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『不登校少女と三人の美魔女』第六話 微妙なモテ期とオタサーの姫



カースト上位男子を「引き寄せる」


「みやわきさん。ちょっといいかな、宮脇さーん」

 放課後、校庭に面した側道を歩いていると、バスケットコートを覆うフェンスごしに、バスケ部の坂口翔平が声をかけてきた。

 彼は、まさに海外ドラマでいうところの「アメフトジョック」。スクールカーストの頂点に位置しているモテ男子だ。

「あ? えっ、あたし? なに、なんですか」

 昔なら「すわ、ブスに告白するタイプの罰ゲームか」と聞こえないふりをしていたところだが、今のララには「もしやこれが、モテか?」と検討する余裕が、ないこともない。

 ララは、緊張で狭くなる視野を無理やり広げるように、ぐるりと状況を俯瞰で見渡す。罰ゲームではない証拠に「女の声をかけるためにいきなり練習を放り出された」バスケ部の面々が、冷やかしまじりのブーイングを飛ばしていた。

「こら、しょーへー、もどってこーい」「女いるだろーが、おまえには」「宮脇さん、彼女いるよそいつ」「そのひと、野獣よ、逃げてー」

 野太い声を飛ばしてくるオーディエンスに、「うるせー」とボールを投つけて、翔平はフェンスによじのぼるように片足をかける。

「ごめんね、宮脇さん。俺、坂口翔平と言います。中村レオンの従兄弟です」

 翔平は「兄弟って書くほうの従兄弟か、姉妹って書く従姉妹か、微妙なとこなんだけど」と付け加える。

「あいつハーフだけど、うちの叔母の旦那が、外国人なんだよね」

 ニカッと笑って自分を指差し、「五組の坂口です。小学校の頃、学童のサマーキャンプ一緒だったよね」と、人懐っこく自己紹介する。

 ララはアゴを引くようにうなずき、知っているよ、と心の中でつぶやく。翔平の年子の妹は、自分にとっても一歳年下で、小学校時代たまに遊んでいた。まさか、モデルのレオンの従兄弟だったとは、知らなかったけれど。

 従兄弟が複数人いるわけでなければ、レオンが紹介したいと言っていたのは、この人なのだろう。「なんだ知り合いか」と、未知の美少年を期待していたララは、ほんの少しがっかりする。

 レオンの従兄というワードで想像した正統派美少年ではなかったが、一八〇センチを超える長身で、ぶら下がるようにフェンスにしがみついている翔平は、妹に似て整った顔立ちをしている。

 いかつい顎のラインは中二にしてヒゲが似合いそうで、男っぽいタイプが好きな女子に人気が高かった。

「覚えています。ていうか、知りあいですよね、我々」

 緊張気味のララは、「我々って、変だった? いいかた」と思い、目を泳がせる。翔平は気にしていないようで、顔を輝かせ、

「え、認知してくれてるのうれしいんだけど。ねぇねぇ俺ら土手で、死んだカブトムシとか、拾ったよね、二年生の頃」

 懐かしいネタで話を広げようとする彼に、聞き耳を立てているオーディエンス男子からやじが飛ぶ。

「二年? まさか中学二年じゃないよな」「小二かよ? はっ? おぼえてねーだろ」「死骸なのに、なんでひろった?」「ねぇそのカブトムシ、オスなの? メスなの? そこだけ教えて」

「うっ、せーよ」

 翔平がふり向きざまに巻き舌で怒鳴って威嚇すると、一瞬シーンとしずまりかえったものの、

「きゃあ、やばーん」「繰り返すけど、彼女いるわよ、そいつ」

 とまた野太い声があがり、バスケットボールが乱れ飛ぶ。

 翔平は「いてっ」とボールをよけてしゃがみながら、「そんなんじゃねーよ」と再び怒鳴り返す。しゃがんだ勢いで、おもむろに「そこらへんのたんぽぽ」をむしって、プロポーズするような姿勢をとり、

「ごめんね、宮脇さん。あのね、単刀直入にいうと、うちの母ちゃんが、レオン君のCMを見て宮脇さんのファンになっちゃって。今度、母ちゃん誕生日なんで写真撮ってサインください。今じゃなくていいんで」

