場所を再発見したのかなと想像します。

なかでも大きな変化は東京事変というバンドの一員になったことです。果てしない自分色の追求から離れて、
・バンドの為に椎名林檎は何ができるか
・そしてチームとしてどんな色を出せるか?
へシフトしたのだと思います。
やはりチームだとソロだけでは見られなかった景色が見えただろうし、更なる高みを目指す事ができる事を実感していたのでしょう。ただし、それを自分の限界の理由付けにした面もあると思います。
本来は個人の限界とは別問題であり、実は問題をすり替えているだけと言うのは黙認しながらも。
そんな黙認をする結果"内面のズレ"が発生していくことで、結局また絶望にすらならない空虚に悩まされていくのがこの曲の後半パートの概略になります。

楽することを覚える30代後半

また柔らかな一般人の解釈に置き換えてみます。
30代後半になり、働き盛りで周りもよく見え、色々チャレンジできる余裕も出来て、充実した日々を送っています。また別の人は、家庭を持つことで、家族のために働くという充実感もあるでしょう。
歌詞では"新緑の平穏"として、厳しい冬を耐え抜いた、まさに人生の春だと表しています。

そんな人たちにも、かつて目指していた別の何かがあったかもしれませんが、そんなものは今の幸福に比べたら気にするまでもないことです。
歌詞では…"知る由もない未来ここに失せよ"と歌ってます。昔のタラレバの話なんてしても仕方ない、今の充実感がなによりの幸福の証ではないかと、かつての夢や欲望を切り捨てるわけです。

しかし、夢や欲望を捨てきれないのが人間の性であり、ふとした瞬間にこの平穏な幸せにこのまま浸っていてもいいのだろうか?と自問自答し始めます。
歌詞では…(新緑の平穏にただ浮き足だっていたらば 新たな己に出くわせようか)と歌っています。
"いや、このままじゃ新しい自分に出くわせるわけがない"と言う反語表現が隠れています。

今の自分は"最早何ぶん諸々を聴き飽きている"のです。


絶望すら無い空虚


ここからラストの歌詞まで一気に解説します。

じゃあ今もっている富を捨てて、もう一度最初から夢や欲望を追いかければいいじゃないか!と言えますが、単純にはいかないのが人生です。それで捨てられるならば、それはそもそも富ではないと。(椎名林檎の「ありあまる富」より)


かつてしなやかだった10代、20代の頃、何もかもを貪欲に自分に取り入れ、必要のないものは切り捨て、夢と欲望に真っ直ぐに生きていたころは、立ち止まったり、満足したりする"無欲"こそが忌み嫌うべきものだと考えていたのに、一体いつから今の自分になってしまったのでしょうか?
もっと酷い事に、己が描いていた夢には至らなかったのではないでしょうか?もうそれさえもわからないのです…。
昔の自分であれば、無くしたら絶望しただろうに、その感覚すらわからなくなった頼りないこの身。絶望さえもできずに、只々"空虚"です。
手にはたくさん掴んでいても、私の内面には晴れ渡るほど"何も無い"ままなのだと思い知るのです。


以上が後半パートの解説です。
椎名林檎の様な壮大でストイックな人生を送っていなくとも、比べる必要なんてありません。
誰もが等しく約40年間という時間を経験しているのだから、全ての人がこの曲を理解できるところが真髄なのです。

夢なんてないと嘘を言う40歳のあなたへ


何者かになりたかった
何者かになってしまった
30代後半全員への鎮魂歌として。
それは20代の一度目の絶望とは比べものにならないほど複雑に絡まってしまった二度目の絶望期。それはもう絶望とすら呼べないほど、晴れ渡ってしまった空虚。

だけれどその空虚を見つめているほど暇ではないし、今守るべきものを守るのが大事なんだ。
昔の夢?…とうに忘れたよ。
変わっていくのが当たり前なんだから。
それを認めて約40年積み重ねてきたのが、自分自身だろう。何一つ間違ってはいない。

そんな葛藤を思い起こさせる、一曲です。
"いや、やっぱり20代でも30代でも絶望なんてしてないし、昔から夢なんてないよ。"
と言う人ももう少しだけ付き合ってください。


私個人は"夢なんてないよ"と思っていた側の人です。格好つけるわけでもなく、本当にごくごく普通の家庭を持って生きている今が一番幸せで大切なんだと、心の底から信じ切っているのですが。
信じきっているはずなのに、この曲を聴くとどこかが揺さぶられて、ふと涙が溢れてきてしまいます。

その正体はなんなのかはわからないし、思い出せません。"夢なんてない"と言いながら本当にそうだったのでしょうか?

