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【短編エッセイ・オカルト】 私の不思議話~胸の上に乗っかっていたもの~

 とうの昔にはなるが、今でも記憶に鮮明に残っている出来事がある。
 というのも今現在において、理に合わないものを目撃したことが後にも先にもそのときだけだったからだ。

 私が中学1年生だった頃である。
 中学というとたいていの学生は何かの部活に入り、活動していることと思う。その部活が精神的に厳しく、肉体的に大変であるかどうかというのはただ一点、顧問の考え方に帰結する。

私は残念ながら、剣道部という温厚な顧問比率の極めて低い部活に入ってしまった(入らざるを得なかった)。

 活動が始まってからというもの、なぜほかの部活が毎日楽しく朗らかに活動しているのに、うちの部活は参加するたびに精神がやられていくのだろうと何度思ったかわからないほどだ。

そういった肉体的、精神的に厳しい部活に所属している人間にとって、切っても切り離せない恒例行事が遠征・練習試合といった対外的な行事である。

 何故かは皆目分からないのだが、厳しい部活の顧問というのは、得てして外部との競争に晒された場面になると、途端に怒気を強めるようだ。

試合結果が思わしくないだとか、勝ったとしても試合内容が自分の望む水準に達していないといった主観的なことに対して、普段とは比べものにならないほど怒ることがあるのだ。

自分の顧問歴に傷が付く、教え子を優勝へ導きたいといった個別具体的な事が理由として挙げられるが、いかなる理由においてもただ単に感情的なものであることには違いない。

どういう理由であったとしてもこちらは知ったことではないのだが、怒気に当てられた被害者は、精神的・肉体的疲労が指数関数的に蓄積されていくのでたまったものではなかろう。

そういうわけで、練習試合の内容いかんによっては、身体にとてつもない疲労がたまった状態で一日を終えることになるのだ。

 私が唯一体験した不思議な出来事も、終日練習試合でかなり疲れていた晩に起こったのである。

 その日は、地元のスポーツセンターで早朝から練習試合を行っていた。1年生であれば、のんきにレギュラーの先輩へ飲料を配布したり、試合結果を記録したりと楽な1日を過ごすのが一般的だろう。

 だが、そんな悠長にしていられるほど甘くはなく、Bチームを組まされて終日試合にかり出された。

Aチームではなかったので精神的苦痛を伴うことはないにしても、入部して間もない中学生が試合戦績を見られああでもない、こうでもないと評価されるのは精神的に疲れるものだ。

 案の定、夜の7時に帰宅すると、風呂に入りなさい、ご飯を食べなさいという母の小言を意に介することなくこたつに入り、気を失うように眠ってしまった。

(家では真夏以外は薄いこたつ布団を敷いているので、汗まみれのまま布団に入ることができない自分にとってはちょうど良い寝床となった。)

 眠りが浅くなったのだろうか、ふっと意識がこちらの世界へ戻ってくる。
だが、なんだか息苦しかった。

なにか妙な物体が胸に乗っかっているような気がしたのだ。

それがなんなのか目を開けないまでも、どうやら生き物らしいということは直感的にわかった。

突然だが、コンクリートブロックを運んだ経験はあるだろうか。

運んだことがあると理解していただけると思うのだが、無機質なコンクリートブロックは持ち上げた時に、全重量が真下へ集中しているような感覚に陥る。

一方、人をおんぶした場面を思い浮かべて欲しい。

人間の重量はコンクリートブロックのそれよりかなり重いが、力のかかり方が全体に分散されて軽く感じるのではないだろうか。

私が胸の上に感じた重みは、そんな優しく、ふんわりとした重みだった。

 だが、寝ている間に胸に何かが乗っかったことなど生まれて一度もなかったので、驚いて勢いよく目を見開いた。

 胸の上に乗っかっていたものは、こちらをじっとのぞき込んでいる。猫だった。

黄色の目をぱっちりと見開いた黒猫は胸の上に座り、私の顔と間近に相対す。

もちろん、私の家に猫は居ない。1秒にも満たない間であったが、猫と見つめ合った後、私は驚嘆の声を上げて飛び起きた。

猫がそれにあわせて飛び退いたかどうかは分からなかった。

 私は無意識に蛍光灯のヒモへ手を伸ばす。手を伸ばしながら猫がどこに居るのか確かめるため、瞬時に目を配った。

猫はやはり、どこかへ逃げようとしていた。

 逃げているその背中は青白くぼうっと光っており、豆電球しか付いていなかった部屋ではっきりとシルエットが確認できた。

 私が電気を点けるとほぼ同時に、猫は奥の部屋の壁を走り抜けてしまった。つまり、すり抜けたのだ。

 それから数十秒もの間、私は目の前で起こった現象が何だったのかを処理できず立ち尽くしていた。

そうしている間に、大声に目を覚ました祖母がふすまを開けて右隣の部屋からやってきた。

「なにええ、大きな声だして」
「猫が今胸の上にのっとったよ、今そっちへ行って壁すりぬけた」
「寝ぼけとるんとちがうん? ちょっとそっち見てみい」

 私は猫が消えた部屋の電気を点け、どこかに隠れていないか確認をしたが見つからない。

 祖母は、どこかから外へ逃げたのだろうと言ってすぐに部屋へ戻ってしまった。

 時計を見ると0時を少し回ったところだった。

 しばらく考えていると、風呂に入って居た母が上がってきたので、同じように猫が消えたと伝えたが見間違いだと言って信じてもらえなかった。

たしかに家は戦中に建てられた木造のため、あちこちに隙間が空いており、イタチなどの動物が家の中よく出入りしていた。夜中に餌を求めて猫が入ってきても不思議はない。

 しかし、俺のそばから逃げていく猫は地面を走っている感じではなく、空を踏んでいるようにふわふわした無音の足取りで逃げていったのだ。

 気のせいだと言われればそうかもしれないが、それまでそんなものを見たことがなかったのに(今現在でも、そのときだけだ)どうしてだろうと不思議に思った。

 そのときは疲れて幻覚をみたのだろうと納得した。ただ、その日よりも疲れたことは今までに何度もあった。

1日12時間の練習試合を3日間出続けて手脚がちぎれるような痛みに見舞われたこともあれば、熱で休むと顧問に言えずインフルエンザのまま運動して42度近い熱が出たこともある。

 しかし、そんな幻覚を見ることはなかった。

幻覚であれば触覚と視覚、2つの幻覚を同時に見たことになる。病気であれば継続性があると思うし、薬物も摂取せずにこれほどリアルな幻覚を見るだろうかと思った。

 そういったことから、疲れのみが原因でなく複数の要因が重なって偶然幻覚が発生した、またはある条件で発生する超常現象に遭遇したのではないかと個人的に考えた。

 一度だけだがこんなものを視てしまった身としては、他の人間が変なものを見たり不思議な体験をしたといった話をすべて嘘と断定することもできなくなった。

 断定的に現代の知見のみで物事を断定する行為もつまらないし、現代科学で判明していない物事が多く存在するという余地を残しておくことで日々の生活も少し楽しくなるのではないか……。

そんなことを思いながら、あの時記憶を掘り返す。

 今後も、その手の話には少し寛容的な立場をとっていきたい。