 と、ひざまずいて懇願する。

 ララは「これ、モテとは違うな。またこのパターンか」と判断しつつ、笑いながらたんぽぽを受け取った。

 思いの外、かわいらしかった翔平の告白に、「はは」と乾いた笑いをもらし、「いいですよー」とひらひらと手をふってみた。

 我ながら、いい女風の振る舞いのようで、気恥ずかしい。面食らって、笑い声がかわいているあたり、持ち前の気の小ささが見え隠れする。

「ありがとう! 喜ぶよ。レオンくんから英会話教室のバザーに連れて行って宮脇さん紹介してくれるって聞いて、うちのかあちゃん『予定ずらせたらあたしも行く。おばちゃんのこと覚えているかな』とか言っています」

 親同伴でバザーに来るのが恥ずかしいのか、翔平は軽く頭を掻く。ララは「覚えてますよ」と、日焼けしてかわいらしい顔立ちの翔平の母親の顔を思い出す。

「てか、宮脇さん、顔がほんと小さいですね。やっぱスタイルが尋常じゃないわ……って、いってぇな、引っ張んなよ」

 翔平は、ララを仰ぎ見るような大げさな「喜び顔」を残し、チームメイトに「いい加減にしろ」と引きずられて、バスケットコートに連行されていった。

 



 

「うちびっくりしちゃって。こんな偶然、すごいと思いません?」

 レオンの従兄弟が、同じ中学校の顔見知りで、小学校時代の知り合いだったという「偶然」は、一四歳のララにとって軽く胸をときめかせる程度には「運命の出会い」感があった。

 しかし、義理と人情とご縁だけでフリーランスとして食いつないでいる藤子は、

「若いからびっくりするかもしれないけど、ご縁のある人間同士って意外にそうやって勝手に、繋がっていくものだよ? いい意味でも悪い意味でも、世間は狭い」

 バッサリ乙女の夢をぶち壊す。

 一方、サリーンと聡美は、新たな少年の登場に目を輝かせる。

「ほぅ、一八〇センチの長身少年が、フェンスごしにしゃがんで、いたずらっぽい上目遣い、とな」

「教師から見てもあの子、色気があると思う。ひざまずいている風のポーズで、ちぎったタンポポを……。女ったらしというか、人たらしタイプだね。それ彼女がいても、落とせるぞ。ただ経験値高めだから、初心者向きじゃない」

 聡美がそう分析すると、立て続けに、サリーンが、

「別にその男を略奪する必要はない。その男をたぶらかして『仲間』にするだけで、バスケ部が芋づる式に釣れる。餌にして、もう少し真面目系な、かわいい男子を釣るんだ」

 と、提案する。

「彼女いても関係ない。『異性の親友ポジション』をキープして、気が向いたら略奪してもかまわないわ」

「あんたそれ自分のことじゃん」

 サリーンに突っ込まれ、藤子が頭を掻く。

「そう、ワシが若い頃使った手じゃよ。『彼女がファン』とか言われたら、フランクに友達として仲良くなる。彼女にもニコニコ対応したりしているうちに、気がつくと、なんにもしてないのに男が彼女を切って、告白してくるとかね」

 もともと、男子より女子ファンが多いタイプの個性派モデルだった藤子は不穏な提案をして、ララをトラブルに巻き込ませたくないサリーンに睨まれた。

 



 

 教会主催の英会話教室が定期的に開いているバザーは、PTA的な動きをしている母親たちの手作り商品や、お菓子などを売っているアットホームな催しだ。

 プロテスタントの教会の母体はハワイ。

 南国らしい明るい雰囲気で、今年は来日したプロサーファーの手作りアクセサリーの店や、大手コーヒーチェーンの広報をしている女性が取り仕切るハワイアンコーヒー店など若者向けの店も点在し、ひときわ賑わっている。