大学生の時は?なぜ大学に入ったのか?
高校生の時は?何になりたかったっけ?
中学生の時は?何かを作る事に夢中だったっけ?
小学生の時は?…

誰しも遡れば、本当につたない、何の誤魔化しもない、何でもない夢があったはずです。"いやそれ夢って言えるの?"と言えるくらいの。だけど昔はそれに疑問を持つことなく信じれていたのです。

なので40歳で"夢なんてない"と言ってしまう人ほど、この曲にやられてしまうのではないかと思うのです。

そして、それを気付かせてくれるのが「アウトロ」となります。これがないとやっぱり終われません。
後半パートで曲は一旦完全に切れますが、更に跳ね上がったアウトロが蘇った様に唐突に始まります。鎮魂歌から応援歌へと昇華して。

このアウトロ部分、自分が持っていたアルバムには存在していなかった気がするんですよね。当初の「生きる」は"あまりに何も無い"と言う歌詞のあと短いピアノのチャンチャラ、チャン!で本当に綺麗に終わったと記憶してます。
しかし、ライブの時にはこのハイテンションなアウトロが存在していました。ライブのウルトラCでもBon Voyageでもアウトロ付きです。

これはやはり東京事変がどうしても伝えたくなってしまった"希望"なのでしょう。徹底的に絶望に気付かせ、空虚だろうと思い知らせるわけですが、"ほら、絶望を知らないと本当の希望なんてわからないだろう?"と問いかけるという粗治療を仕掛けてきたわけです。
そして季節はまた巡るということです。
(アルバム3曲目の"シーズンサヨナラでは"あなたはしらないの 過ぎた季節が繰り返すことはないって"といっているのですが…。これもフリなのだと、ポジティブに捉えても面白いかな。)

インタビューを見ると、アルバム「スポーツ」は絶望を根底テーマにしていたので、そこのルールを守るうえで、アウトロがないのでしょう。
そう考えると、ライブで急遽アウトロを足したと言うよりも、最初からアウトロはあったが敢えてアルバムでは外したのでは?とも考えられます。

やってくるラストライブのBon Voyage。意味は"良い旅を!"と言うことで東京事変は解散を迎えるのですが、その一曲目にこの「生きる」をもってきていました。
蘇る様に始まるアウトロは、ファンにとっての絶望と希望を一手に引き受けて、ラストライブという最後の輝きのなかに全員を引き込んで行きました。一曲目から涙せずには居られなかったのではと想像します。

総括と椎名林檎の希望とは?


アウトロに歌詞がないのは「依存症」に近い仕掛けです。

"絶望的な依存症"を歌い、
その反対の"愛"を一切文字にせずにメロディで語った様に、
「生きる」では
"絶望にすらならない空虚"を歌い、
その反対の"希望"をアウトロで感じてもらう仕掛けです。

「大事なものは言葉で直接表せないし、感覚でしか伝わらないのだ」と言う椎名林檎のポリシーを感じます。

この「生きる」を聞いて涙するのは、やはり絶望だけでは足りなく、そこに湧いてくる微かな希望を感じてこそ、両側に揺さぶられ涙するのだと思います。

10代の無垢な自分。
20代の"外側とのズレ"に苦悩する自分。
30代の"内面のズレ"に気づいてしまった自分。

それぞれの価値観は、自分でも理解できなくなるほど大きく変化していきます。
20代の頃に恥ずかしいと思っていた10代の頃の自分も、30代後半にもなると、恥ずかしささえも薄れて可愛いと思えるくらいになってしまう。逆に言えば、あの頃あったしなやかな感覚はどうやっても取り戻せなくなってしまうのです。

悩める40代全ての人に聴いてもらいたい。
むしろ悩んでなんかいないと思っている40代の人にこそ聞いて、自身に潜んでいる絶望と希望を感じ取って欲しいと思い、不躾ながらまたまた解説を描かせていただきました。

歌詞を見ながら曲に浸ってみてください。
何度もリピートして昔の自分を思い出してみてください。そしてアウトロで自分が持っていた夢を幼年期まで遡り重ねてみてください。自分だけの歴史を振り返りながら。 

捉え難い感動の波が押し寄せて涙してしまうので、電車の中や人前ではやらない事を経験談としてオススメします(花粉の時期でよかった…笑)

最後に蛇足になりますが、"椎名林檎が絶望を歌ったのはわかるけれど、結局どんな希望をもったの?"と言うところを妄想して終わりにしたいと思います。
それは、次の世代の中に、かつての自分を見出して、そこに希望を託したのだと想像します。
外とのズレ、内とのズレ、そのズレを認めることで、ようやく自分が確立したことで、新たな自分の夢もまたハッキリと見えてきて、他者を本気で支えていく希望を見出したのだと。

解散後の椎名林檎の楽曲を追えば見えてきます。
2017年の"人生は夢だらけ"や
東京事変再結成後の
2021年の"緑酒"を聞いてみてください。

希望に満ちたこれからの人生を祝して。良い旅を!

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