 ララは古着店の店番をしながら、「もっとおしゃれをしたほうがよかっただろうか?」と、若干後悔をし始めていた。

 レジャーシートに直で座るフリマではパンツの方が楽だろうと、白のロゴスエットにスリムなデニムパンツをチョイスしたものの、そこはかとない部屋着感が否めない。

 サリーンから払い下げられたバレンシアガの厚底スニーカーで脚の長さは盛ってはいるが、さすがに地味すぎたか……。甘めのコーヒーをすすっていると、頭の上から、

「俺と宮脇さん、ちょっとオソロじゃね?」

 という人懐っこい声がした。

 目を上げると、同じサーフブランドのパーカーを来た翔平が、彼女の目の高さに合わせてしゃがみ、ペコリと頭を下げる。

「オソロじゃないわよ。あんたのは、パチもんでしょうよ。ララちゃん、おひさ」

 後ろからピョコンと飛び出してきたのは、モデルのレオンだった。

「パチもんじゃねーよ」「いたーい、ちょっと、おさないでよ」と、じゃれあう美少年二人の周りには、女性の影が見当たらない。

「レオンちゃん、坂口くんの従兄弟だったんだね。この前聞いて驚いたよ。世間は狭いね。坂口くんお母さんは?」

「ちょっと、母ちゃんと喧嘩して、母ちゃんは欠席です。長電話しすぎてスマホを丸一日取り上げられて……その長電話が彼女との別れ話で、もう俺ボロボロ……」

「振られたのよ。このオトコ、浮気心を出したから」

「違う、違う。そういうニュアンスじゃない」

 翔平は悲鳴のように訂正しながらも、「でも振られたんでしょ?」と言われると、意気消沈し、肩を落とす。

 どちらかというと自尊心が低いララだが、翔平が「浮気心を出して振られた」と聞いた直後、「あたしに一目惚れしたって意味だろうか」という考えが頭をよぎった。

「すみません。俺の母親が、宮脇さんのファンだったのは嘘じゃないんです。でも一昨日、今カノに元カノと連絡とっていたことを詰められて。謝ったけど、怒って電話出てくれなくなっちゃって、さらに長電話でおかん激怒という地獄絵図で……」

 翔平は悲しげに眉を寄せたものの、次の瞬間には、

「浮気心なんかじゃないけど、元カノが気になるのは本当だし、じゃあもうしょうがないな、って」

 驚くほどドライなことを言う。

「あんたも馬鹿ね。こんな美人を目の前にして。ここは『君のことが気になって』とか言っときなさいよ」

 翔平に「レオくん」と呼ばれたレオンは、

「ていうか、そもそもあたしを誘わないで一人で来て、失恋をネタにして口説くくらいすればいいじゃない。チキンすぎるだろ」

 と身も蓋もない提案をする。

 心を見透かされたような心持ちになったララは、思わず赤面した。

 そんなララの表情を知ってか知らずか、翔平は、

「振られた翌日に、このレベルのモデルさん口説くとか、ハードル高すぎんだろ」

 かわいらしく首をすくめ、

「でも、タンポポもらってくれた時、オトモダチになれたらラッキー、とは、思った。こんな美人ゲーノージンと口が聞ける身分になったんだなぁ、俺も登りつめたな、って」

 と、頭を掻く。

「ワンチャン、狙ってんじゃねぇかよっ」

 わざと男っぽく声を低くしたレオンに向こう脛を蹴られて、翔平はイテッと顔をしかめた。

 時折見られる翔平の無邪気な表情は小学校時代とあまり変わらず、ララは笑い声を漏らす。

 これを「モテ」に換算していいかどうかは微妙なところだが、痩せて容姿がよくなったことで、顔のいい男子人脈を引き寄せる力が増したことは、否めない。

 



 

 その日、ララのいる古着屋は手持ち無沙汰のメンズの休憩所と化していて、最終的には三人で店番をする運びとなった。

 売上は、上々だった。

 レオンに言われるがまま、ララが売り物を試着して、テレビの通販番組を真似た「実演販売」を行ったところ、数枚のシャツを残してほぼ完売となった。

 売り上げは慈善団体に寄付するルールになっているので、お小遣いが増えたわけではない。それでも三人は、商売繁盛の高揚した気分を抑えきれずに隣のファミリーレストランに飛び込んで打ち上げに突入した。

 中学三年生二人と大学一年生一人……俗に言う「中二病」真っ最中の三人は、ゲームやアニメの話が大好物だ。

 この界隈のキッズは近隣大学のメディア学部の影響もあり、陽キャ陰キャを問わず、アニメイベントなどでサブカルチャーの洗礼を受けている。

 三人が同じ映像制作ソフトにハマっていることも発覚し、場は自然と温まっていった。

 小学生の夏休みに、大学の学生が開催した『自由研究キッズアニメワークショップ』で映像制作ソフトの使い方をレクチャーされたララは、二人が同じソフトのユーザーと知り「あれ最高だよね!」と、身を乗り出す。

 男子二人に「近い近い距離感近い」と手で制され「私ってこんなに積極的な人間だったっけ」と、コミュニケーション能力の急激な伸びを実感していた。

 二時間後に、「おごってあげるから、おばさんたちも混ぜなさいよ」と、サリーン、藤子、聡美も登場し、宴もたけなわに。

 その頃には三人は、お互いのことを「坂口氏」「宮脇氏」「中村氏」と呼び合う、オタクサークルと化していた。

 



 

「うちの姪がグッドルッキングガイを引き連れて、両手に、花って聞いたから来てみたら、『宮脇氏』て、呼ばれてるんだけど」

 サリーンが、ティーンたちの隣のテーブルでフライドポテトをつまみながら、さも嘆かわしい、というようにため息をつく。

「待って。『オタサーの姫』という方向性も悪くはない。ていうか私はいっぺんなってみたかった」

 もともとオタク成分が濃い藤子がそう提案すると、

「オタサーノヒメ、ってなに?」

 生粋の陽キャ、聡美が首をかしげる。

「あの、俺が知っているオタサーの姫のことなら、オタクサークルの紅一点で、オタク男子にちやほやされる女子のことです。でも、この二人はともかく、自分、オタクサークルとか入らないで、ギャルがいるテニサーとかに入りたいです」

 翔平がそう説明すると、レオンは、

「なにマウントとってくれちゃってんの。なんか上から目線だけど、こっちの二人はハーフのモデルなんですけどー?」

 とマウンティング返しする。

「そもそも、あんたの元カノ、全員ギャルじゃないじゃない? 顔はいいけど、メンヘラばっかりだよ。この地雷クラッシャーが」

「俺、地雷専? ヤンデレ好きなの? なんかいやだな、繊細な美少女が好き、って言って」

 じゃれあう美少年二人に、四十女は、呆れと母性をないまぜにした生温かいまなざしを向ける。

「親御さんが同世代だからか、出てくるワードがちょいちょい懐かしいな。ヤンデレ美少女が好きなのかい、少年。そしてギャルにモテることを目指していると」

 藤子に水を向けられると、翔平は恥ずかしそうにしてから、「うーん」と眉間に皺を寄せる。

「あの、小野田先生は、先生だから俺の元カノ全員、知っていると思うんですけど。正直言うと、一昨日別れた元彼女は、売れない地下アイドルの玲奈で、忘れられない最初の彼女は、彩良です」

 彩良こと「サイコ」の名前を聞いて、ララの顔がサッとこわばる。

「え……、そりゃまた、難儀な。本当に病んでるわ、どっちも」

 聡美は若干引いた顔をしながら、事情が飲み込めないサリーンと藤子に、玲奈は以前話に出た「あだ名が『愛人』の地下アイドル」で、彩良はララをいじめたあとに悔い改めたサイコだと、説明する。

「本当に、面食いの地雷好きだな、君は」

 聞くだけでややこしそうな顔ぶれに、サリーンは「女難の相が出ておる」とつぶやいて翔平の顔をまじまじと見つめる。

「どっちの子も、いいところは、あるんですよ。だけど、サイちゃんは、宮脇氏を笑い者にして先生に呼び出された、って聞いた時は……。あの頃の宮脇氏はまだモデルさんじゃなかったけど、妹の知り合いなんで嫌な感じはしました」

 翔平は、さらに言い訳がましく釈明する。

「ただ多分あいつ、悪友にのせられたんじゃないかな。それにしたって嫌だよな、なんか、ごめん。宮脇氏。その頃はもう俺の彼女じゃなかったけど、ほんと、申し訳ない」

 まるでサイコの保護者のようにララに頭を下げる姿に、本人は気付いていないだろうが、所有欲と未練が滲んでいる。

「のせられた、っていってもさぁ……結果的には意地悪だし、悪質だよね」

 サリーンが、不満そうに口を尖らせる。

 翔平が、「あー」と頭を掻いて、うなだれた。

「ごめんなさい。間違いなくあのヒトは、性格、ひねくれてます。ただ、いじめられっ子をストレートに馬鹿にするタイプではないっていうか、もっと計算してあざとく立ち回るタイプなんで。らしくないなと……」

「ウチ的に、坂口氏に『いじめられっ子』って言われているほうが、プライド痛い。サイコさんは、仲良くはできないけど、もういいよ」

 言いながらララは、「なんであたしが気を使うんだ」とさらに不満げな顔をする。男っぽいのにどこか小学校時代の無邪気さを残した翔平を、短時間でも憎からず思っていただけに、いっそう腹が立つ。

「そもそも、かばうくらい好きなら、何で別れたのよ?」

 レオンが単刀直入に切り込むと、

「二年の頃『妊娠したかも』っていうから、『産んでほしい』っていった。そしたら、断るだけならともかく、馬鹿にされたから……」

 翔平がとんでもない話を放り込み、保護者的立場の三人がフリーズする。

 本人も、ララに不快な思いをさせてしまった焦りから衝動的に口走ったようだ。言ったそばから「やべっ」と顔を顰めた。

「ちょ……今、すっごい、怖い話聞いたんだけど。あたし教師以前に小五の娘を留学させているママなんだけど。怖すぎる。やだやだやだやだ、過呼吸になりそう」

「キミ、うちの姪と同じ年でウソでしょ。うちの、姪と? 姪が、姪、妊娠? ララなんて赤ちゃんだったのに、この前赤ちゃんだったのに」

「落ち着いてサリーちゃん。ウチは妊娠してない」

「やだぁ。うちの従兄弟の彼女は、十五歳の母?」

 保護者的立場の聡美とサリーン、加えてなぜかレオンまで取り乱し始め、「中年だが、気分だけは若者寄り」だと自負している藤子が、

「あのさ、これ、サイコちゃんの話だから。妊娠したのはララでなくサイコちゃん」

 と、たしなめる。

「えっと、すみません。厳密にいうとサイちゃんも妊娠していませんでした。生理が遅れただけ。でも、『もし本当にできていたら、産んで、親に手伝ってもらいつつ高校出たら結婚する方向も検討しない?』て、提案したオレをばかにして、全否定してきて」

 翔平は当事を思い出したのか、眉間にシワを寄せる。

「断るだけならまだしも、『なにも分かっていない。馬鹿じゃないの? そんなことしたら、私だけじゃなく翔も将来真っ暗。人生詰むよ』とかきついこと言われて、喧嘩になって……」

「妊娠はしていなかった」という補足を聞いて、肩で息をしていた教師・聡美が落ち着きを取り戻す。

「そこまで話したら、もう説明しなさいよ」

 本当は別に聞きたくないけど、と頭を抱える聡美に即されて、翔平がポツポツと事の顛末を語りだした。

 

小さな恋が終わった話

 

 元々翔平とサイコは、母親同士が保育園からのママ友同士の幼馴染だった。

 幼少期から、かわいらしくて才気煥発なサイコのことは気に入っていた翔平だが、小学校時代、一家が海外転勤していた間は、彼女のことは「すっかり忘れていた」。

 中学二年生になった翔平は、帰国し転校してきたサイコと再会しても、「モテそうだけど気が強そう」と思っただけだった。

 転校生が旧知の美少女であることは、彼の中では快い出来事ではあったけれど、その時点で限りある若いエネルギーを向ける対象としてはやや「弱かった」。

翔平が興味を引かれていたのは、ヘラクレスオオカブトの育成に、哲学的な教訓を含んだロボットアニメ。誕生日に買ってもらったベースギターとソウルミュージック、小学校時代に父親に教わったサーフィンに親なしで行けるようになったこと。海の家の店長との不倫に悩む女子高生とのひと夏の経験や、好きなアイドル、バスケットボール。

熱中すべき課題は無数に転がっていたし、サイコはかわいいと思ったが、あどけないタイプの「推しアイドル」と比べてみると「強そう」で、「好みど真ん中」ではなかった、という。

そんな毎日にサイコが割り込んできたのは、母親に、ママ友に忘れ物を届けてと言われた時だった。

「昨日、サイちゃんママがこれ忘れていったから届けてよ」

 ニューヨーク・ヤンキースのロゴが入ったキャップを受け取った翔平は、「めんどくせーな自分で届けろよ」と文句を言いながらも、少しだけ「大きくなった幼馴染に話しかけること」が楽しみにしていた。

「吉田さん。これ、うちの母ちゃんから」

 それでも放課後、下駄箱でサイコを呼び止めた翔平は、ジップロックに入ったキャップを差し出して、すぐに立ち去るつもりだった。

「坂口君か。ありがとう。ねぇ、ちょっとウケるんだけど、これ見て」

 サイコは、授業中は専用ボックスに預けることになっているスマホをカバンから取り出して、母親のラインを開いてみせた。

 画面に四枚の写真が表示され、そこに写っていた一歳くらいの赤ちゃん二人組は、翔平とサイコだった。

 保育園のベビーチェアに収まっている翔平を、よちよち歩きのサイコが上から覗き込み、次の瞬間翔平が号泣しはじめる。サイコが困ったような顔をして翔平を指差し、保育士になにかを訴えているまでの連続写真は、みごとな四コマ漫画になっていた。

「坂口くん、あたしこと怖がっているんだけど、どういうことよ」

 さも心外だというように口を尖らせている顔がかわいらしく、翔平は、

「だって吉田さん、圧がすごいもん。赤ちゃんの頃から、なんか帰国子女っぽい」

 と笑いだす。

「赤ちゃんに帰国子女もなにもないだろ」

 サイコが外国人のように肩をすくめると、妙に懐かしい「保育園の、さいらちゃんのお着替え」の香りがふわりと広がり、いつの間にか二人は並んで歩いていた。

 



 

 二人が恋に落ちるのには、さほど時間はかからなかった。

とはいえ、過去に男女の関係になった相手は「海でしか会わない」女子高生だけで、女の子のセクシーな側面しか知らない翔平にとって、正直サイコとの交際は「手に余る」案件だった。

過去に海外でいじめによるPTSDを患った彼女は、とにかく「取り乱しやすかった」。

 シニカルでユーモア溢れ、ヘラクレスオオカブトでもゴキブリでも等しく虫を怖がるかわいらしい彼女と、嫉妬やプライドの高さに取り扱いに迷い、早口の英語や乱暴な言葉で怒鳴り散らす彼女は、とても同一人物とは思えない。

 初めて別れ話になった日曜日も、サイコは泣きわめいていた。

 まだ、中学生らしいプラトニックな関係だった日曜日。

翔平と元彼女であるサーファー仲間が顔をあわせたことに嫉妬した彼女は、ストレートにヤキモチを焼くことができず、「翔平が初恋の男のように年上ではなく頼りない」という意味不明の難癖をつけて怒っていた。

 当初、翔平は、賢明になだめようと努めたが、最終的には「一人暮らしじゃない男なんてガキじゃん」と言われた瞬間に、頭の中でなにかがプチっと切れた。

 サイコの元彼は家庭教師の大学生だったが、優柔不断で遊び人だった彼には年上の本命彼女がおり、周囲に疑われ始めた彼が全力で逃げ出す形で破局していた。彼女の存在を承知で好奇心にかられ「誘惑してみた」サイコは、彼のルックスには多少未練があったものの、親にバレるほうが大問題と判断して深追いはしなかった。

 翔平が、元カレの話を「最も嫌う」と知った上での挑発は、効いたようだった。

「最低だな。もう、逆にかわいそうになったからいいよ。後で思い出して恥ずかしくなるから黙れよ。もう、帰ったほうがいいと思うよ」

 両親そろって祖父母の家に出かけていた彼の自宅は、二人と飼い猫のみだった。部屋のドアを開けて、「どうぞおかえりください」と、翔平はサイコをにらみつける。

 プライドの高いサイコは、リモコンを投げつけて帰ろうとするが、その瞬間、飼い猫の「ポポス」が何故かサイコに膝に飛び乗った。

 サイコはポポスのぬくもりで、正気に戻ったように落ち着きを取り戻し、「ポポちゃん」と撫でながら号泣をした。

 途方にくれた翔平は、小学校時代に母親から聞いた、

「吉田さんちのサイちゃん、ドイツの小学校でいじめられてPTSDになっちゃったみたいで、サイちゃんママに水をかけたり『殺すぞ』って言ったりするみたい。今、動物セラピーに通っているんですって」

 という言葉をにわかに思い出す。

「ごめんなさい。ヤキモチやいた」

 プライドの高いサイコが、小声で絞り出した声が、あまりにも息苦しそうで、翔平は、ハッとする。

「ポポ……サイちゃんは、キレ者だな。困ったよ。すぐ、キレるんだよ」

 猫を抱きしめるふりをして肩を抱くと、サイコは小刻みに震えていた。

「キレ者って、そういう意味じゃないでしょう」

「知ってるよ」

 サイコがようやく少しだけ笑い、ポポスを膝に載せたまま、翔平にキスをした。ポポスは揺れる膝に居心地の悪さを感じたのか、ひょいと飛び去った。

 翔平はいきなりのキスに少し驚いて身を引き、情けないほどヘナヘナと座椅子に腰を預けた。サイコは逆に身を乗り出して、翔平の目を上から覗き込むような姿勢になる。

「これ、保育園のベビーチェアのやつだ。号泣するんでしょ、これから」

 サイコが笑いを噛み殺したようにそういって、「四コマ漫画」の再現をするようにあどけない「困り顔」を作って見せる。それからもう一度、ついばむようなにキスをすると、翔平は、

「泣かねーよ。泣くの、そっちだから」

 と、サイコの後頭部手を添え、噛みつくようなキスを返した。

 年上との火遊びではなく「付き合っている彼氏彼女」と寝たのは、二人共、これが初めての経験だった。

 



 

 サイコに「妊娠したかも」と告げられた時、翔平は、半ば本気で結婚するつもりだった。

「あのさ、昨日プリントアウトしてきたんだけど、このモデルカップル、一六歳と一七歳で子供を産んで、親の協力を得て育てているらしいんだ。読んでみてよ」

 学校の隣の総合公園のベンチで、そう言って、ネットのニュース記事をプリントアウトした紙を手渡してきた翔平の手を、サイコは、

「あり得ない」

 と、勢いよく振り払った。

「ちょ、せっかくプリントしてきたのに、紙、飛ばすなよ。カルタかよ」

「馬鹿じゃないの? いい? これから翔平もあたしも大学まで進学して、ちゃんと就職をするの。高校大学社会人で片手か、せいぜい両手におさまる数の異性と付き合って、あたしは二十代後半、あんたは三十代前半くらいで結婚する」

 ショックを受けた翔平は「決めつけんなよ」という抗議の声をあげ、サイコが「例えばの話よ」と食い気味に遮った。

「年は多分、男は三歳年下の女、女は三歳年上の男、くらいなんじゃないの? それがあたしたちみたいな家庭のおおよその平均コース。誤差程度のズレはあるけど、中卒妊娠レベルで大きく脱線したら、戻るのにどれだけ労力がかかるか」

 サイコは、今にも髪を掻きむしって絶叫しそうなほど、切羽詰まっていた。

「やめろよ。切羽詰まったオンナって、ちっともきれいじゃない」

 言葉で追い詰められた翔平は、女子に口喧嘩で負けて悔し紛れに「バーカバーカ」と言い返す小学生のように、サイコをこき下ろして、

「馬鹿じゃないの。子供なんて産んだら、オンナは四六時中こんな風になるんだよ。あんたあたしをそうしたいの。そんなあたしを一生愛せるわけ。どんだけガキなの」

 と怒鳴り返された。

 サイコは、父親が海外赴任になる前は父方の実家の近隣に住んでいた。若くして未婚の母となった叔母を「ねえね」と読んで育った彼女は、若いシングルマザーの苦悩を間近でみることができる環境に身をおいていた。

 翔平もそんなサイコの言葉を頭のどこかで肯定し、「こいつ冷静だな」と頼もしく思いながらも、「ずっと一緒にいたいね」と双子の赤ちゃんようにくっつきあった日との落差に、畏怖を感じて立ち尽くしていた。

 



 

「例えば『私だって産みたいけど、今は無理だよ』とかなら、オレも冷静になったんですけど。『将来絶対後悔する』って決めつけたら、誠意を見せようとしたオレのメンツ、丸つぶれじゃない?」

 留学中の娘のことが頭から離れない聡美は、

「誠意……誠意ってなんですか?」

 と、ドラマのようなセリフで翔平の肩を掴み、「落ち着いて」と藤子に取り押さえられる。

「でもさ、それ本当に、お母様の言葉ではなく、サイコちゃんの言ったこと?」

 藤子が恐る恐るそう聞くと

「親にはいってないし」

 翔平が仏頂面でうなずく。

「やっぱり女子の方が大人だな」

 聡美は深く息を吸い込んで、

「説教はしたくないけど、ちょっと今度、避妊とか病気について話そうか。放課後、カウンセリングルームに来てよ……」

 と言い渡し、おもむろに性教育のサイトを検索しはじめた。

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